同志との再会

ブログ「三和物産社葬」で紹介したように、小松で行われた社葬に参列しました。
社葬には冠婚葬祭会社の経営者の方々も多数参列されていましたが、公益社の古内耕太郎社長と久々に再会しました。葬儀とは、人に再会する貴重な場でもあるのです。


公益社の古内耕太郎社長と


公益社さんは、東証大証一部上場企業である燦ホールディングス(株)のグループ中核企業で、葬儀業界のリーディング・カンパニーです。東京出身の古内社長は、1963年生まれで、わたしと同い年です。外資系の保険会社を経て、フューネラル業界に転職されました。
古内社長とは、2009年の末に、東京のホテルニューオータニの「ガーデンラウンジ」で始めてお会いしました。「月刊フューネラルビジネス」を発刊している綜合ユニコムのフューネラル事業部・統括部長であった波多野豊氏の紹介でした。



波多野部長がとても嬉しそうに、「ともに若きリーダーとして、お二人が業界を引っ張っていって下さい!」とわたしたちに言われたことを憶えています。その波多野部長は、2011年の4月9日、胃ガンにより逝去されました。享年57歳という若さでした。
わたしは、大変お世話になった波多野部長から紹介していただいた古内社長との御縁を大切にしたいと心から思っています。



古内社長と二度目にお会いしたのは、2010年の2月19日でした。
ブログ「葬式は、要るさ!」にも書きましたが、わたしが大阪の公益社さんの本社に出向いて、古内社長と対談したのです。その内容は、鎌倉書房から発刊されている「月刊 仏事」4月号に、なんと巻頭17ページにわたって掲載されました。
そこで古内社長とわたしは、葬儀業界の「今」と「これから」を大いに語り合いました。



公益社さんは専門葬儀社さんで、わが社は冠婚葬祭互助会です。この両業界は、日頃は反目しているとされています。また、相手を批判し合う会社もあります。でも、ともに「おくりびと」集団であり、社会的にも最も意義のある事業に携わっている点では同じです。わたしは、公益社さんを素晴らしい会社であると思っています。対談の際、古内社長は「葬儀は文化です」と何度もおっしゃっていました。わたしも、まったく同感です。葬儀産業は、哲学産業であり、芸術産業であり、宗教産業です。すなわち、葬儀産業とは究極の文化産業なのです。


グリーフケア

グリーフケア

わたしが何より公益社さんをリスペクトするのは、グリーフケアに力を入れてこられたことです。古内社長には、ブログ『グリーフケア』で紹介した関西学院大学人間福祉学部の坂口幸弘准教授との共著があります。この本は素晴らしい内容なので、わたしの最新作である『永遠葬』にも一部を引用させていただきました。
また、公益社さんは「陽だまりの会」というグリーフケアの会を組織しておられます。
わが社でも、「月あかりの会」を組織しています。今後、2つの会の交流などが実現できればいいと思います。「陽だまり」と「月あかり」の交流なんて、素敵ではないですか!



公益社さんの東京での旗艦店である世田谷会館の見学をはじめ、東京でのイベント見学などもお願いしました。また、業界のリーディング・カンパニーである同社は「葬儀研究所」というシンクタンクも持っておられます。わたしは冠婚葬祭総合研究所の客員研究員に就任しましたので、公益社さんの研究所について教えていただきたいと思っています。
この日は燦ホールディングス(株)の執行役員管理本部の山本浩部長もご一緒で、今後、山本部長から各種のご案内をいただけることになりました。ありがたいことです。



公益社さんには学ばせていただくことが多く、深く感謝しております。
今日は、公益社ファンであるわが社の黒木昭一部長も沖縄から来ていました。
黒木部長も憧れの古内社長にお会いして、とても感激していました。
これから、わたしは黒木部長とともに東京に向かいます。
あるミッションのために・・・・・・合言葉は、非道を知らず存ぜず



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2015年7月4日 佐久間庸和

三和物産社葬

石川県の小松市に来ています。小松に本社のある三和物産の濱永良榮会長がお亡くなりになられ、わが社の「小松紫雲閣」で同社の社葬が盛大に行われました。
わたしも日頃より濱永会長には大変お世話になっておりました。


三和物産さんの社葬会場の前で

素晴らしい祭壇でした

300人以上が参列しました



三和物産さんといえば、冠婚葬祭関連企業の名門中の名門です。わが社の「禮鐘の儀」にも賛同していただき、その普及に甚大な協力をいただいております。社葬には多くの方々が参集され、故人様がいかに「縁」を大切にされた方であるかがわかりました。


6人の僧侶が儀式を執り行う

生花もたくさん届きました

業界関係の生花も多かったです

故人を偲ぶコーナー



社葬は6人もの僧侶によって執り行われました。
最初に親族代表として、葬儀委員長の濱永輿三次前社長が御挨拶をされました。
故人の弟さんである濱永委員長によれば、三和物産さんの「三和」とは「社員の和」「顧客との和」「社会との和」を意味するそうです。素晴らしい社名ですね。
最初に弔辞を読まれた木下(株)の木下正会長も、次に友人代表として弔辞を読まれた(株)いのうえの井上峰一社長も、素晴らしい言葉を故人に贈られました。大変勉強になりました。


「三和」の社名に込められた意味とは?



最後は喪主である濱永良成社長が御挨拶をされました。
故人の息子さんである濱永社長は、さまざまなエピソードを披露して下さいました。
小学校の頃、死ぬのが怖くて仕方なかった良成少年はお父さんにそのことを打ち明けたそうです。すると、お父さんは「大人になったら怖くなくなくなるぞ!」と一言だけ言われたそうです。それを聞いて、良成少年の死に対する恐怖は吹っ飛んだとか。このように短くシンプルな言葉で子どもの不安を解消することができた故人は「人生の達人」であると思います。


挨拶する喪主の濱永社長




また、高校生になった良成少年は「人間はどう生きるべきか」と父親に問うたそうです。すると、父は「仕事で社会のために役に立つこと」と答えました。それを聞いたとき、「きれいごとじゃないか」と思ったという良成社長も、今ではその言葉の通りだと思われているそうです。
最後に、良成社長は「父は亡くなりましたが、その想いは三和物産の中に生きています」と言われました。わたしは、それを聞いて、拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に出てくる「孝」についての内容を思い出しました。


「生命の連続」を実感しました



孔子は「孝」を説き、ドラッカーには「会社」という概念を説きました
この「会社」という概念は、「孝」と同じく、「生命の連続」に通じます。
世界中のエクセレント・カンパニー、ビジョナリー・カンパニー、そしてミッショナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。エディソンや豊田佐吉やマリオットやデイズニーやウォルマートの身体はこの世から消滅しても、志や経営理念という彼らの心は会社の中に綿々と生き続けているのです。


喪主の濱永社長と



重要なことは、会社とは血液で継承するものではないということです。思想で継承すべきものなのです。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりえます。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継となったとき、その会社も関係者も最も良い状況を迎えられるのでしょう。
逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのではないでしょうか。
「孝」も「会社」も、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったでしょうか。そして、「孝」と「会社」の二大概念がクロスするものこそ「社葬」です。三和物産さんの社葬は素晴らしい「生命の連続」の舞台でした。
最後に、故濱永良榮様のご冥福を心よりお祈りいたします。



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2015年7月4日 佐久間庸和