親の葬儀は人の道


論語塾」の第10回目は、「親の葬儀は人の道」です。
新年早々に妻の父親が亡くなり、実家がある広島県で通夜と葬儀を営みました。
孔子が開いた儒教では、親の葬儀をあげることを「人の道」と位置づけました。
それを人生の最重要事とした人物は、孔子の最大の後継者というべき孟子です。


「リビング北九州」2013年2月23日号



孔子は「親が他界したら三年喪に服す」ことを唱えています。
父母が健在の人は、自分の両親が亡くなったと想像してみるといいでしょう。
とても悲しい気持ちになりますよね。あるいは、すでに親を亡くした経験がある人なら、どれだけ悲しいことか理解できるでしょう。『論語』には、次のような言葉があります。
曾子の曰わく、吾れ諸れを夫子に聞けり、
 孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり。
 其の父の臣と父の政とを改めざるは、
 是れ能くし難きなり。」〈子張篇〉 



「人が自分の感情をすべて表に出すようなことはあまりない。あるとしたら、親の葬儀のときぐらいだろう」という意味です。亡くなった後で、「ああしてあげればよかった」「こうしてあげればよかった」と悔やむのではなく、親が健在のうちに孝行すべきなのです。



孔子は、弟子の宰我に対して「君子三年礼を為さずんば、礼必らず壊れん」と断言し、さらに次のように述べます。
「子の曰わく、予の不仁なるや。
 子生まれて三年、然る後に父母の懐を免る。
 夫れ三年の喪は天下の通喪なり。
 予や、其の父母に三年の愛あらんか。」〈陽貨篇〉



「親が死んだら、3年間は喪に服さなければいけない。なぜなら、人はだれでも生まれてから3年間、赤ん坊だったときは自分では何もできず、親に完全に庇護されて生きてきたからだ」というわけです。言うまでもないことですが、「三年間喪に服せ」というのは、そういう気持ちをもって生活せよということで、三年間ずっと家に閉じこもりなさいという教えではありません。
それに、三年経ったら親への恩がなくなるというものでもないでしょう。
いつまでも親への感謝の気持ちは忘れてはいけません。



家族は人間関係の基礎になります。家族との関係がきちんとしていて、礼儀にかなっているなら、人として正しい道を歩んでいるのです。ふだんから忘れがちだったり、なおざりにしがちな親のことを、この機にあらためて考え直してみるといいかもしれません。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年4月25日 佐久間庸和