冠婚葬祭で世直しを!

大型連休の狭間ですが、北九州市は熱気ムンムンです。
前日から日米欧7カ国(G7)エネルギー大臣会議が開催されているからです。
今朝は、サンレー本社において恒例の月初の総合朝礼が行われました。
いよいよ5月ということわけですが、時の流れは本当に速いですね。
ラジオ体操、社歌斉唱に続いて、わたしが社長訓示を行いました。


北九州市G7エネルギー大臣会議が開催!

創立50周年まで、あと200日!

サンレー本社総合朝礼のようす

社長訓示を行いました



わたしは、以下のような話をしました。
このたびの熊本県で始まった地震活動は阿蘇地方や大分県に広がり、被害が拡大しました。熊本で14日夜、益城町でM6.5の地震が起きた後、16日未明にM7.3の地震が発生、これは1995年の阪神大震災に匹敵する規模です。この地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々の不安や心配や苦悩が少しでも軽減されることを心からお祈りいたします。


犠牲者へのお悔やみを述べました



わたしは2014年6月に全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長に就任しましたが、その場所がまさに熊本でしたので、非常に複雑な心境です。
ブログ「熊本へ!」で紹介したように、わたしは4月30日に全互連会長として熊本を訪れ、現地の被害状況を視察するとともに、地元の互助会さんに義捐金をお渡ししてきました。


生殺与奪権は自然の側にある!



それにしても、今回の地震では改めて自然の脅威を嫌というほど思い知らされました。
よく、「自然を守ろう」とか「地球にやさしく」などと言います。しかし、それがいかに傲慢な発想であるかがわかります。やさしくするどころか、自然の気まぐれで人間は生きていられるのです。生殺与奪権は人間にではなく、自然の側にあるということです。


神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる (PHP新書)

神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる (PHP新書)

日本人固有の信仰といえば、神道です。神道とは何か?
日本を代表する宗教哲学者にして神道ソングライターであり、また神主でもある鎌田東二先生は、著書『神道とは何か』(PHP新書)において、「さし昇ってくる朝日に手を合わす。森の主の住む大きな楠にも手を合わす。台風にも火山の噴火にも大地震にも、自然が与える偉大な力を感じとって手を合わす心。どれだけ科学技術が発達したとしても、火山の噴火や地震が起こるのをなくすことはできない。それは地球という、この自然の営みのリズムそのものの発動だからである。」と述べておられます。



世直しの思想

世直しの思想

一番やりたいことは「世直し」だという鎌田先生は、現代の日本は「大中世」とも言うべき激動と混迷の乱世の時代であると訴えます。では、「大中世」とは何か。新著『世直しの思想』(春秋社)で、鎌田先生は「わたしが主張する現代大中世論とは、一言で言えば、4つのチ縁の崩壊現象とそれを踏まえた再建への課題を指している。それはまず、地縁・血縁・知縁・霊縁という4つのチ縁の崩壊現象として現れてくる」と述べておられます。


「世直し」について語りました



さらに鎌田先生は以下のように述べます。
限界集落を抱える地域共同体やコミュニティの崩壊。家族の絆の希薄化と崩壊。知識や情報の揺らぎと不確定さ。『葬式は要らない』とか『無縁社会』と呼ばれるような先祖祭祀や祖先崇拝などの観念や紐帯や儀礼が意味と力を持たなくなった状況。物質的基盤から霊的・スピリチュアルなつながりまで、すべてのレベルでチ縁が崩落し、新たな効果的な再建策やグランドデザインを生み出せないでいるのが今日の現状である」


葬儀は人間に必要な文化装置である!



この発言には、まったく同感です。わたしも、「葬式は、要らない」や「無縁社会」などは亡国のキーワードであると思っていました。そのようなところへ、2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。 「葬式は、要らない」「無縁社会」といった妄言は、M9の大地震が粉々に砕き、大津波が流し去ってしまった観がありました。
遺体も見つからない状況下の被災地で、多くの方々は「普通に葬儀をあげられることは、どんなに幸せなことか」と痛感しました。やはり、葬儀は人間の尊厳に関わる厳粛な儀式であり、遺族の心のバランスを保つために必要な文化装置であると確信します。


「世直し」とは「岩戸開き」である!



「儀式」は「祭り」とも不可分の関係にありますが、そのルーツはどこにあるのでしょうか。鎌田先生によれば、「神楽」という芸能的要素を交えて神々の御霊を慰め、怒りや崇りを鎮める所作、それが祭祀の原型だそうです。そして、それは「天岩戸」という洞窟の前で行われた神々の祭り・儀式です。「天岩戸」という洞窟空間は死と再生という両極のはたらきと運動をもたらす両義的空間であり、墓場にして産屋、死と生の融合した原初空間と言えるでしょう。


岩戸開き世を照らし出す陽の光 儀式で拓く世直しの道



まさに、この「天の岩戸」から儀式は生まれたのです。「世直し」とは「岩戸開き」のこと。すなわち、暗い闇に陽光(サンレー)を射し込ませることなのです。そして、わたしたちは冠婚葬祭という儀式のお手伝いこそ、「こころ」に「かたち」を与え、社会を明るくする世直しであると知らなければなりません。日々の仕事が、そのまま「世直し」となるのです。最後に、わたしは「岩戸開き世を照らし出す陽の光 儀式で拓く世直しの道」という道歌を披露しました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年5月2日 佐久間庸和