小倉南RC卓話

5日、わたしは小倉南ロータリークラブで卓話を行いました。
プログラム委員長である田村忠嗣さん(田村産業社長)のお声がけにより、今回のわたしの卓話が実現しました。現在の会長である藁田二三男さん(ハーティブレーン社長)にもお世話になっています。また、第一交通産業の黒土始会長、北九州ユニセフ協会の藤本新二会長にも日頃より御指導をいただいています。


古巣の小倉南ロータリークラブにやってきました



わたしは現在、小倉ロータリークラブの会員です。しかし、もともとは小倉南クラブに12年間以上もお世話になりました。出張が多くなって出席が叶わず休会しましたが、その後、わが社の常務が入会させていただいたため、わたしの戻る場所がなくなりました。そこで、小倉クラブのシニアメンバーである佐久間会長と交代することになったのです。


11月5日の例会のようす



かつて所属したクラブで卓話を行うことは、きわめて異例のことだそうです。
それを知ったわたしは、田村委員長のお誘いをお受けすることを少しだけ躊躇しました。
しかし、長らくお世話になった方々に正々堂々とお会いし、改めて御礼を申し上げたいという思いがあったので、あえて出陣することを決心しました。


挨拶する藁田会長



例会がスタートすると、昔ながらのクラブの雰囲気がなつかしかったです。
もちろん、わたしの知らない新しい会員さんもたくさん入会されていましたが、お世話になった先輩方の顔もたくさんありました。
そう、思い起こせば、わが社が一番苦しい頃に、わたしは小倉南クラブに通っていました。そして、先輩方から色々と励ましていただいたのです。
そのことを思い出すと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
昼食が終って「ニコニコBOX」の時間になると、「花のコーヤ」の神谷社長をはじめ、7名もの方々が歓迎のニコニコをして下さいました。とても嬉しかったです。
また、わたしの代わりに会員となったサンレーの橋本洋介常務が「今日は、うちの社長をよろしくお願いします」という内容のニコニコをしてくれました。


古巣で卓話を行いました



さて、ついに卓話の時間が始まりました。
テーマは「ハートフル・シティをめざして〜日本一の『思いやり都市』をつくる〜」です。
タイトルに入っている「ハートフル」は、わたしの考え方を集約する言葉です。
いま、あちこちで「ハートフル」という言葉を目にしたり、耳にしたりします。じつは、わたしが約26年前に『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)という本を書き、はじめて生み出した言葉です。約10年間の休筆期間を経て、2005年には『ハートフル・ソサエティ』を上梓、06年には「ハートフル・マネジメント」を副題とする『孔子とドラッカー』、07年には「ハートフル・リーダーシップ」を副題とする『龍馬とカエサル』を三五館から上梓しました。同社からは、本名の佐久間庸和として『ハートフル・カンパニー』(三五館)も刊行されています。


「ハートフル」とは何か?



また、「ハートフル・ティーのすすめ」こと『茶をたのしむ』、「ハートフル・フラワーのすすめ」こと『花をたのしむ』、「ハートフル・ライティングのすすめ」こと『灯をたのしむ』、「ハートフル・フレグランスのすすめ」こと『香をたのしむ』を現代書林から上梓しました。さらには、これまで「ハートフル・ライフ」、「ハートフル・シーズン」、「ハートフル・マネジメント」、「ハートフル・マナー」、「ハートフル・エピソード」、「ハートフル・ブックス」、「ハートフル・メッセージ」、「ハートフル通信」のタイトルで、多くの新聞や雑誌に連載コラムを書いてきました。
まさに、「ハートフル」という言葉はわたしの代名詞だと思っています。


冠婚葬祭についても話しました



現代は、いわゆる高度情報社会です。IT社会とも呼ばれます。ITとはインフォメーション・テクノロジーの略ですが、重要なのはI(情報)であって、T(技術)ではありません。その情報にしても、技術、つまりコンピューターから出てくるものは過去のものにすぎません。情報社会の本当の主役はまだ現れていません。本当の主役、本当の情報とは何でしょうか。



情報の「情」とは、心の動きに他なりません。本来の情報とは、心の動きを報せることなのです。だから、真の情報社会とは、心の社会なのです。そこで「ハートフル」が出てきます。「ハートフル」とは、思いやり、感謝、感動、癒し・・・・・あらゆる良い心の働きを表現する言葉です。それは仏教の「慈悲」、儒教の「仁」、キリスト教の「隣人愛」などにも通じます。それは自らの心にあふれ、かつ、他人にも与えることのできるものなのです。


「人間の幸せ」について



わたしは、北九州市は「ハートフル・シティ」をめざすべきだと思います。
現在、全国には約470万人もの独居老人が分散しています。
それらの方々の中には、孤独死をする危険性が高い方も多いです。
そういった方々に北九州に参集していただき、余生を過ごしていただきたいのです。
高齢化先進都市である北九州市は、高齢者が多いことを「強み」として、日本一、高齢者が安心して楽しく生活できる街づくりを目指すべきだと思います。


隣人館について説明しました



そこで、大事なポイントは「孤独死をしない」ということです。
そのための受け皿として、わが社は「隣人館」をどんどん作っていきます。
その他にも、隣人祭りをはじめとした多種多様なノウハウを駆使して、孤独死を徹底的に防止するシステムを構築することが必要です。そうなれば、「北九州にさえ行けば、仲間もできて、孤独死しなくて済む」というふうになるのではないでしょうか。
全国の独居老人には、どんどん北九州に移住していただきたいと真剣に願っています。


全国の独居老人は北九州市へ!



もともと、わたしは北九州市を「高齢者福祉特区」にするべきだと訴えてきました。
そして「人は老いるほど豊かになる」というコンセプトに基づく「老福都市」をイメージし、そのモデルとして高齢者複合施設である「サンレーグランドホテル」を北九州市の八幡西区に作りました。いわゆるセレモニーホールと高齢者用のカルチャーセンターなどが合体した前代未聞の施設として大きな話題になりました。



近代工業社会はひたすら「若さ」と「生」を謳歌し、讃美してきました。
しかし、高齢化社会では「老い」と「死」を直視して、前向きにとらえていかなければなりません。今こそ幸福な「老い」と「死」のデザインが求められているのだと考えています。
日本は世界でもっとも高齢化が進行している国ですが、その中でも北九州市はもっとも高齢化が進行している政令指定都市です。つまり100万都市でいえば、北九州市は世界一の超高齢化都市であるといえます。その多くの高齢者が生活する北九州市において「老い」が不幸だとしたらどうなるでしょうか?
北九州市は不幸な人間がもっとも多くいる世界一不幸な街になります。
しかし逆に、「老い」が幸福だとしたら、世界一幸福な街になるのです。


隣人祭り」で北九州市を世界一幸福な街に・・・



世界一幸福な街と世界一不幸な街。まさに、天国か地獄かです。
老い」のとらえかたひとつでこんなにも変わるのです。
それなら、わたしたちは天国を選ぶしか道はありません。
ですから、「老い」と「死」に価値を置く施設であるサンレーグランドホテル北九州市に誕生したことは多くの方々から評価されました。なぜなら、高齢化が進む日本の諸都市、世界各国の都市にとって北九州市とは自らの未来の姿そのものだからです。
こういった考え方そのものが、ドラッカーの「強みを生かす」という思想をベースにしていていることがおわかりいただけるかと思います。



わたしは、北九州市は「老福都市」を、「助け合い都市」を、そして「隣人都市」を目指すべきだと確信します。わが社は、ぜひ、そんなハートフル・シティの実現のお手伝いをしたいです。わが社は、「人間尊重」をミッションとして、さまざまな事業や活動に取り組んでいます。これまで、「社会に良いことをしても儲からない」と言われていました。しかし、これからは「社会に良いことをしないと儲からない」時代だと思います。



北九州市には、社会に良いことをしている企業がたくさんあります。また、高齢者や被災者の方々を支える「思いやり」のある人々がたくさんいます。小倉南クラブの方々が「思いやり」あふれる方々だということは、12年間お世話になったわたしがよく知っています。
北九州市は、きっと日本一の「思いやり都市」になれると思います。わたしの卓話は、以上のような内容でした。卓話を終えると、みなさんから盛大な拍手を頂戴して、感激しました。


小倉南クラブのみなさん、ありがとうございました!



正直言って、今日は少しだけ緊張して古巣の例会場を訪れました。
もしかして、気性の荒い無法松のような人から「この裏切りもんが!」とか「何しに来たんか!」とか言われて塩をまかれたり、罵倒されることも覚悟していたのです。
しかし、みなさん、とても気さくに接して下さって安心しました。
温かいお言葉も多くかけていただき、感動しました。
そして、「ああ、わたしは、この方々と御縁をいただくことができて、本当に幸せだなあ」としみじみと思い、「この世は有縁社会だなあ」と実感しました。
小倉南ロータリークラブのみなさん、今日はありがとうございました。
そして、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!


小倉南ロータリークラブ第2130例会記録

小倉南ロータリークラブ第2130例会記録



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年11月5日 佐久間庸和