空海像

各地には多くの銅像が建立されており、先人の志を感じることができます。
同一人物の銅像が日本中に建てられているケースもよくあります。しかし、銅像の代名詞ともなっている二宮金次郎以外で、数十体レベルとなると日本仏教各宗派の宗祖たちとなるでしょうか。詳細なデータはともかく、真言宗浄土真宗日蓮宗など本山をはじめ、多くの末寺において、空海親鸞日蓮銅像はかなりの銅像が建立されているようです。


弘法大師像が見えてきました

おおおおおおおおっ!!



今回、取り上げる弘法大師こと空海も全国にある真言宗各派の寺院で銅像が建立されていますが、「日本一の弘法大師銅像」が宮崎県延岡市にある今山大師に聳えています。
今山大師は九州49院薬師霊場の第18番札所です。 
1839年(天保10年)、延岡の地で疾病が猛威を振るいました。そこで延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっています。1889年(明治22年)に今山八十八ヵ所を開山、1918年(大正7年)には開基1世の円帰哲禅住職が大師堂を建立しました。


日本一の弘法大師像をバックに



先の太平洋戦争は当時の人々の心に大きな傷跡を残しました。そこで終戦の年、戦争によって心に大きな傷跡を残された人々の願いもあって、第2世・野中豪雄住職が戦没者の慰霊と戦後の復興を祈り弘法大師銅像建立を発願したのです。そして、1957年(昭和32年)4月に世界平和と平和幸福を願って、信徒の浄財1700万円で建立されました。以来、弘法大師銅像は平和のシンボルとして延岡の地に立っています。


「お足撫で」をしました

大師像建立時のようすは、まるでジャイアントロボ



わたしは、弘法大師像の下に立ち、お足撫でをしました。
そして、高さ18mの巨大な姿を見上げながら、その威容に感銘を受けました。「お砂踏み」の施設の中に建設当時の写真が展示されていましたが、それを見て「格納庫の中のジャイアントロボみたいだな」と思いました。延岡に、いや日本に大きな危機が訪れたとき、この弘法大師像もジャイアントロボのように動き出して空を飛ぶような気がしてきました。


日本一の弘法大師像の下で世界平和を祈念する



ちなみに「大師」は、朝廷から僧侶に送られる称号で、これまでに25名に送られました。しかし、「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」という作者不詳の歌にもあるように、師といえば弘法大師として認識され、広く親しまれています。そして、この要因の一端としては伝説・伝承の数の多さ、またその多様さにあります。



一説によれば、沖縄県を除く46都道府県のうちで、弘法大師にまつわる伝説は全国に5000以上、水関係だけで1600以上あるそうです。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士は「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」と空海を評しましたが、そのマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。


リゾートの思想』(河出書房新社



まことに、空海の天才性は計り知れません。
かつて、わたしは『リゾートの思想』(河出書房新社)という本で、空海を超一流のリゾート・プロデューサーだと指摘しました。そのリゾートとは四国八十八ヶ所。四国遍路は、空海がかつて修行をしながら歩いたといわれる八十八ヶ所の霊場をめぐる巡礼のことですが、全長1400キロメートルにものぼる長大な巡礼ルートは、実に綿密に計算されています。



もうこれ以上歩けないと思うと、次の札所に着く。
のどが渇いてたまらなくなると、ちょうど水飲み場がある。
景色に飽きて退屈してくると、急にすばらしい眺望が開ける。ほどよく苦行させて、解放する。四国遍路のゴールである第八十八番札所の医王山大窪寺に辿り着いたころには、すっかりお遍路さんの心のアカが洗い流されて、悩みも消えてしまっている・・・・・・。



この四国遍路では「同行二人」が強く唱えられています。
空海は入定したのであって、普通の人間のように死んだのではありません。目には見えないけれども、昔のままの姿で、今でも空海は四国遍路を修行のため巡礼しているのです。
たとえ一人で遍路していても、いつも空海が一緒にいる。だから、同行二人なのです。


超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ



今年は高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーです。それを記念して、わたしは監訳書である『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓しました。
新年には今山大師に同書を奉納させていただきました。わたしが著書を奉納したのは、2005年の夏にほぼ同時に上梓した『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)と『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の2冊をブログ「松陰神社」で紹介した山口県萩市の神社に奉納して以来です。身が引き締まる思いでした。


奉納式のようす

奉納のお経をあげていただきました

今ここに弘法大師おはします 永遠の真言 世をば照らさん

野中玄雄住職と



わたしが本を差し出すと、野中玄雄住職が受け取られ、仏前に奉納して下さいました。それから野中住職がお経をあげて下さいました。わたしは謹んで「今ここに弘法大師おはします 永遠の真言 世をば照らさん」という歌を詠み、その歌も奉納いたしました。


超訳 空海の言葉』を持って金剛峯寺の正門に立つ



高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した、大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われましたが、本書は、こうした動きにあわせた空海の言葉の超訳本です。わたしも5月8日に開創1200年で盛り上がる高野山を訪れました。旧暦の3月21日に当たる5月9日、旧正御影供が執り行われます。前日に当たる8日の夜には「御逮夜(おたいや)」が執り行われ御影堂で年に一度の一般内拝が出来ますので今回参拝致した次第です。


御影堂の前で

御影堂で御逮夜が行われました



ブッダが開いた仏教と、わたしたち日本人が信仰している仏教は根本的に異なる宗教であると考えています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきです。日本人の「こころ」の中には、仏教の他にも、神道儒教の精神が生きています。
八百万の神々をいただく多神教としての日本の神道も、「慈悲」の心を求める仏教も、思いやりとしての「仁」を重要視する儒教も、他の宗教を認め、共存していける寛容性を持っています。自分だけを絶対視せず、自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容であり、他者に対する畏敬の念を持っています。だからこそ、神道も仏教も儒教も日本において習合し、または融合したのでしょう。


超訳 空海の言葉』をお読みください!



超訳 空海の言葉』は宗教書ではなく、一般の読者の方々に空海の言葉を「わかりやすく」伝えることを目的としています。そのため、かなり思い切った「超訳」を行っている箇所もあります。しかし、現代によみがえった空海のメッセージはきっと読者のみなさんにとって生きる上での大きなヒントとなるはずです。それはまさに、読書における「同行二人」ということではないでしょうか。日本が生んだ最高の天才の言葉を存分に味わっっていただければ、監訳者として嬉しい限りです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年11月8日 佐久間庸和