佐久間庸和です。
明日、12月16日から東京に出張します。年内最後の出張で、北九州空港からスターフライヤーに乗って羽田に飛びます。その北九州空港の開港の最大の功労者である末吉興一氏(元北九州市長)がお亡くなりになられました。
ヤフーニュースより
わたしが訃報に接したのは14日でしたが、15日の朝、「元北九州市長の末吉興一さん死去 91歳 北九州空港の整備に尽力」という見出しで毎日新聞配信のヤフーニュースの記事がアップされました。記事には、「北九州市長を5期20年務めた末吉興一(すえよし・こういち)さんが14日、肺炎のため死去した。91歳。通夜は19日午後7時、葬儀は20日午後1時、北九州市小倉北区上富野3の2の8の サンレー 小倉紫雲閣。喪主は妻ミヨ子(みよこ)さん」と書かれています。
父・佐久間進と末吉興一氏を囲む(2012年)
また、記事には末吉氏について「北九州市出身。東大を卒業後、1958年に建設省(現国土交通省)に入省。河川局次長や国土庁土地局長などを経て、87年の市長選で初当選した。強力なリーダーシップで市政をけん引し、24時間離着陸が可能な海上空港の北九州空港(同市小倉南区、福岡県苅田町)や、新産業の創出と地域産業の高度化を目指す北九州学術研究都市(同市若松区)などを整備。門司港(同市門司区)周辺に残る古い町並みを活用し、「門司港レトロ地区」として知られる人気観光地にも成長させた」と書かれています。この門司港レトロ地区の開発はわが父・佐久間進が北九州市観光協会会長時代に情熱を傾けた事業です。父は「門司港レトロ倶楽部」の初代会長も務めました。
父・佐久間進と末吉市長(1994年)
末吉氏は福岡県選出の麻生太郎元首相と関係が深く、2007年の市長退任後、麻生氏の外相在任中に外務省参与を、首相在任中には内閣官房参与を務められました。わたしは生前大変お世話になりました。よくスターフライヤーの機内でお会いました。末吉氏はいつも最前列に座られていて、後方にいるわたしに気づくと隣席に誘ってくれました。わたしがお隣に座ると、「最近、ご商売の方はいかがですか?」と質問され、経済をはじめ、政治や社会全般のお話を羽田着陸の1時間半近くお話しました。いつも「あなたの本は読んでいますよ。よく勉強されているね」とも言って下さいました。
寄付金の目録を末吉市長(当時)にお渡ししました
今からちょうど30年前、わたしが32歳で小倉高校の明陵同窓会総会の当番幹事長を務めたときは、母校の体育館の壇上で同窓生一同からの寄付金を末吉市長(当時)にお渡ししたことも良い思い出です。本当にアイデアマンで、実行力があって、何よりも北九州市を深く愛しておられました。北九州市の歴史を見ても、間違いなく最強で最高の市長さんでした。心より御冥福をお祈りいたします。通夜式および葬儀告別式はわが社の総力をあげてお世話させていただきます。
2025年12月15日 佐久間庸和拝