死は不幸ではない 

28日、「サンデー毎日」2017年4月9日号が発売されました。
表紙には女優の土屋太鳳さんの写真が使われています。かわいいですね!
わたしは同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第74回目のタイトルは、「死は不幸ではない」です。


サンデー毎日」2017年4月9日号



小倉の紺屋町にあったスナック「レパード」のマスターだった西山富士雄さんが71歳で亡くなられました。わたしは、通夜と告別式の両方に参列しました。
故人は、わたしにとって、とても大切な人だったのです。レパードは2011年秋に閉店。
わたしが東京から小倉に戻ってきた頃、初めて訪れた店でした。
人生で最もヘビーだった時期に心を休めに通った「止まり木」でした。



西山さんは豊かな教養の持ち主で、話題も豊富でした。大変な読書家で、古今東西の文学作品を読んでいました。わたしの本もよく読んでくれたようですが、いつも「俺は、あなたの『死は不幸ではない』という言葉が好きなんよ」と言ってくれました。



わたしは、人が亡くなったときに日本人が「不幸」と表現することに違和感を抱いていました。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているのです。その未来が「不幸」であるということは、人間は必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなもの。



わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんな素晴らしい生き方をしても、幸福を感じながら生きても、最終的に不幸になるのでしょうか。亡くなった人は「負け組」で、生き残った人は「勝ち組」なのですか。そんな馬鹿な話はありません!



死は決して不幸な出来事ではないはずです。死とは人生を卒業することであり、葬儀とは人生の卒業式です。ですから、西山さんとのお別れは悲しくて仕方がありませんが、わたしは「不幸」とは思いません。西山さんは、人生を卒業していかれたのだと思っています。



故人は週刊誌が大好きで、何誌も読んでいたといいます。特に、『サンデー毎日』の愛読者でした。わたしがこの連載をスタートしたときは「天下の『サンデー毎日』に連載するなんて、たいしたもんだ!」とわざわざ電話をくれました。とても嬉しかったです。
マスター、あなたのことを『サンデー毎日』に書かせていただきましたよ。
あの世で読んでくれますか?


サンデー毎日」2017年4月9日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年3月28日 佐久間庸和