別府紫雲閣竣工式   

昨日、宮崎県の延岡市に入りました。ブログ「別府紫雲閣起工式」で紹介したように、昨年10月12日、宮崎県延岡市別府(びゅう)町で「別府(びゅう)紫雲閣」の新築工事起工式が行われました。場所は、サンレー宮崎の結婚式場である「マリエールオークパイン延岡」のすぐ近くです。そして本日、「大安」の2017年3月30日に竣工式が行われました。


完成した別府紫雲閣の外観

別府紫雲閣の前で

「禮鐘」の前で・・・・・・



サンレーグループとして、宮崎県内で6番目、全国で67番目(いずれも完成分)の紫雲閣であります。設計監理はWADA建築研究所さん、施行は川口建設さんです。


ロビーのようす

たくさんの胡蝶蘭が届いていました

気品の漂う親族控室

高級マンションのような控室

落ち着いた雰囲気の休憩室

スタイリッシュなバスルーム



神事の進行は、サンレー宮崎管理課の松本さんが担当しました。神事は地元を代表する由緒ある神社である「春日神社」の木村健宮司にお願いしました。宮司さん以外にももう1人の神職の方が来られて神事を執り行って下さいました。2人の神職による竣工式というのは初めてでしたので、たいへん威厳のある儀式となりました。


竣工式会場の神饌

一同礼!

竣工神事のようす

祝詞奏上のようす

一同、低頭しました

清祓之儀のようす



開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。
それから、玉串奉奠です。最初に、株式会社サンレーの社長であるわたしが玉串を奉奠しました。それから、WADA建築研究所の和田所長、川口建設株式会社の土居社長、サンレーグループ紫雲閣推進本部長である東常務、サンレー宮崎事業部執行役員である尾粼事業部長が次々に玉串を奉奠しました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。


玉串を拝受しました

柏手を打ちました

神職二人による威厳ある神事

最後はもちろん、一同礼!



そして、神酒拝戴の後に感謝状贈呈を行いました。
わたしはWADA建築研究所の和田所長、川口建設の土居社長に向かって心からの感謝の言葉を述べ、感謝状をお渡ししました。みなさんのおかげで、立派な施設が無事に完成いたしました。本当に、ありがたいことです。


主催者挨拶をしました



主催者挨拶です。わたしは施主として次のように挨拶しました。
「このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」


神話の国について話しました



また、わたしは延岡について以下のように話しました。
「もともと宮崎という県名は『宮の崎』すなわち『宮殿の前』といった意味で、とても高貴な名前です。延岡という地名は江戸時代の延岡藩からの流れですが、それ以前は縣(あがた)と呼ばれていました。この縣の地名の由来は古事記日本書紀にみられる吾田(あがた)という説があります。ちなみに延岡市には現在も安賀多という地名が残っています。『別府紫雲閣』の正面に見える愛宕山はかつて、『笠沙山』や『笠沙の御碕』と呼ばれていました。高千穂に降臨された、天照大神の孫のニニギノ尊が吾田長屋の笠沙の岬でコノハナサクヤ姫と出逢い結婚される。そして火照尊(ほでりのみこと=海幸彦)、火須勢理尊(ほすせりのみこと)、火遠理尊(ほおりのみこと=山幸彦)の三皇子をもうける。この火遠理尊の孫が神武天皇であり、ここから日向市美々津のお船出に繋がっていくのです」


神武天皇はたしかに存在した ―神話と伝承を訪ねて

神武天皇はたしかに存在した ―神話と伝承を訪ねて

じつは昨日、小倉から延岡に向かう電車の中で、わたしは『神武天皇はたしかに存在した ―神話と伝承を訪ねて』産経新聞取材班(産経新聞出版)という本を読みました。産経新聞が総力を挙げて神武天皇の実在を検証するというロマンあふれる本でしたが、その中にも愛宕山のくだりが紹介されていました。『神話の国』としての宮崎の魅力を堪能できる一冊でした。


「別府」の地名について話しました



さらに、わたしは別府の地名について次のように話しました。
「『別府』という地名は日本各地に存在しますが、読み方は『べふ』『べっぷ』『びょう』『びゅう』とあるようです。延岡の別府ですが、王朝時代に田地を別に開拓し、別府賜田(べっぷしでん)に指定され、別府賜田が私有地となったために、地名を『別府』と名付けられました。もともとは、『別符』と書いたのが語源だそうです。別符とは、朝廷の特別な文書すなはち特別な勅符で功績のある人に賜った田を言い、のちに田制の乱れから庄園や私墾田と同様になり、地名となりました。宮崎県内では別府のほか、今、中、上、新などを上につけた地名があります。藩政期に出北本村門から枝村として分出し、別府門となった地域が現在の延岡市別府町です」


この地よりびゅうびゅう吹かせ礼の風 その名うるわし別府紫雲閣



そして、わたしは以下のように述べました。
「別府地区は本当に素晴らしい場所です。また、『びゅう』という音は英語の『ビューティフル』を連想させます。まことに、うるわしい地名であると言えるでしょう。この美しい場所で、『礼』という『人間尊重』の風を吹かせたいものです。そして、多くの方々の美しい人生の卒業式のお世話をさせていただきたいです」
最後に、わたしは以下のような道歌を詠みました。


この地よりびゅうびゅう吹かせ礼の風
          その名うるわし別府紫雲閣(庸軒)  


その後、木村貴支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。
決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。


直会のようす

冒頭、わたしが挨拶しました


集合写真を撮影した後は、直会です。
冒頭、わたしが挨拶をしました。わたしは「おかげさまで立派な施設が完成しました。一層のサービスの充実に努めていただきたいと思います」と述べました。


乾杯の挨拶をする木村宮司

木村宮司の音頭で乾杯!

いただきます!

直会のようす

尾崎事業部長による「末広がりの五本締め



そして、春日神社の木村宮司の発声で神酒拝戴の乾杯をしました。
一同は「マリエールオークパイン延岡」の美味しい料理を食べながら、大いに会話の花を咲かせましたが、最後はサンレー宮崎の尾粼事業部長による中締めの挨拶がありました。尾崎事業部長は、サンレー名物の「末広がりの五本締め」で直会を閉じました。


「夕刊デイリー」3月29日号

宮崎日日新聞」3月30日朝刊



また、昨日の「夕刊デイリー」および本日の「宮崎日日新聞」朝刊に広告が掲載されました。
人生の修活ノート』(現代書林)のプレゼントも告知されています。



別府紫雲閣」の見学会は、4月1日(土)・2日(日)に行われます。
多くのみなさまのご来場をお待ちしております。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年3月30日 佐久間庸和