黒田官兵衛論

金沢から小倉に戻りました。今日は金曜日なので、ロータリーのある日です。
ブログ「新年夜間初例会」に書いたように、先週は新年会を兼ねて松柏園ホテルで開催されました。いわゆる通常例会は今日が今年最初となります。
小倉ロータリークラブの会員であるわたしは、いつものように例会に参加しました。


本日の例会のようす



まずは今年最初の誕生日祝い、結婚記念祝いが行われました。
誕生日祝いをされた会員の代表で壇上に立った永照寺住職の村上会員は、「わたしは4000kgの巨大児として生まれました。4歳までお乳を飲んでいました。これからは、晩節を汚さぬように頑張りたいと思います」と述べ、会場は温かい笑いに包まれました。
本当に村上住職は、ユーモア満点の方です。仏教界が誇るユーモリストです。
この後も、「二村会長が戦国武将だったとしたら、黒田官兵衛ならぬ二村呑兵衛でしょう」と言われて、わたしは腹がよじれるほど笑いました。



その二村会長ですが、会長挨拶で次のように述べられました。
「NHKの『軍師官兵衛』がスタートしました。これまで2回放送されたようですが、わたしは観ておりません。たぶん、これからも観ないでしょう。(笑)時代劇が好きで、いつも『鼠小僧』を観ています。時代劇はいいですよ。みなさんもぜひ時代劇を観て下さい」
この挨拶も面白く、わたしは笑い転げました。本当に小倉ロータリーの例会は愉快です!



そして、卓話の時間になりました。今日の卓話のタイトルはずばり「黒田官兵衛論」!
北九州市八幡西区の井上智明次長が話して下さいました。井上次長は、「長崎街道を愛する会」のお世話もしておられます。卓話者の紹介で、NHK北九州放送局の村益健太局長が壇上に立ち、「二村会長の言われるように、これまで2回の放送がありましたが、北部九州の視聴率がダントツでした」と言われていました。


黒田官兵衛論ゆかりの黒崎宿

黒崎宿のようす



井上次長によれば、福岡や中津に比べて、北九州市は官兵衛ブームに乗り遅れ気味で、昨年9月にようやく「黒田官兵衛PR委員会」を発足したそうです。
官兵衛こと黒田如水は黒田藩の機密を守るため、福岡に至る長崎街道を整備しました。そこで栄えたのが、八幡西区に残る「黒崎宿」です。昨年、八幡工業高校の生徒さんたちによって「黒崎一夜城」が製作され、話題を呼んだとか。


黒田官兵衛とは

官兵衛の「キセキ」とは



それでは、黒田官兵衛とは何者か。井上次長から多くの資料をいただいたのですが、その中にあった「福岡を創った男 黒田官兵衛」(「軍師官兵衛」福岡プロジェクト協議会発行)というパンフレットが非常にわかりやすくて、興味深く読めました。
その冒頭には、「官兵衛の『キセキ』」というタイトルで以下のように書かれています。
織田信長豊臣秀吉徳川家康
3人の天下人に愛され、恐れられた男、官兵衛。
その類まれな知略と先見性で戦国の世を駆け抜けた知将・黒田官兵衛孝高(如水)は、戦乱の世にあって『戦わずして勝つ』を実行した、奇跡の名将といえるかもしれない。
播州御着城主・小寺家の家老に過ぎない官兵衛が、一躍歴史の表舞台に登場したのは、信長に拝謁した30才の頃。確かな知識と情報収集力で、いちはやく信長支持を表明し、天下布武の突破口を開いた八面六臂の活躍は、貴石のような輝きを放っている。
本能寺の変で信長が斃れた後も、秀吉の天下取りを支え導いた。
天下取りを支えた最強の軍師という一面だけでなく、同時に側室を持たず1人の女性を愛した愛妻家、歌や茶会を愛する文化人、キリシタン大名であるなど、豊かな人間性を兼ね備えている。敵の武将までもが自ら進んで官兵衛の軍門に降るのも、官兵衛の将としての器の大きさを物語っている。官兵衛の軌跡をたどると、大きな歴史ロマンが見え隠れする。
九州・福岡こそ、そんな官兵衛の総決算にして集大成。
彼の想いを乗せて、福岡は始まった」
この文章は、「奇跡」「貴石」「軌跡」という3つの「キセキ」を織り込んだ名文ですね。


甲冑姿の防犯パトロール



現在、黒崎宿のあった八幡西区黒埼では、さまざまな官兵衛関連のイベントが行われているようです。昨年の12月25日のクリスマスには、黒崎警察署の猛者たちが甲冑を着て防犯パレードを行ったそうです。う〜、観たかったなあ、そのパレード!
ブログ「甲冑」でも紹介したように、わたしも今年は新年早々に官兵衛の甲冑を着て気合いを入れました。今度、そのようなパレードがあれば、わたしもぜひ参加したいところですが、あの重い鎧と兜を着けたまま長距離を歩くのだけはカンベーしてほしい!(笑)


官兵衛の甲冑を着て、気合いを入れる!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年1月17日 佐久間庸和