中村天風(4)

「美」とは調和である




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、異色の哲学者・中村天風の言葉です。
天風は、「『美』とは調和である」と言いました。どんなに名人が描いた絵でも、彼が感心しないときは、調和がとれていない絵だそうです。逆にどんな下手な人が描いた絵でも、調和がとれていれば、これは本当の美術であるというのです。


運命を拓く (講談社文庫)

運命を拓く (講談社文庫)


自然界は調和のとれた世界です。自然に触れると感動するのはそのせいですが、さらにわたしは自然に接すると懐かしい気持ちになります。なぜでしょうか。
自然界は、ある力に満ちています。それは、偉大な百合の花を咲かせる力です。それはつまり、わたしたちが言葉を発し、叫び、泣き、笑い、感動するエネルギーの根源でもあります。美しい花を見て、「ああ、きれいだなあ」と感じるとき、わたしたちの原感情はおそらく「かなしい」のではないでしょうか。あまりにきれいなものや美しい光景に接すると、わたしたちは感動のあまり泣けてきます。涙が出てくるというのは、基本的には「かなしい」のです。「かなしい」というのは「愛しい」と同じです。あまりに愛すると、かなしくなります。つまり切なくなるのです。そして、この「かなしい」は「なつかしい」でもあります。



かなしい、愛しい、切ない、なつかしい……これらの原感情は、わたしたち人間にとって原初の情動です。わたしは、人間がこの世に生まれる前にいたハートピア・ゼア、つまり、あの世の理想郷である天国の記憶が瞬間的によみがえったとき、人間の原感情が発動するのだと思っています。そして、これらの原感情が意識化されたものが「美意識」なのでしょう。天国とは、自然界よりもさらに調和のとれた世界であると言ってもよいと思います。



安岡正篤は、こう述べました。何億年か何十億年か経って、ようやく造化は心というものを発展させてきた。人間はその造化が開いた心を主体とする存在である。だから肉体がいくら立派になっても、それは動物並である。肉体と共に心が磨かれ発達して、初めて人間となる。芸術もその人間の心ができていないと、真の美とは言えないというのです。



松下幸之助は、経営者とは広い意味で芸術家であると述べました。経営そのものが一種の芸術である、と。画家が一枚の白紙に絵を描き、平面的に価値を創造するごとく、経営者は立体というか、四方八方に広がる広い芸術をめざしている。
だから経営とは、総合的な生きた芸術であるというのです。 


凛の国  美しい日本の精神遺産 (講談社+α文庫)

凛の国 美しい日本の精神遺産 (講談社+α文庫)


わたしの仲人であり恩師でもある元東急エージェンシー社長の故・前野徹氏は、いつも「美点凝視」という言葉を口にされていました。
人と接するときは、その人の美しいところだけを凝視せよというのです。
50歳を迎えて、最近しみじみと恩師の言葉が心によみがえってきます。


わが人生の「八美道」

わが人生の「八美道」


また、わたしの父である佐久間進サンレーグループ会長は、「正しいことはわからないが、美しいことならわかる」というメッセージを綴った『わが人生の「八美道」』(現代書林)を上梓しました。佐久間会長の美の追求は、究極的に「冠婚葬祭」に集約されます。
本日、8月8日、佐久間会長が初代会長を務めた一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会の創立40周年記念式典が開催され、佐久間会長もスピーチをすることになっています。
その佐久間会長の大の愛読書が、中村天風の一連の著書であります。
なお、今回の天風の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年8月8日 佐久間庸和