佐久間庸和です。東京に来ています。
26日は朝から映画「仏師―BUSSHI―」の撮影が横浜の久保山霊園で行われる予定だったのですが、あいにくの雨で翌日に延期となりました。映画撮影は大変ですね。
日本民藝館の前庭
日本民藝館の看板
日本民藝館の前で
というわけで、この日は朝から都内のホテルで仕事をしました。午後からは、東京都目黒区駒場にある「日本民藝館」を訪れました。ここは、「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、1936年に開設されました。

念願叶って来館しました!
日本民藝館本館のうち1936年に竣工した建物部分を旧館と呼びます。旧館は柳宗悦が中心となり設計されたもので、外観・各展示室ともに和風意匠を基調としながらも随所に洋風を取入れた施設となっています。旧館および道路に面した石塀は、2021年に東京都指定有形文化財(建造物)に指定されました。なお新館は旧大広間のあった位置に1982年に建て替えられたものです。

2階の展示会場は写真撮影OK!

展示品を鑑賞しました(写真撮影OK)
日本民藝館の現在の経営母体は公益財団法人で、登録博物館として運営されています。「民藝品の蒐集や保管」「民藝に関する調査研究」「民藝思想の普及」「展覧会」を主たる仕事として活動しています。初代館長には柳宗悦が就任し、二代目は陶芸家の濱田庄司(1894-1978)、三代目は宗悦の長男でプロダクトデザイナーの柳宗理(1915-2011)、四代目は実業家の小林陽太郎(1933-2015)、そして現在はプロダクトデザイナーの深澤直人が館長職を継いでます。当館には柳の審美眼により集められた、陶磁器・染織品・木漆工品・絵画・金工品・石工品・編組品など、日本をはじめ諸外国の新古工芸品約17000点が収蔵。その特色ある蒐集品は国の内外で高い評価を受けています。

柳宗悦の直筆の書(写真撮影OK)
柳宗悦の直筆の書の前で(写真撮影OK)
柳宗悦の審美眼を通して蒐められた所蔵品の中でも、朝鮮時代の陶磁器・木工・絵画、丹波・唐津・伊万里・瀬戸の日本古陶磁、東北地方の被衣(かつぎ)や刺子衣裳、アイヌ衣裳やアイヌ玉、大津絵、木喰仏、沖縄の陶器や染織品、英国の古陶スリップウェアなどは、質量ともに国の内外で高い評価を受けています。また、民藝運動に参加したバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寬次郎、芹沢銈介、棟方志功ら工芸作家の作品も収蔵しています。
日本を代表する思想家・柳宗悦は、1889年に現在の東京都港区で生まれました。1910年、学習院高等科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。宗教哲学や西洋近代美術などに深い関心を持っていた柳は、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業。その後、朝鮮陶磁器の美しさに魅了された柳は、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開かれました。
柳は日本各地の手仕事を調査・蒐集する中で、1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動させていきました。1936年、 日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後1961年に72年の生涯を閉じるまで、ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していきました。晩年には、仏教の他力本願の思想に基づく独創的な仏教美学を提唱し、1957年には文化功労者に選ばれています。
柳宗悦は日本を代表する宗教哲学者でしたが、同じく宗教哲学者であった鎌田東二先生は柳宗悦を深くリスペクトし、晩年はその研究に取り組んでいました。鎌田先生は「心霊学」にも深い関心を示されましたが、柳は心霊研究における第一人者でもあったのです。また、父・佐久間進の書斎には『柳宗悦全集』『柳宗悦民藝全集』が全巻並んでいました。柳田國男・折口信夫と並んで、日本人の「こころ」を追求した偉人として見ていたのです。

十四代 今泉今右衛門先生との対談のようす
ブログ「十四代 今泉今右衛門先生との対談」、ブログ「今右衛門先生との対談」でご紹介したように、わたしは人間国宝である陶芸家の今泉今右衛門先生と2日間にわたって対談させていただきましたが、そのときも柳宗悦の「民藝」の話が何度も出ました。「民藝」という言葉を世に送り出し、民藝運動の父として知られる柳は、それまで顧みられることのなかった、無名の職人が作る日常の雑器に「用の美」を見出し、その美学的価値を体系化しました。
十四代 今泉今右衛門先生との対談のようす
今右衛門先生との対談では、わたしが儀礼文化にもお話しました。儀礼文化の代表的なものといえば、茶道が第一にあげられます。宗教儀礼の中でも、仏教を基盤として生まれた儀礼文化でした。具体的には禅宗の茶礼をその出発点としたものであり、それが日本文化の土壌の上で、ゆたかに育成されたものだったのです。茶道からは華道が派生しました。華道の場合も仏前に花を献り、また花を飾ることが、基礎をなしたことは考えられます。さらにそれ以前に祭りに花を飾る風習も存しました。しかし、そうした仏前献花の信仰習俗が、「活け花」として形成される段階に到達するためには、茶の湯の母胎を通ることが必要なのでした。茶の湯には茶器、生け花には花器、いずれも陶器を「うつわ」として使います。まさに儀礼文化と工芸文化のコラボです。いや、儀礼文化は工芸文化によって完成すると言えるかもしれません。
日本民藝館の前で「民禮」を想う
柳宗悦の「民藝」にインスパイアされて、わたしは「民禮」という言葉を思いつきました。これは「有職故実」に代表される宮中儀礼などと一線を画す民衆的儀礼の意味です。具体的には「冠婚葬祭」や「年中行事」のことです。歌舞伎や大相撲といった日本文化は素晴らしいし、歌舞伎役者や力士は日本の誇りです。また、茶道や華道に励む方々も素晴らしいと思います。しかし、本当の意味で日本文化を継承し、守っているのは民衆ではないでしょうか。一般的な日本人が節分で豆まきをしたり、雛人形を飾る。初宮参りや七五三をしたり、葬儀や法事をする。これこそが、日本文化を守っていることであり、「礼」を実践することだと思います。そう、日々の生活の中に「礼」は息づいているのです。民藝が民衆的工芸なら、民禮は民衆的儀礼です。日本民藝館の膨大な民藝コレクションを眺めながら、わたしは父が遺してくれたコレクションをもとにして、いつの日か「日本民禮館」を創ってみたくなりました。ナポレオン・ヒルではありませんが、「思考は現実化する」と思います。帰りに近くの東京大学駒場キャンパスに寄って帰りました。
東京大学駒場キャンパスの前で
2026年3月26日 佐久間庸和拝
