久留米の社葬

今日は、同業である冠婚葬祭互助会の会長さんの葬儀に参列しました。
福岡県の久留米市に本社を置く冠婚葬祭互助会である(株)サンセレモホールディングスの故・平田正彦会長の社葬です。わたしは、サンレー紫雲閣企画課の黒木昭一課長とともに久留米市の「祭礼ホール」に向かいました。


祭礼ホールの前で

会場となった祭礼ホール



平田会長は、同じ業界に生きるという「業界縁」のある方でした。業界の大先輩として、わたしは大変お世話になりました。また、ご長男で(株)サンセレモホールディングスの平田義孝統括本部長とは、全互協・九州ブロックの仲間として親しくさせていただいています。


入口脇には思い出の写真が掲示

故人を偲ぶ「思い出のアルバム」



ホールの中に入ると、故人の写真がイーゼルに飾られており、テーブルの上には「思い出のアルバム」が置かれていました。故人の人生を振り返る上で、写真はとても大切です。
わたしは、写真とは「思い出」そのものではないかと思います。


会場の横に会長室を再現

在りし日の会長室



驚いたのは、社葬の会場の横に故人が在りし日に愛用していた会長室が忠実に再現されていたことです。机の上の小物をはじめ、飾り棚の上の置物や人形や花、応接セットに至るまで、すべてが忠実に再現されていました。各種の歴史記念館や文学館などで、このような部屋や書斎の再現は見たことはありますが、社葬の場では初めてです。わたしは、素晴らしい試みであると思いました。人間ひとりの「人生」が集まって、「歴史」となります。 無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。そのことを実感しました。
わたし自身、佐久間進サンレーグループ会長とともに、故人の会長室にお邪魔したことがあり、非常になつかしかったです。在りし日の故人の面影がありありと浮かんできました。


業界関係者から多くの花が・・・・・


会場には、業界関係者から多くの花が届いていました。
また、全国から多くの互助会の社長さんたちが来られていました。
特に全冠協(玉姫殿グループ)の方々はほとんど参列されており、その結束力には敬服しました。わが社は全互連(平安閣グループ)に身を置いていますが、全互連はもっと全冠協のチームワークを見習う必要があると強く思いました。



葬儀副委員長を務められたセルモグループの安田征史会長が業界を代表して弔辞を読まれましたが、素晴らしい内容でした。人智を超えた不思議な話から始まり、故人との「縁」についてお話しされました。安田会長の弔辞には深い感銘を受けました。
また、故人を偲ぶビデオには、多くの業界関係者の若き日の姿が映し出されました。わたしの隣に座っていたベルコの齋藤斎社長が「みんな、若い頃があったんですよね」「人が1人いなくなるってことは、大変なことですよね」としみじみと言われていましたが、同感ですね。


「社葬の栞」には故人の歩みが・・・・・



多くの「おくりびと」に送られて、平田会長はさぞ喜んでおられるだろうと思いました。
アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が話題になりましたね。
でも、映画のヒットによって「おくりびと」という言葉が納棺師や葬儀社のスタッフを意味すると思い込んでいる人が多いようです。でも、それは違います。



おくりびと」の本当の意味とは、葬儀に参加する参列者のことなのです。
人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。
1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示します。
豊かな人間関係に恵まれて、人生を堂々と卒業していかれた平田会長。
今日は、わたしも1人の「おくりびと」になりました。
最後に、平田正彦会長の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



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2014年2月17日 佐久間庸和