賀川豊彦(1)


太陽は実によく光る!




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、作家で牧師で社会運動家賀川豊彦の言葉です。
わが社では「隣人祭り」開催のサポートを行っていますが、そのコンセプトはもちろん「隣人愛」です。「隣人愛」を実践した人をいえば、なんといってもイエス・キリストですが、日本にも偉大な「隣人愛」の実践者がいました。賀川豊彦です。大正から昭和にかけて活躍したキリスト教の牧師ですが、社会運動家であり、かつ作家でもありました。


復刻版 死線を越えて

復刻版 死線を越えて


賀川豊彦の代表作である『死線を越えて』は、倉田百三の『出家とその弟子』、島田清次郎の『地上』と並んで、大正時代の三大ベストセラーとされています。中でも、1920年に出版された『死線を越えて』は、上中下の3巻仕立てになっていましたが、上巻だけでも200版を重ね、3巻合計でじつに400万部が売れたそうです。
まさに、大正期最大のベストセラーなのです。
各時代における最大のベストセラーといえば、江戸時代が滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』、明治時代が福澤諭吉の『学問のすゝめ』、そして大正時代が賀川豊彦の『死線を越えて』というのですから、その凄さが理解できますね。



賀川豊彦は、生涯にわたって社会的弱者の側に立ちました。
そして、神戸のスラム街に住みつつ伝道と救貧活動を展開しました。
「友愛、互助、平和」を国内外で説きながら、国内では生活協同組合運動や農業協同組合運動をはじめ、さまざまな社会改革運動の先駆者として活躍した人です。世界最大の生協である「コープこうべ」や「JA共済」の創始者であるといえば、少しはその偉大さがおわかりでしょうか。しかし、著者の素晴らしさはそれだけではありません。
なんと、ノーベル文学賞候補(1947・48年)に2回、さらにはノーベル平和賞候補(1954〜56年)に3回も、それぞれなっているのです。また、シュヴァイツアーやガンディーと並ぶ「20世紀の三大聖人」とも呼ばれたこともあります。
日本よりも海外での知名度が圧倒的に高く、特に戦前のアメリカでは「ヒロヒトとトヨヒコ」、つまり昭和天皇とともに「二大日本人」として並び称せられたとか。


賀川豊彦は、スラム街の人々が亡くなると、牧師として無償で葬式を行いました。いくら貧しくとも、貧民窟の人々も「葬式は、要らない」などとは誰一人思っていませんでした。誰かが亡くなったら、みんなで葬式に出て、みんなで送ってあげたのです。
死線を越えて』には、「正午の太陽を見て黙祷した」という一文が出てきます。
わが社の「サンレー」という社名は「SUNRAY」、すなわち太陽の光という意味です。太陽が万物に等しく降り注ぐように、あらゆる人々に平等に冠婚葬祭を提供したいという願いが込められています。この社名をつけたのは創業者である佐久間進会長です。こよなく太陽を愛する佐久間会長は、何事も「陽にとらえる」ことの大切さをことあるごとに訴えています。
死線を越えて』は、全篇にわたって明るい内容ではありません。しかし、主人公である栄一が大学を退学して実家に帰ってきたときの以下の描写が明るくて、印象に残りました。



「太陽は実によく光る!」
と、表座敷の縁側に仰向きに寝て、太陽を見て栄一が云うた。
もう、午後一時半。昨夜の雨は、庭に僅かな湿り気を残して、何処かに隠れた。今日は朝から「よく光る」太陽が出て、春は一度に甦った。
栄一はあまり、まばゆいから左の拳に小さい穴を造らえて、それから太陽を見ている。綺麗なラデエーションが出来る。
「綺麗なラデエーション!まるで虹だ!」と栄一は自分一人囁いて、色々と考えた。
「太陽の光線は美しい。これが九千三百万哩やって来たのか!この光線が空気の外では全くの紫色だというが……どんな美しい世界だろう。神秘だね、光は――」と考えて、また色々想像を廻らした。
(PHP研究所『復刻版 死線を越えて』七章より)



わたしは、これほど世界そのものを「陽にとらえた」文章を他に知りません。
死線を越えた後の著者の人生は、まさに太陽を追い、美と神秘を求めた生涯でした。
賀川豊彦の多彩な活動の根本には、「イエスのように生きたい」という強い想いがありました。イエスは、彼が生きた時代の社会で蔑ろにされていた人々の間で、言葉と行為をもって神の愛の福音を伝えました。賀川豊彦が16歳で洗礼を受けたとき、キリスト教社会主義者であったトルストイ安部磯雄、木下尚江などの著作を読み、イエスの教えを実践することを考えるようになりました。



そもそもイエスという人自身が貧しい人々や寄る辺なき人々の友となり、隣人愛を唱え、それを自ら実践した人でした。このイエスの足跡に従いたいという想いが賀川豊彦を突き動かしたのです。賀川豊彦にとって、信仰と隣人愛の実践は、車の両輪であり、どちらが欠けてもなりませんでした。このように「隣人愛」が賀川豊彦の思想を読み解く最大のキーワードと言えるでしょう。現代の日本社会は「貧困社会」「格差社会」「無縁社会」などと呼ばれていますが、それらを乗り越えるヒントが賀川豊彦の人生にはあるように思えてなりません。



わが社も、世界の神秘を象徴する「太陽の光」を社名としているからには、その理想を実現したいです。ぜひ、賀川豊彦が唱えた「相愛扶助」や「友愛互助」を追求したいと思います。
なお、今回の賀川豊彦の名言は『隣人の時代』(三五館)にも登場します。


隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

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2013年5月29日 佐久間庸和