信州善光寺の思い出


おはようございます。
いま、3月18日の午前7時。小倉は雨です。
これから松柏園ホテルで春季例大祭、朝粥会、平成心学塾が行われます。
さて、ブログ「立山黒部の思い出」に書いたように、2008年10月末にサンレー北陸の社員旅行に行きました。2日目は信州善光寺を訪れました。


信州善光寺を訪れました



以前から一度は行きたいと思っていた場所です。
信州善光寺 は、一光三尊阿弥陀如来を本尊とします。
創建以来約1400年にわたって、広く日本人の信仰を集めてきました。
たとえば、次のような歌がよく知られています。
「身は此処に心は信濃善光寺 導きたまへ弥陀の浄土へ」
「遠くとも一度は詣れ善光寺 救け給うぞ弥陀の誓願


善光寺参りは念願でした



念願の善光寺詣でを果たしたわけですが、「ムーンサルトレター」第39信にも書いたように、正直言って少し失望しました。信州善光寺といえば「観光仏教」を象徴する寺のひとつです。初めて参拝したわたしも、そのことを強く感じました。このときの少し前に訪れた法隆寺にしろ、薬師寺にしろ、東大寺にしろ、同じことを感じました。
比叡山延暦寺高野山の金剛峰寺はまだ宗教施設としての威厳を感じさせてくれましたが、その他の寺は観光施設としての印象のみでした。



別に観光施設が悪いと言っているわけではありません。
わたしは「観光」という営みに最高の価値を置く人間ですから。
ただ、わたしが気になったのが、「観光仏教」のシンボル的な寺の多くにホスピタリティがまったく感じられなかったことです。たとえば、それらの寺の僧侶に何か尋ねても、対応が非常に悪い。面倒臭そうに答える。法隆寺では、夢殿の方向を僧侶に尋ねたところ、無愛想にその方向を無言で指差しただけでした。東大寺で手洗いの場所を聞いたときも、同じような対応でした。そして、信州善光寺ではそれと同じ、さらにはもっと強い違和感あるいは不快感をおぼえました。それらの寺でわたしが接した僧侶たちには、観光客を見下す心があるように思えてなりませんでした。そして、ここが重要なところですが、だからといって彼らには宗教者としてのオーラもまったく感じられませんでした。



わたしは、僧侶にしろ、神官にしろ、神父や牧師にしろ、宗教者たる者は、宗教者としてのオーラを感じさせなければならないと考えています。一般人が彼らに接したとき、「さすがに宗教者だ!」と思わせなければなりません。観光客に何か尋ねられたときでも、「さすがに親切だ」「さすがに思いやりがある」「さすがに立ち居振る舞いや言葉遣いが美しい」という印象を与えるべきではないでしょうか。少なくとも、寺の拝観料を取るならば、僧侶たちはもっとホスピタリティを示すべきだと思います。



だいたい、「観光仏教」とか「葬式仏教」とかいう場合、「仏教」に高い価値が置かれ、「観光」や「葬式」は低く見られています。しかし、「観光」や「葬式」こそは、ともに高いレベルの「ホスピタリティ」が求められ、ハートフル・ソサエティにおける最重要ジャンルです。「仏教」はよほど性根を据えてかからないと、「観光」や「葬式」から見捨てられてしまうかもしれません。
それから、信州善光寺の参道にある土産物屋さんも無愛想な店が多かったですが、「あれで、よく商売ができるものだなあ」と思いました。非常に残念な対応でした。



と、まあ、辛らつなことを書いてしまいました。
それでも、北陸の社員とみなさんと語らいながら歩いた時間は楽しかったです。
この2008年から、わたしは北陸大学の客員教授に就任しました。特にこの年は、北陸を訪れる機会が激増した一年でした。わたしは金沢が日本で一番好きなのですが、大好きな金沢で過ごす時間が多くなり、本当に幸せでした。
信州善光寺の後は、かの川中島に寄ってから、駅弁人気日本一という「おぎのや」の峠の釜飯の昼食を取りました。その後、わたしは1人で長野駅から新幹線で東京に向かいました。北陸のみなさんとゆっくり話せて、有意義かつ楽しい旅でした。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月18日 佐久間庸和