酒蔵から割烹旅館へ

ブログ「酒蔵開き」に書いたように、1日の15時から北九州市八幡東区景勝町にある溝上酒造さんを訪れました。小倉ロータリークラブの親睦活動行事としてでした。
「酒蔵探訪の後は、旨い魚を食べに行こう!」ということで、わたしたちは玄界灘方面に向かいました。目的地は、若松の岩屋にある「割烹旅館かねやす」です。


海鮮料理が美味しかったです



酒蔵見学を終えた頃、「かねやす」からのバスが溝上酒造まで迎えに来ました。
わたしたちはそれに乗り込みました。ちょとしたバス・ハイクの気分です。
バスの中では村上副委員長から「佐久間さんのブログをいつも読んでいますが、本当に忙しそうですね」と言われました。また、「佐久間さんのブログは、けっして他人のことを悪く書きませんね。いつも、その人の良い点を見つけて文章にされている。これは素晴らしいことですよ」とおっしゃっていただきました。北九州仏教界の重鎮である村上住職からの有難いお言葉に恐縮しつつも、わたしの胸は喜びでいっぱいでした。村上副委員長がブログで見られたわたしの甲冑姿を話題にされたので、わたしはiPadで甲冑姿の写真を開き、みなさんにお見せしました。非常に盛り上がり、ぜひ今年の忘年会では官兵衛の甲冑を着て「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌ってほしいとのリクエストを受けました。(笑)



そんなこんなで賑やかな会話が車中で続く中、バスは「割烹旅館かねやす」に到着しました。昭和3年(1928年創業)の老舗割烹旅館です。いきなり、乙姫様のように綺麗な仲居さんが大勢で迎えてくれました。また、部屋も歴史の感じさせる渋い感じで、わたしが「まるで竜宮城みたいですね!」と言うと、大迫委員長が爆笑していました。部屋からは海が一望できましたが、あいにくの悪天候で見晴らしは良くありませんでした。
これが晴天だったら、さぞ気持ちが良かったことでしょう。



最初に全員で記念撮影することにしました。酒が入って酔っ払った後の集合写真の撮影は困難と判断されたためです。このあたりは八木副委員長の仕切りでしたが、さすが大ホテルの総支配人さんだけあって見事な判断でした。また八木副委員長は、禁煙席と喫煙席も素早く設置され、わたしは禁煙席に無事に座ることができました。



わたしは、その八木副委員長と事務局の藤崎さんの間に座らせていただきました。
大迫委員長の挨拶に続いて、原田ポスト・ガバナーの音頭で乾杯となりました。
部屋の後方にあるテーブルには、なぜか日本酒ではなく、焼酎の瓶がずらりと並んでいました。まるでブログ「一木会」で紹介した門司港の老舗料亭「ひろせ」で開かれる焼酎を飲む地元財界人の会のようでした。テーブルの上には「魔王」や「伊佐美」などもありました。
わたしは、それらの焼酎をロックで味わいました。


このアワビを見よ!



それにしても、「かねやす」さんの海鮮料理は美味しかったです。
特に、アワビのバター焼が絶品でした。アワビはまだ生きており、箸でつつくと動きました。その形と動きが「あるもの」のよく似ていたのですが、わたしは決してその考えを口に出すことはありませんでした。もちろん、ロータリアンとしての品性に欠けると思ったからです。
何に似ていたのかはご想像にお任せいたします。(笑)


見事な平目の舟盛り



それから、宴会の途中で乙姫様たちが「平目の舟盛り」を運んできました。
その巨大なこと! あまりのインパクトの大きさに、みなさん写メで撮影されていました。
その後、平目の刺身が小皿に盛られて運ばれてきました。
わたしは平目のエンガワが大好物なのですが、とても美味しかったです。



酒が進むにつれ、宴席は大いに盛り上がりました。
わたしの席とは離れた喫煙席に座っている末廣会員(瑞松寺住職)がやたらと話しかけて下さいました。末廣住職は必ず「佐久間先生!」とわたしのことを呼ぶのですが、わたしが「末廣先生」とお呼びすると「失礼な! わたしは大先生ですよ」と言うのです。そこで今度は「末廣大先生」と呼ぶと、「大大先生と呼んでほしいなあ」と言うのです。キリがないので、その後は「末廣さん」で通すことにしました。(苦笑)



この末廣住職は独特のユーモアの持ち主で、最初にお会いしたとき、わたしに向かって「佐久間先生、お願いがあります。わたしに紫雲閣を1つくれませんか? たくさんあるから、1つくらいいいでしょう?」と言うので仰天しました。途中のバスの中から八幡紫雲閣が見えたのですが、例によって住職は「あの紫雲閣をわたしにくれませんか?」と言いました。
そこで、わたしが「いいですよ。その代わりに、瑞松寺さんを頂戴できますか。ひとつ、物々交換で行きましょう!」と言ったところ、住職はもう何も言わなくなりました。(微苦笑)



さて、末廣住職は部屋の片隅にカラオケの機器を発見され、「やあ、カラオケがあるなあ!」と大喜びでした。そして、わたしに向かって「佐久間先生、ぜひ矢沢永吉を歌って下さいよ。ボクは『時間よ止まれ』が歌いたいなあ!」と大きな声で言いました。
どうやら住職には若松の海が「罪なパシフィック」に見えるようです。(笑)



そこで、急遽カラオケタイムが始まりました。宴会場は熱気ムンムンとなり、いよいよ、わたしと末廣住職が矢沢永吉のナンバーを歌う順番となりました。
しかし、そのとき八木副委員長が「はい、ここまでで終わりです。迎えのバスが来ましたよ」と言ったのです。八木副委員長の仕切りのおかげで、わたしは歌わずに済みました。
なにしろ、わたしはカラオケが大嫌いなのです。(微苦笑)
最後は、村上副委員長の中締めの挨拶でお開きとなりました。



小倉駅新幹線口に向かう帰りのバスでは、みんな爆睡していました。
わたしは「くそう、永ちゃんの歌を歌いそびれた」という想いが沸々と湧いてきて、日本酒の瓶を両手に抱えながら傘もささないで、よせばいいのに雨の夜の小倉の街へと歩いていったのでございます。嗚呼、いつまでたってもダメなわたしネ♪


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年3月2日 佐久間庸和