冠婚責任者会議

20日、サンレーグループ冠婚責任者会議が開催されました。
会場は、松柏園ホテルバンケットTHE JEWEL BOX」でした。
各地から、わが社の誇る“むすびびと”たちが集結しました。


冠婚責任者会議のようす



ただし、冠婚事業本部長である橋本洋介常務と大分事業部の玉中秀基事業部長は欠席しました。18日に事故で亡くなられた日田の営業員の方のお通夜に参列するためです。
17時から開始された恒例の社長訓話では、冒頭にその方の御冥福をお祈りしました。
わが社も1500人を超える社員の方々がいますので、その方々の家族の訃報には日々接します。ごくたまには、社員本人の訃報に接することもあります。そのたびに衷心より哀悼の意を捧げさせていただいています。会社としては優秀な社員を失うことももちろん痛手ですが、深い悲しみの中にあるご遺族のことを思うと心が痛みます。


儀式とは魂のコントロール術である



さて社長訓示ですが、ブログ「儀式創造シンポジウム」ブログ「儀式とは何か」にも書いた「儀式」をテーマに話しました。なぜ、人間には儀式というものが必要なのでしょうか。
人は生まれたとき、子どもが成長するとき、大人になるとき、結婚するとき、老いていくとき、そして亡くなるとき、魂が非常に不安定になります。その不安定な魂を安定させるために誕生祝い、七五三、成人式、結婚式、長寿祝い、葬儀があるのです。
魂が安定すれば、人は幸福になれます。その意味で、儀式とは魂のコントロール術であり、人間が幸福になるためのテクノロジーなのです。


人生は数である!


人生の区切りとしての人生儀礼は、数の世界です。
七五三をはじめ、二十の成人式、六十一の還暦、七十の古希、七十七の喜寿と、長寿祝いは百の上寿まできます。四十九日や十三回忌に代表される追善供養や年忌法要も数のオンパレードです。人は死ぬまで、また死んだ後も数と関わってゆくのですね。
ピタゴラスの「万物は数である」にならえば、わたしは「人生は数である」と言いたいです。


セレモニー・スケールを示しました



わたしは、ブログ「儀式スケール」で紹介した定規を取り出し、参加者に見せました。
もう20年近く前に作った定規なので、みんな、なつかしそうに見ていました。
定規に刻まれたメモリーとしての「目盛り」は、人生の駅であり、人生の季節です。
「ステーション」という英語の語源は「シーズン」から来ているそうです。


人生儀礼とは、人生の季節であり、人生の駅である



人生とは1本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅がある。季節というのは流れる時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路を時間に例えれば、まさに駅はさまざまな季節ということになります。
そして、儀式を意味する「セレモニー」も「シーズン」に通じます。七五三や成人式、長寿祝いといった人生儀礼とは人生の季節、人生の駅なのです。わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれません。それはそのまま、人生を肯定することにつながります。そう、儀式とは人生を肯定することなのです。


儀式は時間に関わっている



続いて、「新しい儀式の創造」について話しました。
儀式の創造には以下の3つのポイントがあります。
1.よく知られた儀式のイノベーション(七五三、成人式、長寿祝いなど)
2.あまり知られていない儀式の紹介(十三祝い、清明祝い、元服式など)
3.まったく新しい儀式の創出(1万日祝い、3万日祝いなど)
この中では、1の「よく知られた儀式のイノベーション」が一番可能性を持っています。


儀式で「感謝」の心を呼び起こせ!



七五三・成人式・長寿祝いに共通することは、基本的に「無事に生きられたことを神に感謝する儀式である」ということ。いずれも、神社や神殿での神事が欠かせません。最近、神事を伴わない衣装・写真・飲食のみの「七五三プラン」や、同級生との飲み会に過ぎない「成人式プラン」などがあるようですが、こんなものは儀式でも何でもない。単なるイベントです。
わたしは、「おめでとう」という言葉は心のサーブで、「ありがとう」という言葉は心のレシーブであると思っています。現在の成人式では「おめでとう」(サーブ)と言われるばかりですね。しかし今後は、これまでの成長を見守ってきたくれた神仏・先祖・両親・そして地域の方々へ「ありがとうございます」という感謝を伝える(レシーブ)場を提供していくことが必要だと考えます。ぜひ、サーブとレシーブ、「おめでとう」と「ありがとう」が活発に行き交うような社会づくりのお手伝いをしたいです。まずは、「命を与えられ、これまで生かしていただいたことに感謝する」こと。儀式文化のイノベーションは、「感謝」の心を呼び起こすことでもあるのです。そして、「七五三」「成人式」「長寿祝い」のイノベーションについて具体的に説明しました。



ブログ「風立ちぬ」で紹介したアニメ映画についても話しました。
風立ちぬ」は公開初日に観ましたが、宮崎駿という人が「筋金入りのロマンティスト」であることがよくわかりました。ロマンティシズムの最大の要素といえば「愛」と「死」ですが、この映画には両方の要素がたっぷりと詰まっています。「愛」といえば、主人公である二郎と菜穂子の純愛は、その劇的な出会いと再会、そして悲劇というべき別れが観衆の涙を誘います。
何よりも、わたしの胸を打ったのは急遽行われた二人の祝言のシーンでした。二郎の上司である黒川とその妻が仲人を務めたのですが、本当に素朴で粗末で、健気で、心のこもった素晴らしい祝言でした。わたしは、この場面を観て泣けて仕方なかったです。そして、かねてからの持論である「仲人は必要!」「結婚式は必要!」という考えを再認識しました。



それからブログ「終戦のエンペラー」で紹介したハリウッド映画の話もしました。
この映画には「儀礼の国」としての日本がよく描かれていました。
神道・仏教・儒教が共生する日本は、儀礼という「かたち」を重んじる国です。
そして、日本人の儀礼文化のルーツを辿れば、そこには宮中儀礼があります。
わたしたちが通常行う「通夜」にしろ、古代の天皇家が行っていた「殯(もがり)」を源流としています。神前結婚式も、大正天皇の御成婚の儀に由来します。



終戦のエンペラー」は、非常に考えさせられる映画でした。
缶コーヒーのCMでおなじみのトミー・リー・ジョーンズ演じるマッカーサーが、故・夏八木勲演じる関谷貞三郎から天皇と面会するときの作法の手ほどきを受けるシーンが登場します。
天皇に直接手を触れてはならず、握手もしてはならない。
天皇の写真を撮影するときは遠方からに限られる。
天皇の目を正面から見てはならず、名前を呼んでもいけない。
並んで立つときは、必ず天皇の左側に立たなければならない・・・・・。
戦勝国の最高責任者が敗戦国の君主に対して、ここまで気を遣わなければならないというのも、よく考えれば奇妙な話ですが、これにまったく違和感を覚えないほど、天皇という存在自体が「儀礼」そのものであると言えるでしょう。
そう、日本における「天皇」は儀礼王としての「礼王(らいおう)」のなのです。



日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。
そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」が厳然として存在しています。
儀式なくして文化はありえず、ある意味で儀式とは「文化の核」であると言えるでしょう。
「文化の核」の保存・継承以上に日本人の「こころ」の未来に不可欠な仕事はありません。


冠婚葬祭業の素晴らしさを訴えました



結婚式をはじめ、七五三、成人式、長寿祝い・・・・・人生儀礼を司る冠婚葬祭業とは、「文化の核」である儀礼を守ることであり、それは「日本人的よりどころ」を守ることです。さらには、儀式によって「人生を肯定する」ことにもつながります。この仕事に大きな誇りを持って、これからもお客様の心に響くサービスを提供していきたいものです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年8月21日 佐久間庸和