ドラッカー(4)


選択と集中




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、経営学ピーター・ドラッカーの言葉です。
ドラッカーは30冊以上の著書で多くのコンセプトを提唱しましたが、その中に「選択と集中」があります。ドラッカーを信奉するGEのジャック・ウェルチが実行したことで知られます。
自社の得意な事業分野を明確にして、そこに経営資源を集中的に投下する戦略です。


経営の哲学 (ドラッカー名言集)

経営の哲学 (ドラッカー名言集)


企業は、ヒト、モノ、カネといった経営資源を持ち、その資源を事業に投入することで企業活動を行っています。既存の事業を維持、拡大したり、新しい事業を興すためには投資が必要です。しかし、言うまでもなく、各企業の持つ経営資源は無尽蔵ではありません。そこで企業は、限られたヒト、モノ、カネを有効に活用するために事業分野の「選択と集中」を行うわけです。「選択」とは、今後の自社の方向性を決めたうえで注力したい事業を選び出し、それ以外を縮小もしくは売却、外部委託(アウトソーシング)すること。また「集中」とは、選び出したコア(中核)となるビジネスに自社の持つ経営資源を集中的に投入することです。



2001年にわたしが社長就任した際、最初に実行した経営戦略が「選択と集中」でした。
本業である冠婚葬祭の事業エリアは北海道の富良野から沖縄の石垣島まで日本全国にまで及んでいましたが、それをシェアが1位の地域だけ残して、残りは撤退したのです。多岐にわたる関連事業についても同様で、旅行、生協、警備保障といったビジネスから思い切って撤退しました。そのおかげで、わが社の財務内容は急速に改善されました。
また、残した事業の業績もすべて向上させることができました。
現在、某業界誌で「これまでの互助会全国展開はどうであったか」という特集が組まれ、その冒頭には「サンレーの進出、撤退、回復」という記事が掲載されていますが、わが社の経営戦略の根底には「選択と集中」というドラッカー思考があったのです。



選択と集中」は企業のみならず、個人についても言えます。
吉田松陰の『松陰余話』のなかに、こんなエピソードがあります。
松陰がまだ十代の頃、剣道を学ぼうとしたことがありました。そこで柳生新陰流の剣術師範である平岡弥兵衛を訪ね、入門を願い出ました。驚いた平岡に理由を尋ねられた松陰は、「儒家に生まれたとはいえ、腰間に雙刀(そうとう)を帯ぶる以上は、これを用いる道を知らでは、武士の面目が相立ち申さぬ、しかも心身の練磨を・・・・・」と答えました。しかし、体力的に見て剣道が不向きであると思った平岡は、松陰が行っている教育も剣道も、目的は同じ「人間の完成」にあると松陰を諭しました。さらに、不得意なことがあっても、恥じることはない。それを無理してやる時間があるなら、得意なことに費やして社会に貢献する方がよいと述べました。これには松陰も納得し、いっそう教育活動に励み、松下村塾を開いたのです。



松陰のエピソードからもわかるように、人生も「選択と集中」なのです。
わたしは、ドラッカーの「選択と集中」を自分の人生でも役立てました。
わたしは、人間関係や人づき合いをとても大事にしています。しかし、ビジネスマン、特に経営者で一番時間を取られるのは、ゴルフです。ゴルフのつき合いほど大変なものはありません。しかも、わたしはゴルフが上手な方ではなかったので、練習も猛烈にしなければなりませんでした。コースに出たら1日つぶれてしまいます。
あるとき、ゴルフにつき合っていたらきりがないと感じました。
そこで、わたしはあえて、ゴルフは断ることにしたのです。



さらに、お酒の席もキリがないので、本当に大事だと思うとき以外はつき合わないようにしました。本業である社長業はもちろんそのままですが、ゴルフやお酒につき合っていた時間を執筆や講演などの「自分の考え方」をみなさんに伝えるということに集中的に使ったのです。あれもこれもと、人から誘いがあったら全部つき合っていたら、時間を分散してしまって、結局は効果、効率がよくありません。わたしの人生においても、「選択と集中」は絶大な効果を発揮したように思います。そもそも生きるということ自体が、「選択と集中」を決断することの連続なのです。なお、今回の名言は『最短で一流のビジネスマンになる! ドラッカー思考』(フォレスト出版)にも登場します。


  

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年7月10日 佐久間庸和