今日は「父の日」

今日は6月の第3日曜日、そう、「父の日」ですね。
妻が選んだネクタイを持って午後から実家を訪れ、父にプレゼントしました。
今年で78歳になる父はニコニコしながらそれを受け取り、「ありがとう」と言いました。


「父の日」に父と・・・・・



「母の日」に比べて、「父の日」はどうも盛り上がりに欠けます。
もともとは20世紀の初頭にアメリカで生まれた記念日で、ワシントン州スポケーンの女性ソノラ・スマート・ドッドの発案によるものだそうです。彼女の幼い頃、南北戦争が勃発し、父ウィリアムが召集されました。それで彼女を含む子供6人は母親が育てることになりました。その母親は、過労が原因でウィリアムの復員後まもなく亡くなりました。以来、ウィリアムは男手ひとつで子どもたちを育てましたが、ウィリアム自身も子どもたち全員が成人した後、亡くなったそうです。その父親を讃えて、ソノラが教会の牧師にお願いして、亡父ウィリアムの誕生月である6月に礼拝をしてもらいました。当時すでに「母の日」は始まっていましたが、ソノラは「母の日があるなら、父に感謝する日もあるべき」と牧師協会に嘆願したのだそうです。
最初の父の日の祝典は、1910年6月19日、スポケーンで行われました。



1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れました。そこで「父の日」の演説を行ったことにより、アメリカ国内で「父の日」が認知されるようになりました。また1966年、第36代大統領リンドン・ジョンソンは、「父の日」を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を「父の日」に定めました。アメリカで正式に「父の日」が国の記念日に制定されたのは1972年のことです。



このように「父の日」そのものは非常にアメリカ的であると言えるでしょう。
ブログ「ザ・マスター」にも書いたように、アメリカは基本的に父性の国です。
でも、わたしは日本においても「父の日」は必要であると思っています。だって、「父の日」でもなければ、世のお父さんたちは子どもたちから感謝される機会がないではありませんか!


法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか


拙著『法則の法則』に書いたように、わたしは「感謝」こそが「幸福」にいたる道であり、そのための最初のスイッチとして、自分の親に感謝するということが有効であると信じています。
このことは単なる道徳的教訓などではありません。心理学的にも大きな意味があるのです。
人間には「自我」があります。その「自我」が、死の恐怖を生み、さまざまな欲望を生み、ある意味で人間にとっての「不幸」の原因をいろいろと生んできたわけです。そして、親に感謝することは、自分の存在を肯定することであり、自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになります。親に感謝すれば幸福になるという意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのです。



人間関係を良くする「法則」の体系であった儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬式をあげて弔うことを何よりも重んじたというのも、結局は「親を大切にせよ」ということでしょう。親を大切にするということは、すべての幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを、孔子孟子は知っていたように、わたしは思います。そして、親とは最も近い先祖にほかなりません。
「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝を非常に重要視しました。
それは、「孝」という大いなる生命の思想から生まれたのです。


日本のこころの教育

日本のこころの教育


東洋思想家の境野勝悟氏は、著書『日本のこころの教育』(致知出版社)で、わたしたちの「恩」つまり生命の原因は、まず第一に太陽であると述べています。
境野氏によれば、太陽のお蔭で、太陽のめぐみでわたしたちは生きている。わたしたち日本人は、ずっと古代から太陽を自分を生命のもととして、大切にしてきました。だから、日本は「日の本」であり、国旗は「日の丸」という太陽マークだというのです。また語源的に見ると、「おかあさん」は「太陽さん」、「おとうさん」は「尊い人」という意味だそうです。



「母の日」は「太陽さんの日」。
そして、「父の日」は「尊い人の日」。
こういったことを子どもたち教えることこそ、まさに日本人の「こころの教育」でしょう。
ちなみに、東京に住む長女からはワインの赤白2本セットが送られてきました。
とても嬉しかったです。何か良いことがあったときに飲もうと思います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



20136月16日 佐久間庸和