ディズニー(1)


“If you can dream it,you can do it.”


(夢見ることができるなら、それは実現できる)




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
これから、古今東西の名言で、わたしの心に残ったものを紹介していきます。
記念すべき第1回目は、上に掲げたウォルト・ディズニーの言葉です。
この言葉は、アメリカはフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド内にある「エプコット・センター」の「イマジネーション!」というアトラクションの入口に掲げられていました。
大学4年生のときに初めて同所を訪れ、この言葉を目にしたときは魂が震えるほど感動しました。それ以来、わたしの座右の銘のひとつになっています。



わたしの結婚式でも、参列者の方々にお配りした礼状の中でこの言葉を引用しました。
ディズニーの偉大な夢は、多くのアニメ作品のみならず、ディズニーランドとして具現化しました。わたしが大学1年生のときに東京ディズニーランド(TDL)がオープンしましたが、その衝撃は今でも憶えています。「夢と魔法の国」に魅せられたわたしは、おそらく100回以上はディズニーランドに足を運んでいると思います。
現在の妻とも一緒に行きました。今では、もうセピア色の思い出ですが・・・・・。



学生時代、現在の妻とTDLに行きました




また、わたしは処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)から『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)まで8冊の本を書いて10年間の休筆期間に入ったわけですが、その8冊すべてにディズニーランドが登場しています。
それぐらい、若い頃のわたしは、ディズニーランドに夢中なのでした。
「ハートフル」という言葉も、ディズニーランドをイメージして考えたぐらいです。


ディズニーへの想いから書いた処女作



人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもありません。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。
偉大な夢の前に、これまで数多くの「不可能」が姿を消してきました。
最初の飛行機が飛ぶ以前に生まれた人で、現在でも生きている人がいます。
彼らの何人かは空気より重い物体の飛行は科学的に不可能であると聞かされ、この不可能を証明する多くの技術的説明書が書かれたものを読んだことでしょう。これらの説明を行なった科学者の名前はすっかり忘れてしまったけれども、あの勇気あるライト兄弟の名はみな覚えているはず。そう、ライト兄弟の夢が人類に空を飛ばせたのです。



宇宙旅行もこれと同じです。地球の重力圏から脱出することなど絶対に不可能だとされていました。すなわち、学識のある教授たちが、1957年にスプートニク1号が軌道に乗る1年ほど前までは、こんなことは問題外だと断言し続けてきたのです。
その4年後の61年には、ガガーリンの乗った人間衛星船ヴォストーク1号を打ち上げ、人類最初の宇宙旅行に成功しました。さらに69年にはアポロ11号のアームストロングとオルドリンが初めて月面に着陸しました。ここに、古来あらゆる民族が夢に見続け、シラノ・ド・ヴェルジュラック、ヴェルヌ、ウェルズといったSF作家たちがその実現方法を提案してきた月世界旅行は、ドラマティックに実現したのです。気の遠くなるほど長いあいだ夢に見た結果、人類はついに月に立ったのです!



ちなみに、夢を追った経済人といえば、本田宗一郎の名がすぐ思い浮かびます。
彼は「人に信じられないぐらいの夢が、本当の夢だ」と常々語っていたといいます。
クルマ作りに限りない夢とロマンを抱いていた彼は、企業とは多種多様な社員の夢やロマンを実現する場に過ぎないと考えていたそうです。
社長から一社員にいたるまで、1人ひとりがクルマ作りという場を借りて自己実現できれば、企業の目的は達せられます。それが本田宗一郎の企業観であり、経営哲学でした。
企業という組織は多くの乗組員の夢とロマンを乗せた船に他なりません。みんなの夢やロマンが実現する目的地まで航行させるのが船長ならぬ社長の仕事なのでしょう。
「長い間、夢を見てきましたね」という経済記者のインタビューに対して、本田宗一郎は「夢を食って生きてきたみたいだね。ただし俺が見たのは必ず実現する夢ばかりだな。俺はやっぱり技術屋だから、具体的なやつじゃないと嫌なんだ」と答えています。そして、なんと、「世界に人類が40億いるなら、その全部に好かれたい」という途方もない夢を抱いていたとか。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月3日 佐久間庸和