「論語塾」の第9回目は、「親に対する礼とは」です。
新年早々、妻の父親、つまり義父が亡くなりました。
子どもや孫たちに最大の愛情を注いだ77年の生涯を終えた義父に対して、わたしは「長い間、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした」と心から感謝しました。
孔子は、「両親への礼」というものを非常に重んじた人でした。ふつうは、両親への礼儀作法などというと、あまりにも近しい関係のため、今さら気恥ずかしく思うかもしれません。
しかし、親とは、いちばん近くにいる目上の人です。親に対する敬意を欠いているようでは、学校の教師や会社の上司など親以外の目上の者に対する礼儀は、到底身につきません。
たとえば、いくら親とはいえ、何かしてもらったときには、きちんと「ありがとう」と礼を言わなければなりません。
それから、孔子は「最低限、親の年齢ぐらいは知っておくべき」と訴えました。
ところが最近では、親の年齢さえも知らない人が増えているようです。
なんとも、嘆かわしいことです。『論語』には、次の言葉があります。
「父母の年は知らざるべからず。
一は即ち以って喜び、
一は即ち以って懼る。」 〈里仁篇〉
「両親の年齢は知っておかなければならない。
なぜなら、ひとつはそれによって、長寿を喜べる。もうひとつはそれによって、老いを気づかうためだ」という意味です。
また、親というものは、子どもが何歳になろうが心配ですし、いつも気にかけているものです。ですから、孔子は「親に心配をかけないというのも、立派な孝行のひとつ」と説きました。『論語』には、また次の言葉があります。
「父母在せば、遠く遊ばず。
遊ぶこと必らず方あり。」 〈里仁篇〉
「大学進学や就職などで親元を離れたときは、こまめに連絡し、親を安心させよう」という意味です。わたしたちも、義父の六年間の闘病生活の間は海外旅行など遠出を避けるようにしていました。もちろん仕事での海外出張には行きましたが、それも最低限にとどめ、家族旅行などは控えていました。容態が急変したときに、遠方にいては会いに行けないからです。海外などにいては、通夜や葬儀にも間に合いません。
そうやって、親を大事にする習慣が身についたら、自然と周囲の年長者、とくに高齢者をいたわったり、うやまったりすることができるようになるのではないでしょうか。
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2013年4月24日 佐久間庸和拝