道歌300首達成!

わたしは、「庸軒」の雅号で道歌を詠んできました。
これまで詠んだ道歌は、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」内の「庸軒歌集」に集められています。また、当ブログの「庸軒道歌」でジャンル別に紹介しています。
このたび、わたしの詠んだ道歌が300首となりました。


グラウンド・ゼロで詠める歌



ブログ「グラウンド・ゼロ」に書いたように、わたしは今月21日(現地時間)にニューヨークにあるワールド・トレード・センターの跡地を訪れました。2001年9月11日、ワールド・トレード・センタービルでは、じつに2753人が犠牲になりました。そして、その中には多くの日本人犠牲者もいました。わたしはグランウンド・ゼロで犠牲者の冥福を祈って合掌し、心からの祈りを捧げました。そして、「グラウンド・ゼロで詠める」として以下の歌を詠みました。



新世紀開けて間もなき悲しみを
    われら忘れじ ゼロは永遠(庸軒)


わたしは、歌には鎮魂のための大いなる言霊が宿っていると思います。
「ゼロ」といえば、島田裕巳氏が提案されている「0葬」が大きな話題になっています。
「0葬」とは葬儀も行わず、火葬場で骨も灰も持ち帰らず、墓も作らないというものです。
まさに唯物論の極みといえますが、こんな考えが注目されつつあり、憂慮しています。
かつて島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』に対抗して、わたしは『葬式は必要!』を世に問いました。今度も、『0葬』に対する反論書として『永遠葬』を上梓する予定です。


300首目の道歌となりました



「0葬」という言葉は、ブログ『永遠の0』で紹介した百田尚樹氏の大ベストセラーを意識しているように思えます。相手が「0」ならば、わたしは「永遠」で勝負したい。もともと、「0」とは古代インドで生まれた概念です。古代インドでは「∞」というサンレーマークに通じる概念も生まれました。この「∞」こそは「無限」であり「永遠」です。紀元前400年から西暦200年頃にかけてのインド数学では、厖大な数の概念を扱っていたジャイナ教の学者たちが早くから無限に関心を持ちました。無限には、1方向の無限、2方向の無限、平面の無限、あらゆる方向の無限、永遠に無限の5種類があるとしました。これにより、ジャイナ教徒の数学者は現在でいうところの集合論や超限数の概念を研究していたのです。もともと、わたしは「0」というのは「無」のことですが、「永遠の0」は「空」を意味すると考えています。
「0」を超えるキーワードは「永遠」しかありません! ちなみに、「世界最高の宗教学者」と呼ばれたエリアーデは「儀式とは永遠性の獲得である」という言葉を残しています。


グラウンド・ゼロの「9/11 MEMORIAL」モニュメントの前で



もともと、この宇宙に生まれた分子はその形を変えこそすれ、消滅することなどありません。
ヒトを焼いて灰になったとしても、その灰の成分は絶対に消えません。
つまり、「0葬」など始めからあり得ないのです。
1人の人間が死ぬというのは大事(おおごと)です。
生き残った者は、大騒ぎする必要があるのではないでしょうか。
葬式もやらずに墓にも入れないという暴挙など絶対に許されません。
そんなことをすれば、日本社会がますます狂っていくことは明らかです。
わたしは大いなる使命感を持って、『永遠葬』を執筆するつもりです。
わたしは、「グラウンド・ゼロ」を「グラウンド・エターナル」と呼びたいです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年9月26日 佐久間庸和