冠婚責任者会議

4日、サンレーグループ「冠婚責任者会議」が開催されました。
会場は、松柏園ホテルバンケットザ・ジュエルボックス」です。
各地から、わが社の誇る“むすびびと”たちが集結しました。


冠婚責任者会議が開かれました



わたしは、17時から恒例の「社長訓話」をしました。
まず、ブログ「新しい『冠婚葬祭入門』を!」で紹介した本について話しました。
その本は、『決定版 冠婚葬祭入門』(実業之日本社)というタイトルに決定しました。
そもそも、「冠婚葬祭」とは何か。「冠婚+葬祭」として、結婚式と葬儀のことだと思っている人も多いようです。たしかに婚礼と葬礼は人生の二大儀礼ではありますが、「冠婚葬祭」のすべてではありません。「冠婚+葬祭」ではなく、あくまで「冠+婚+葬+祭」なのです。


最初に「冠婚葬祭」について話しました



「冠」はもともと元服のことで、誕生から成人までのさまざまな成長行事を「冠」とします。「祭」は先祖の祭祀です。三回忌などの追善供養、春と秋の彼岸や盆、さらには正月、節句、中元、歳暮など、日本の季節行事の多くは先祖を偲び、神を祀る日でした。現在では、正月から大晦日までの年中行事を「祭」とします。


冠婚葬祭とは何か?



そして、「婚」と「葬」があります。結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーというものが、その国の長年培われた宗教的伝統あるいは民族的慣習といったもの、すなわち人々の心の支えともいうべき「民族的よりどころ」となって反映しているからです。
日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在しています。儀式なくして文化はありえず、ある意味で儀式とは「文化の核」であると言えるでしょう。


儀式とは「文化の核」である!



結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。
すなわち、『古事記』に描かれたイザナギイザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町期以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきたのです。
現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれています。しかし、この世に無縁の人などいません。どんな人だって、必ず血縁や地縁があります。そして、多くの人は学校や職場や趣味などでその他にもさまざまな縁を得ていきます。この世には、最初から多くの「縁」で満ちているのです。ただ、それに多くの人々は気づかないだけなのです。
わたしは、「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭ではないかと思います。結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。そもそも人間とは「儀礼的動物」であり、社会を再生産するもの「儀礼的なもの」であると思います。


カタチにはチカラがある!



わたしは、大学の客員教授として孔子の思想なども教えています。
講義では、特に孔子が説いた「礼」について重点的に説明します。「礼」は儀式すなわち冠婚葬祭の中核をなす思想ですが、平たく言うと「人間尊重」であると思います。
「礼」を形にしたものが「儀式」です。孔子は「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」ということを追求した方ですが、その答えとして儀式の重視がありました。人間は儀式を行うことによって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるのです。その意味で、儀式とは、幸福になるためのテクノロジーです。そう、カタチにはチカラがあるのです。


儀式について大いに語る



さらに、儀式の果たす主な役割について考えました。それは、まず「時間を生み出すこと」にあります。日本における儀式あるいは儀礼は、「人生儀礼」(冠婚葬)と「年中行事」(祭)の二種類に大別できますが、これらの儀式は「時間を生み出す」役割を持っていました。
わたしは、「時間を生み出す」という儀式の役割は「時間を楽しむ」に通じるのではないかと思います。「時間を愛でる」と言ってもいいでしょう。日本には「春夏秋冬」の四季があります。わたしは、儀式というものは「人生の季節」のようなものだと思います。  
七五三や成人式、長寿祝いといった人生儀礼とは人生の季節、人生の駅なのです。
わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれません。それはそのまま、人生を肯定することにつながります。
そう、儀式とは人生を肯定することなのです。


冠婚葬祭は感謝の機会である



冠婚葬祭とは、すべてのものに感謝する機会でもあります。
七五三・成人式・長寿祝いなどに共通することは、基本的に「無事に生きられたことを神に感謝する儀式である」ということ。ですから、いずれも神社や神殿での神事が欠かせません。
わたしは、「おめでとう」という言葉は心のサーブで、「ありがとう」という言葉は心のレシーブであると思っています。これまでの成長を見守ってきたくれた神仏・先祖・両親・そして地域の方々へ「ありがとうございます」という感謝を伝える(レシーブ)場を
持つことが、人生を豊かに過ごしていくことにつながるのではないでしょうか。



冠婚葬祭のルールは変わりませんが、マナーは時代によって変化していきます。
最近、情報機器の世界では「アップデート」という言葉をよく聞きます。アップデートによって新しい機能が追加されたり、不具合が解消されたりするわけです。冠婚葬祭にもアップデートが求められます。基本となるルールが「初期設定」なら、マナーは「アップデート」です。
今月末に刊行予定の『決定版 冠婚葬祭入門』は、現代日本の冠婚葬祭における「初期設定」と「アップデート」の両方がわかる解説書をめざして書きました。



それから、わたしは「軍師」の話をしました。
今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」です。「今だって、乱世だ」がキャッチコピーですが、わたしは本当に現代の日本は乱世であると思います。NHKスペシャルの番組名にもなった「無縁社会」とか「老人漂流社会」とか、世は大いに乱れていますから!
この乱世を平定するのは「天下布武」ではなく「天下布礼」だと信じています。武力ではなく、「礼」という人間尊重の精神で世の中を平和にすることです。わが社の新しい事業によって「世直し」を敢行するためにも、社長であるわたしはど真剣になって奮闘する覚悟です。



北九州および大分の新年祝賀会では、「軍師官兵衛」にちなみ、官兵衛の甲冑を着ました。また、今年のマイ・キーワードである「ど真剣」にちなんで、刀を抜いて雄叫びを上げました。もちろん刃は社員のみなさんではなく、自分自身に向けていました。
官兵衛ブームということで、いま戦国時代が熱い注目を浴びています。
戦国時代には、「出陣前の儀式」というものがありました。
軍が集まり、準備が整えば、「いざ出陣」となりますが、戦国時代にはさまざまな儀式がありました。現代よりもはるかに信心深く、神仏や妖怪、あるいは「縁起の良し悪し」を信じていた時代だけに、出陣や戦いは吉日を選んで行いました。出陣に際しても、ただ軍隊を揃えて出発ということはせず、必ず儀式を執り行いました。


「三献の儀」から「禮鐘の儀」へ・・・・・・



出陣前の儀式で有名なのは「三献の儀」です。まず大将の三方に三つの杯を配置し、それぞれに酒を注ぎます。それから「討つ」を意味する“打鮑で”一杯、「勝つ」につながる“勝栗”で一杯、「喜ぶ」の語呂合わせの“のし昆布”で一杯。このように三種の肴で酒を飲み、神に勝利を願ったのです。最後には器を地面に投げつけて割っていたとか。
それは、「おせち料理」や「結納式」にも通じる「験(げん)担(かつ)ぎ」です。
わたしは、この「三献の儀」における「討つ」「勝つ」「喜ぶ」から、新時代の葬送儀礼である「禮鐘の儀」における「感謝」「祈り」「癒し」を連想しました。
また同じく語呂合わせで、矢をつがえない弓を一度鳴らす「人打」という儀式もあったそうです。まことに興味深いですね。



戦国武将たちは、なぜ儀式を行ったのか。ブログ『戦国武将の戦術論』で紹介した本の著者である榎本秋氏は、「儀式は信心深い部下や兵士、民衆たちの士気を上げる手段、吉凶もそれに同じで、戦略・戦術上の事情で都合のいいタイミングを『吉日』にさせようとする暗躍、あるいは自分の行いが成功するという説得力を得るための占いの結果を操作するといった行為が当たり前のようにあったようなのである」と述べています。
戦国武将が、相手を攻めたい日があったとします。
しかし、その日は吉凶的には都合が悪い。でも、ぜひこの日に攻めたい・・・・・・。
そのような場合、戦国武将たちは専用の祈祷を行いました。戦いに明け暮れていた戦国の世では、冠婚葬祭にも通じる「験(げん)を担(かつ)ぐ」文化が色濃く存在したのです。
ある意味で、戦国時代は「こころ」を重んじる時代だったのかもしれません。


「軍師」とは「礼師」である!



ともあれ、今年の大河ドラマは「軍師官兵衛」です。
黒田官兵衛竹中半兵衛といった戦国を代表する軍師が活躍する物語です。
戦国時代の軍師といえば、一般的には、大名の傍で状況を判断したり、作戦を立てたりするといったイメージがあるでしょう。いわば、近現代の軍隊における参謀のような存在ですね。しかし、榎本氏は「戦国時代の軍師の本来の仕事は儀式をとり行い、吉凶を見極めるものであり、どちらかと言うと呪術師に近い存在だったのである」と述べています。
関東地方にあった足利学校は宣教師が「日本唯一の大学」と呼んだ当時有数の教育機関でした。ここから多くの軍師が誕生しました。じつは、この足利学校儒学教育のメッカでもありました。日本で最も孔子の思想を研究する機関でもあったのです。
つまり、足利学校で育成された軍師たちは「礼」を学んでいたのです!
わたしは、「礼の社」で冠婚葬祭業という「礼業」に従事するわたしたちも、ぜひ軍師のような智恵を駆使して、「世直し」に努めようではないかと訴えました。


慈礼」について話しました



そして、わが社の今年のテーマである「慈礼」について話しました。
わが社の小ミッションは「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」です。
冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神にほかなりません。
では、「礼」とは何でしょうか。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということです。ですから、わが社では、さらなる大ミッションを「人間尊重」としています。わたしは、孔子こそは「人間が社会の中でどう生きるか」を考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。その孔子が開いた儒教とは、ある意味で壮大な「人間関係学」といえるのではないでしょうか。



「人間関係学」とは、つまるところ「良い人間関係づくり」を目的としています。
「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となります。
いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。小倉の地と縁の深い小笠原流こそ、日本の礼法の基本です。
特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。
しかしながら、小笠原流礼法などというと、なんだか堅苦しいイメージがあります。
実際、「慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生れてしまいます。
「礼」が形式主義に流れるのを防ぐために、孔子は音楽を持ち出して「礼楽」というものを唱えましたが、わたしたちが日常生活や日常業務の中で、いつもいつも楽器を演奏したり歌ったりするわけにもいきません。ならば、どうすればいいでしょうか。
わたしは、「慈」という言葉を「礼」と組み合わせてはみてはどうかと思い立ちました。



サンレーでは、北九州市門司区の和布刈公園にある日本で唯一のビルマミャンマー)式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいています。
ミャンマー上座部仏教の国です。上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れます。
このパゴダを支援する活動の中で、わたしは上座部仏教の根本経典である「慈経」の存在を知り、そこに説かれている「慈」というものについて考え抜きました。
ブッダの慈しみは、イエス愛も超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。


慈経 自由訳』のPVを流しました



「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。慈恵医大で知られる「慈恵」もある。さらには、儒教の徳目である「仁」と結んだ「仁慈」というものもあります。わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。
すなわち、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。
逆に「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔が可能となります。サンレーの経営理念「S2M」の1つである「お客様の心に響くサービス」が実現するわけです。


慈経 自由訳』PVを全員で観賞しました


最後に、『慈経 自由訳』(三五館)の話をしました。「慈経」(メッタ・スッタ)は、上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」にも比肩します。上座部仏教はかつて、「小乗仏教」などと蔑称された時期がありまし。しかし、上座部仏教の僧侶たちはブッダの教えを忠実に守り、厳しい修行に明け暮れてきたのです。
「メッタ」とは、怒りのない状態を示し、つまるところ「慈しみ」という意味になります。「スッタ」とは、「たて糸」「経」を表します。
終わりに、昨日ユーチューブにアップしたばかりのブログ「『慈経 自由訳』PV」で紹介した動画を流しました。「慈しみ」の心は新郎新婦にも必要です。


懇親会のようす

挨拶をする佐久間会長

わたしも挨拶をしました

カンパ〜イ!



社長訓話の後は懇親会を開催し、親睦を深めました。最初に佐久間進会長が挨拶「みなさん、毎日御苦労さまです。厳しい時代ですが、前向きに創意工夫をしましょう。これからは、企画営業に力を入れて下さい」と言いました。続いて、わたしも挨拶し、「冠婚葬祭ほど、素晴らしい仕事はありません。今夜は、大いに懇親を図って下さい」と言いました。
それから橋本常務の乾杯の音頭で懇親会がスタートしました。


懇親会は大いに盛り上がりました

松柏園名物の「鯛茶漬け」が絶品でした



懇親会は盛り上がり、みんな大いに飲んで食べて語り合いました。
料理はすべて美味しかったですが、特に松柏園名物の「鯛茶漬け」が絶品でした。
最後は、サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。
わが社のオリジナル文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。やはり、カタチにはチカラがあるのだと実感させてくれます。懇親会終了後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれ、大いに交流の輪を広げた夜となりました。


最後は、大塚総支配人の音頭で「末広がりの五本締め」を

二次会のようす



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2014年3月5日 佐久間庸和