鎮魂の森と人間尊重

朝粥会の終了後、「平成心学塾」を開催しました。
最初に、佐久間進会長がいつものように講話をしました。
会長は、3・11に明治神宮で開かれた東日本大震災の祈念集会の話から始めました。


平成心学塾」のようす



その祈念集会で、佐久間会長は中曽根康弘先生や村上正邦先生らと久々に再会したそうです。また、「ものすごく立派な方に会って感動した」と言っていました。
宮脇昭という方で、横浜国立大学名誉教授で地球環境戦略研究機関国際生態学センター長だそうです。世界各地で植樹を推進する現場主義の植物生態学者として、これまで国内外1700か所以上で植樹指導し、4000万本以上の木を植えてきたといいます。
わたしは以前、 『木を植えた男』という有名な絵本の書評を書きましたが、宮脇氏はまさに「世界一、木を植えた男」なのです。本当に、すごい方ですね。
そして、大地震、大津波原発災害に沈むこの国を甦らせるには、「鎮守の森」を守ってきた先人たちの知恵と、土地本来の木々の力に頼るしか道はないと訴えておられるそうです。被災した青森から福島までの海岸線300km以上に長城を築き、森の国・日本として新たな再出発を図る「森の長城プロジェクト」を推進されています。


佐久間会長から渡された宮脇昭氏の著書



佐久間会長は、宮脇氏の講演を聴いて深い感銘を受けたそうですが、ちょうど隣の席が俳優の菅原文太さんだったそうです。菅原さんは「宮脇先生のお話を伺って、役者をやっている場合ではないと思ったんですよ」と言われたとか。実際、菅原さんは昨年で俳優業を引退され、現在は山梨県内で農業を営んでおられます。今後は有志らとともに国民運動グループ「いのちの党」を結成し、代表として活動するとされています。
佐久間会長からは『森はあなたが愛する人を守る』(講談社)と『瓦礫を活かす森の防波堤』(学研)の2冊の宮脇昭氏の著書を渡されました。早速、読んでみようと思います。


「鎮魂の森」構想を語る佐久間会長



また、佐久間会長はわが社が所有する福岡県田川市にある広大な森を「鎮守の森」ならぬ「鎮魂の森」にしたいという事業構想を打ち出しました。樹木葬の森をつくって、「愛する人を亡くした人の森」とするのです。このアイデアを宮脇氏に話したところ、氏は感激されて「それは素晴らしい。あなたなら、やれる!」と佐久間会長に言われたそうです。
「鎮守の森」から「鎮魂の森」へ・・・サンレーの新しいプロジェクトが始動しました。
これは環境保護無縁社会グリーフケア・・・・現代日本が直面しているさまざまな問題を同時に解決しうる画期的な構想だと思います。



この佐久間会長のアイデアの根底には「人間尊重」というわが社のミッションがあります。
この「人間尊重」という言葉は、もともと出光興産の創業者である出光佐三が唱えた言葉でした。ブログ『海賊とよばれた男』で紹介した小説のモデルこそ出光佐三です。
宮脇昭氏の話を聞いて、「日本にも、まだまだ偉い人がいるんだなあ」と感心しましたが、出光佐三も度外れて偉かった日本人です。


わたしは出光佐三を熱く語りました



佐久間会長の講話が終わって、わたしの番になりました。わたしは開講一番、「雨がシトシト降って、黄砂やらPM2.5なんかもあって、みんな浮かない顔をしていますな。でも、わたしはウキウキドキドキしています」と言ったら、一同オヤッという感じの顔をしました。そこで、「なぜなら、わたしは今、恋をしているからです」と言うと、今度はギョッという顔をしました。そして、「でも相手は女性ではありませんし、生きている人でもありません。すでに亡くなっている男の中の男です。その人は、出光佐三という人です」と言いました。実際、わたしは孔子とかドラッカーとか、心底リスペクトする対象ができると、ものすごく生きるエネルギーが湧いてくるのです。そこからは、バーッと息もつかずに出光佐三の偉業と思想を語りました。
出光佐三は宇佐、宗像、中津、門司といったわが社の営業拠点と縁の深い人ですが、そのへんも説明したところ、みんな非常に興味を持って聞き入っていました。



出光佐三は96年の生涯の中で、自社の社員に「金を儲けよ」とは一度も言ったことがないそうです。その代わりに「人を愛せよ」と言いました。そして、「人間を尊重せよ」と言いました。この「人間尊重」こそは、出光佐三の哲学を象徴する一語です。
昭和28年4月、新入社員の入社式で出光佐三は次のような訓示を行いました。
「出光は事業会社でありますが、組織や規則等に制約されて、人が働かされているたぐいの大会社とは違っているのであります。出光は創業以来、『人間尊重』を社是として、お互いが練磨して来た道場であります。諸君はこの人間尊重という1つの道場に入ったのであります」



また、昭和36年5月、在京社員への訓示において次のように述べました。
「純朴なる青年学生として人間の尊重を信じて『黄金の奴隷たるなかれ』と叫んだ私は、これを実行に移して、資本主義全盛の明治、大正時代においては、人材の養成を第一義とし、次いで戦時統制時代においては、法規、機構、組織の奴隷たることより免れ、占領政策下においては権力の奴隷たることより免れ、独立再建の現代においては数の奴隷たることから免れえた。また、あらゆる主義にとらわれず、資本主義、社会主義共産主義の長をとり短を捨て、あらゆる主義を超越しえた。かくて50年間、人間尊重の実体をあらわして『われわれは人間の真に働く姿を顕現して、国家社会に示唆を与える』との信念に生き、石油業はその手段にすぎずと考えうるようになったのである」
とても実業家の言葉とは思えませんが、出光佐三は生涯そんな言葉ばかり吐き続けました。それなのに、事業経営でも希代の成功者となった事実には考えさせられるものがあります。


「人間尊重」について語りました



さらに、出光佐三の「人間尊重」には深い意味が込められています。
彼は学生時代に「社会は人間が作ったものであるから、あくまでも人間が中心でなければならん。金が社会の中心で、金さえ持っておればあとはどうでもいいという社会はけしからん」と考えました。ここでいう「人間」というのは、西洋における「神」に相当します。
なぜなら、西洋では「人間」ではなく「神」が中心ですから。
出光佐三 魂の言葉〜互譲の心と日本人』(海竜社)で、編者である元・西日本新聞編集局長の滝口凡夫氏は次のように述べています。
「世界にあまたある思想や哲学は、そのどれもが出発点は人間社会が平和で仲良く、幸福に過ごせるところになるために、人はどうすればいいか、どうあるべきかということから始まっているであろうと佐三は言う。
ところが、西洋の思想・哲学は、例えば、神を天の上のものとしているために、『神』と地上で暮らす、生活を共にするという『実行』を伴うことがない。
佐三いわく『日本の神は人であり、実行者である』と。その点で、西欧では、観念的、抽象的な存在でしかない神が、日本では自らにつながりを持つ祖先であり、隣人たり得るのだと」



わたしは、つねづね「先祖」という縦糸と「隣人」という横糸が揃って初めて「人間のこころ」という凧が安定して空中に漂っていられる、つまり、人間が幸福に生きていけると訴えてきました。このような自分の考えが出光佐三の思想につながっていることを知り、非常に驚いた次第ですが、そこには触媒となった1人の人物がいました。佐久間進会長です。
若き日の佐久間会長は、地元・北九州からスタートして大実業家となった出光佐三を尊敬し、その思想の清華である「人間尊重」を自らが創業したサンレーの経営理念としたのです。



しかし、佐久間会長は単に出光佐三の受け売りをしたのではありません。
「人間尊重」を、冠婚葬祭の根幹をなす「礼」と同義語としてとらえたのです。
安岡正篤も「本当の人間尊重は礼をすることだ」と述べましたが、サンレーにおいては「礼とは人間尊重」であるという考え方が芽吹き、育っていったのです。
最後に、出光佐三は「石油業は、人間尊重の実体をあらわすための手段にすぎず」と言いました。不遜を承知で言わせていただければ、わたしは「冠婚葬祭業とは、人間尊重の実体をあらわすことそのものである」と思っています。
今後も、機会あるごとに「人間尊重」について語っていくつもりです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月18日 佐久間庸和