ミャンマー視察報告


18日の明け方、寒さで震えながら目ざめました。
ミャンマーから帰国した翌日ですが、どうも体調が優れません。
あちらでは気温が34度くらいあったのに、日本では13度くらい。
一気に20度も気温が違うと、体調がおかしくなってしまいます。


月次祭を行いました



それでも、今朝は松柏園ホテルの顕斎殿で月次祭を行いました。
戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。
祭主である佐久間進会長に続いて、わたしは参列者を代表して玉串奉奠しました。


佐久間塾のようす

訓話をする佐久間会長



神事の後は、「佐久間塾」および「平成心学塾」を開催しました。
最初に、佐久間進会長による訓話が行われました。
佐久間会長は、まず17歳でノーベル平和賞を受賞した少女の話をしました。
一方で、17歳で殺人を犯した日本の少女の話題にも触れ、「どんな人でも環境によって、良くもなれば悪くもなる。大人は、子どもを正しく導く必要がある」などと述べました。
また、新しく開始されるという「九州賢人会議所」についても説明、「聖人」「賢人」「偉人」「哲人」などの違いなどについて持論を述べました。最後は、わが社がお世話をさせていただいている「世界平和パゴダ」のついてのアイデアなどを披露して訓話を終了しました。


平成心学塾のようす

パワーポイントでバガンの仏教遺跡を解説



次は「平成心学塾」に移って、わたしが講話をしました。昨日、ミャンマー視察から戻ったばかりですので、その話をすることにしました。バガンの仏教遺跡の写真を見せながら、寺院内の貴重な壁画がどんどん傷んでいること、それらを修復・保存することに対して日本の互助会業界がサポートできる方法はないかなどを話しました。


ホテルでの結婚披露宴を紹介

ミャンマーの冠婚事情について



冠婚では、ヤンゴンを代表する高級ホテルである「セドナホテル」で実際に行われた結婚披露宴を紹介しました。豪華な衣装をまとった新郎新婦を中心とした婚礼行列が見事でした。写真やビデオ撮影のスタッフもたくさんいました。これは、相当に裕福なカップルの結婚披露宴のようです。参列者も300人くらいいました。もっとも日本のように食事は出されず、お茶とお菓子だけのティー・パーティーですが・・・・・・。
また、セブンピクチャー社のウェディングフォト・スタジオも紹介しました。
オリジナル・アルバムなども見ると、どうも韓流ドラマの影響が強いようです。
ミャンマーの若者たちが韓国文化に影響を受けていることを指摘しました。


FSSの活動を紹介しました



それから、NPO団体「FFSS(フリー・フューネラル・サービス・ソサエティ)」を紹介しました。
この団体は、1959年生まれのチョートゥー氏が代表を務めています。 彼は政治活動家ですが、もともとは俳優であり、アーティストであり、映画のディレクターでもあります。俳優としてはミャンマー映画界の最大のスターの1人だった人で、なんと2回もアカデミー賞を受賞しています。俳優にして政治活動家でもあるので、彼の名前はミャンマーで非常に有名です。
その知名度を武器に、2000年代からは貧困を助ける活動をずっと続けられています。
災害支援、環境、医療、教育・・・・・・その活動は多岐にわたりますが、最も代表的な活動が貧しい人々に無料で葬儀サービスを提供するFFSS(フリー・フューネラル・サービス・ソサエティ)の活動です。 2001年から2012年の間に、FFSSは12万件以上もの葬儀を無料で行いました。現在も1日40件以上の葬儀を施行しているといいます。
チョートゥー代表には、「アウンサンスーチー女史に続き、ミャンマー人として2人目のノーベル平和賞受賞者になるのではないか」という声が多いそうです。


ミャンマーの霊柩車を紹介

なんと、「紫雲閣」のプレートが!



驚いたのは、スタッフの女性から「日本の霊柩車が大活躍しているんですよ。外に置いてありますので、見られませんか?」と言われ、黄金の霊柩車を見に行ったときです。
その車には、なんと「紫雲閣」のプレートが残されていました。ミャンマーにはバスをはじめとして日本の中古車がたくさん走っていますが、それらの車には「豊橋交通」とか「九州産交」といったプレートがそのまま残されています。そして、わが社がかつて使用していた車が、このミャンマーNPO団体で活躍していたのです。シュエダゴン・パゴダやシュエズィーゴン・パゴダの「黄金の洪水」を見てもわかるように、ミャンマーの人は何よりも黄金色を好みます。なぜなら、それは仏教における天上界の色だからです。そして、はるばる日本の紫雲閣からやって来た霊柩車も黄金色でした。スタッフの女性の説明によれば、「この霊柩車が、パゴダと同じ黄金だということで、大変な人気です。ミャンマーの人々は、この車で送られれば幸せな来世が迎えられると信じています」と言われました。


驚く参加者たち

みんな呆然としていました



かつては黄金の龍が日本の葬祭界を駆けめぐっていたのです。しかし、時代の流れとともに黄金龍はすっかり姿を消してしまいました。ところが、「アジア最後のフロンティア」とされるミャンマーの人々の最期のセレモニーに彩りを添えていたのです。わたしは、これは「この世に不要な物などない。必ず、どこかで必要としている人がいる」という大いなるメッセージではないかとさえ思いました。スクリーンに投影された黄金霊柩車の「紫雲閣」の文字を見て、参加者たちも仰天していました。また、呆然としている人もいました。


ミャンマーとわが社の不思議な縁について話しました



みんな、本当に驚いていました。それにしても、なんという縁でしょうか!
わが社と世界平和パゴダとの不思議な縁の謎が解けたように思えました。
体調は優れませんでしたが、帰国の翌朝に早速、大事な報告をすることができてホッとしました。やはり、この世はお釈迦様の手の平の上にある大いなる有縁社会ですね。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年10月18日 佐久間庸和

無事に帰国しました

ミャンマーの現地時間で16日の21時45分、成田空港行きのNH(全日空)914便に搭乗しました。フライトは約6時間30分でしたが、わたしはミャンマー行の機内で読めなかった『アジア史概説』宮崎市定著(中公文庫)をずっと読んでいました。


飛行機の窓から朝焼けが見えました

日の出を拝みました

思わず、朝日に手を合わせました



わたしはトイレが近いので、いつものように最初は通路側の席に座っていたのですが、隣が空席だったので、空いている窓側の席に移動しました。すると、日本に着く少し前に、はるか雲海の彼方に素晴らしい朝焼けを見ることができました。本当は「夜遅くに飛行機に乗って、早朝に日本に着くのか・・・」とあまり嬉しく思っていなかったのですが、夜明け前に日本の上空を飛ぶことの僥倖を味わいました。というのも、朝焼けの後は、見事な日の出を拝むことが出来たからです。日の出の中、日の本に帰ってくる喜びは格別です。次第に円形に輝く朝日を見ながら、わたしは「ああ、サンレーだ!」と感動し、思わず手を合わせました。


反対側の窓からは富士山が・・・

富士山を見ると、幸せな気分になります

海上に大島も見えました


すると、しばらくして「現在、雪をかぶった富士山が御覧になれます」というアナウンスが入りました。わたしが座っている反対側の席に行って、窓から富士山を拝みました。ブログ「富士山」にも書いたように、わたしはとにかく富士山が大好きなので、とても幸せな気分になりました。近くにいたCAの女性は、いつも富士山を見るたびに「良いことがありますように」と祈るような気持ちになるそうです。やはり、富士山は日本人の心の支えです。
富士山から少し離れて海上に大島も見えました。わたしはブログ「舞台『古事記』」で紹介した演劇で、日本の島々が次々に生まれていく「国生み」のシーンを思い出しました。


成田から福岡へ・・・・・・

iPadで記事を読み、泣きました



成田空港には日本時間で17日の6時50分に到着しました。
このまま福岡行のANAに乗り換えるのですが、まだ早すぎて成田空港内の国内線カウンターが閉っており、わたしはANAのラウンジに入ってシャワーを浴び、モーニング・コーヒーを飲みながら溜まっていたメールのチェックなどをしました。ラウンジには、約3時間滞在しました。
それから搭乗のチェックインをして、登場口のベンチに座ってiPadを開きました。
すると、「交通遺児、ダンプにはねられ死亡 修学旅行前日、母親に続く悲劇」という記事を見つけ、思わず読み耽りました。記事によれば、母親を交通事故で亡くし、交通遺児として作文コンテストで全国入賞した女子高生が、ダンプカーにはねられて死亡する事故があったとか。
この同級生たちは15日、関西への修学旅行へ出発しました。大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)や奈良、京都の古寺を見学する行程でしたが、校長先生は涙声で出発前に生徒たちに事故のことを伝えたそうです。そして、「彼女が楽しみにしていた修学旅行。体験して来たことを遺影に報告してあげてほしい」と言うと、同級生たちはすすり泣きながら静かに聞いていたといいます。わたしは、この記事を読んで涙が出て仕方ありませんでした。そして亡くなった女子高生の冥福を心より祈りつつ、泣きながら成田発10時10分のANA2141便に搭乗し、福岡へ飛びました。


福岡行の機内から見えた富士山

あまりの神々しさに身体が震えました

感動で涙が出てきました



そのANA2141便でも富士山が見えました。
国際便よりも低空飛行だったせいか、今度の富士山はさらに良く見えました。
その姿はもはや「神々しい」としか表現する言葉がないほどで、じっと見ていると、また泣けてきました。日本に帰ってきて急に泣き虫になったみたいですが、それほど感動するくらい素晴らしい眺めでした。富士山を見ていると、「日本に帰ってきた」という実感が湧いてきます。


福岡空港にて、ただいま!



福岡空港には12時15分に着く予定でしたが、着陸直前に他の飛行機が鳥と衝突したそうで着陸できず、結局30分遅れて12時45分に到着しました。連日のハード・スケジュールに長時間のフライトで非常に疲れました。激辛料理が続いたせいか、はたまた昨夜の打ち上げでうっかり口にした氷のせいか、お腹の調子がどうも良くないです。
しかし、18日は早朝から松柏園ホテルの顕斎殿で毎月恒例の「月次祭」が行われ、続いて「平成心学塾」も開催されます。わたしは講話で、今回のミャンマー視察について話すつもりです。夜は、このたび人間国宝になられることが決定した陶芸家の今泉今衛門先生と染織家の築城則子先生を囲む料亭での夕食会に参加します。
正直言って体は辛いですが、弱音は吐けません。
背筋を伸ばし、気を張って「天下布礼」のために頑張ります!



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2014年10月18日 佐久間庸和