『慈経 自由訳』の朗読

18日の早朝から松柏園ホテルの神殿で行われた月次祭に参加しました。
その後、「平成心学塾」を開催しました。


今朝の月次祭のようす

平成心学塾のようす



最初に、佐久間進会長が話をしました。
会長は、ソチ五輪の話題から入り、それから健康の話へと移りました。
自分の身体を管理することも重要な「マネジメント」であると述べ、聖徳太子ゆかりの四天王寺に伝わる四箇院(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)について話しました。
これらの建立は後世までの四天王寺信仰の基礎をなしました。


健康についての考えを述べる佐久間会長



2004年2月に世界初の高齢者複合施設である「サンレーグランドホテル」がオープンしたとき、わたしは「世界を救う仏教の思想、葬儀こそ日本仏教の核心」という社長訓示を行いました。そこで、サンレーグランドホテルの誕生がお寺本来の機能の復活につながるということを訴えました。仏教伝来以来1500年ものあいだ、日本の寺は生活文化における3つの機能を持っていました。「学び・癒し・楽しみ」です。まず「学び」ですが、日本の教育史上最初に庶民に対して開かれた学校は、空海の創立した綜芸種智院でした。また江戸時代の教育を支えていたのは寺子屋でした。寺は庶民の学びの場だったのです。
次の「癒し」ですが、日本に仏教が渡来し最初に建立された寺である四天王寺は4つの施設からなっていました。「療薬院」「施薬院」「悲田院」「敬田院」の4つですが、最初の3つは、順に病院、薬局、家のない人々やハンセン病患者の救済施設であり、最後の敬田院のみが儀式や修行を行う機関でした。四天王寺にして、当時の総合医療センターであり、中世以降も高野聖など、寺に定住しないで行く先々の地域の問題に対応した多くの僧たちがいました。最後の「楽しみ」、芸術文化ですが、日本文化ではそもそも芸術、芸能は神仏に奉納する芸であって、それ自体が宗教行為でした。お寺を新築するときの資金集めのための勧進興行などがお堂や境内で大々的に行なわれました。
こう考えてみると、「学び・癒し・楽しみ」は仏教寺院がそもそも日本人の生活文化において担っていた機能だったのです。しかし、明治に入って、「学び」は学校へ、「癒し」は病院へ、「楽しみ」は劇場や放送へと、行政サービスや商業的サービスへと奪われてしまい、寺に残った機能は葬式だけになってしまいました。
サンレーグランドホテルはまさに、かつてのお寺が持っていた「学び・癒し・楽しみ」をテーマとする複合施設です。現在、全国各地のお寺でさまざまなイベントやセミナーなどが開催され、「お寺ルネサンス」が叫ばれていますが、実は21世紀の祇園精舎をめざすサンレーグランドホテルの誕生こそが真の「お寺ルネサンス」なのです。


「こころざし」の歌を披露した佐久間会長


サンレーグランドホテルの所在地は北九州市八幡西区の折尾ですが、佐久間会長はサンレー本社のある小倉北区の上富野を中心に現代の「四箇院」を甦らせたいと述べました。
そして、宮本武蔵にはじまって、森鴎外夏目漱石松本清張五木寛之といった人々のエピソードを披露しながら、上富野がいかに文化性に富んだ土地であるかを説明しました。
もともと松柏園ホテルの所在地であり、サンレーを創業した上富野の地を美しく再生したいという佐久間会長の想いがひしひしと伝わってきました。最後に「ウチの社長がよく歌を詠むが、わたしも一首作ってみました」と言って、以下のような素晴らしい歌を披露されました。
「こころざし高く世のため人のため 限りある身の力ためさん」


わたしも訓話を行いました



佐久間会長に続いて、わたしも訓話を行いました。
わたしは最初にNHK大河ドラマの「軍師官兵衛」の話をしました。
黒田官兵衛竹中半兵衛といった戦国を代表する軍師が活躍する物語です。
戦国時代の軍師といえば、一般的には、大名の傍で状況を判断したり、作戦を立てたりするといったイメージがあるでしょう。いわば、近現代の軍隊における参謀のような存在ですね。しかし、戦国時代の軍師の本来の仕事は儀式をとり行い、吉凶を見極める存在でした。関東地方にあった足利学校は宣教師が「日本唯一の大学」と呼んだ当時有数の教育機関でした。ここから多くの軍師が誕生しました。じつは、この足利学校儒学教育のメッカでもありました。日本で最も孔子の思想を研究する機関でもあったのです。
つまり、足利学校で育成された軍師たちは「礼」を学んでいたのです。
「礼の社」で冠婚葬祭業という「礼業」に従事するわたしたちも、ぜひ軍師のような智恵を駆使して、「世直し」に努めようと訴えました。それから、ブログ「加賀屋に学ぶ」ブログ「久留米の社葬」の内容などに触れ、冠婚葬祭業界の近況などを話しました。


エリジウム」と「月」の話をしました



それから、ブログ「エリジウム」で紹介した映画の話題に触れ、医療ユートピアとしての“月”について述べました。地球ではどうしても治らず苦しめられた病気が、月面に来ると嘘のように治ってしまうケースがいろいろと考えられると言われています。
その代表例が、筋肉、関節、骨などの病気です。
地球上では、車椅子の生活を強いられたり、寝たきりになってしまうこともあります。しかし、重力が地球の6分の1である月では、体重も6分の1になり、松葉杖や車椅子なしで歩くことができるかもしれないのです。地球上では放っておけば悪くなる一方の関節炎やリューマチは、月面ではみるみるうちに快癒していく可能性もあるのです。


月に行けば、あらゆる病気が治る?



循環器系や呼吸器系の病気の治療にも月面は最適の場所です。動脈硬化など心臓にプレッシャーがかかると危ないような病気には、低重力は大きな効果を示すに違いありません。月面基地や月面ホテルなどの建造物内は温度と湿度が一定に保たれますから、喘息などの呼吸疾患を持つ人にもハンディキャップはなくなります。月で立つことは、地球で寝ているよりも疲れないのです。地球では電車の席が空くと、みんな争って座りたがりますが、これは重力のなせるわざ。月面では、24時間連続立ったままでも、それほど疲れません。
いわゆる老人性痴呆症は身体が不自由になるところからはじまるというのが定説ですが、その意味で月面は、老人が肉体的に快適に過ごすには格好の場所なのです。そのような老人たちがいったん月に住んだら、地球は帰りたくないほど辛いところだと思うかもしれません。


慈経 自由訳』を紹介しました



月はもともと人間の生死を司っています。月の満ち欠けが潮の干満に影響を起こし、それが人間の誕生と死に影響を与えるからです。そして「月が生死をコントロールしている」という事実に人類で最初に気づいた方こそ、ブッダでした。
ブッダが説いた最古のお経こそ、「慈経」です。象徴的なことに、ブッダは満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられています。満月は満たされた心のシンボルです。
ブッダ自身が満月の夜に生まれ、悟りを開き、亡くなったとも言われています。


慈経 自由訳』の朗読風景



今日はブログ『慈経 自由訳』で紹介した新刊本について説明しながら、その教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれると述べました。それは無縁社会も老人漂流社会も超える教えなのです。
そして、美声で知られるサンレー企画課の西宏課長がパワーポイントでスクリーンに映し出された『慈経 自由訳』(三五館)を朗読してくれました。
それはそれは素晴らしい声で、古代インドの僧侶のような雰囲気を持っていました。


慈経 自由訳』の朗読風景



今度の本には、わが自由訳の文章に世界的写真家であるリサ・ヴォートさんの美しい写真が添えられています。参加者も、写真の美しさには圧倒されていました。
「慈経」のメッセージが世に広まれば、人々が幸福になります。
「慈経」によって、多くの日本人の心が安らかになることを願っています。
本日は、この後、午後から某大学を訪問。理事長、副理事長、学長にお会いします。
詳しい内容はまだ明かせませんが、「天下布礼」の歩みは続きます。


慈経 自由訳

慈経 自由訳

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年2月18日 佐久間庸和