サンレー「古事記」公演

1月28日(土)、サンレー創立50周年記念の「サンレー文化アカデミー」のクライマックスとなる舞台「古事記天と地といのちの架け橋〜」がリバーウォーク北九州北九州芸術劇場で上演されました。おかげさまで座席はすべて完売し、満員御礼となりました。


劇場入口のようす

楽屋受付前にて

劇場の控室で

開場前の劇場にて



劇団「東京ノーヴィレパートリーシアター」による舞台で、株式会社サンレーの主催、朝日新聞社西日本新聞社毎日新聞社、読売新聞西部本社の後援によるイベントです。
原作は、ブログ『超訳 古事記』で紹介した本です。「東京ノーヴィレパートリーシアターは、東京・下北沢を拠点として活動している、レパートリー・シアター劇団です。
芸術監督は、ロシア功労芸術家のレオニード・アニシモフで、アントン・チェーホフマクシム・ゴーリキーなどのロシアの戯曲を主要レパートリーとしますが、最近は日本の作品など、新作にも意欲的に取り組んでいます。


開演前に神事を行いました

祝詞を奏上する瀬津神職

八百万の神々が集いました

神々が参列する神事!

なんと、神々が低頭している!

主催者として玉串奉奠しました

玉串奉奠するアニシモフ芸術監督

前代未聞の儀式でした



上演に先立って、北九州芸術劇場のステージでは神事を執り行いました。
この舞台に八百万の神々が降りられるわけですから、念入りに「降神の儀」を行わなければなりません。もちろん、舞台の安全祈願、成功祈願もしました。日本の儀式に多大な関心を抱いておられているアニシモフ監督と一緒に、わたしも玉串奉奠をさせていただきました。神事を司ったのは、皇産霊神社の瀬津隆彦神職でした。國學院神道文化学部出身の瀬津神職にとっては一世一代の晴れ舞台です。ちなみに、この日は100人を超す神社の宮司さんたちも各地から集まっていました。


書籍販売コーナー

進藤さん、しっかり売って下さいね!

サンレー施設紹介コーナー

満員になりました!



わたしたちは、どこから来て、何をめざすのか?
日本人の心のルーツである物語・古事記
その太古から口づてに伝承された神話を
いま、生きた感情で、現代の「儀式」としてよみがえらせます。『古事記』上巻より「天地のはじめ」「国生み」「神生み」「黄泉の国」「天の岩屋戸」を描いています。


昨年9月、東京ノーヴィレパートリーシアターはロシア公演を行い、「古事記天と地といのちの架け橋〜」を上演。「言語や民族を超えた普遍性がある」と超満員の大観衆から絶賛を受けました。ブログ「古事記〜天と地といのちの架け橋〜」で紹介したように、わたしは二度目の鑑賞でしたが、新たな感動を覚えました。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)

舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



この舞台「古事記」は、まことに幻想的な演劇でした。
冒頭から、いきなり劇場中が真っ暗闇になって驚きました。
劇場でも映画館でも防災上の都合から非常灯があるので真っ暗闇にはならないものですが、今日は正真正銘の「漆黒の闇」を経験しました。そして、闇から浮かび上がる神々はすべて白い装束を身につけていました。このとき、わたしはなぜ神々や神主が白い装束で、加えて死者も白装束なのかの理由がわかりました。闇から出現する色は白を置いて他にはなく、また闇に溶け込む色も白以外にはないからです。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)

舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



おびただしい数の八百万の神々の顔は一様に白く塗られ、いずれも笑みを浮かべています。その姿に、わたしは、かつて若き日の鎌田東二青年が会いに行ったという寺山修司が率いる「天井桟敷」や土方巽の「暗黒舞踏」、さらには「山海塾」などを連想しました。とにかく人の顔を白塗りにするだけで、ここまで非日常の世界が出現することを思い知りました。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)

舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



第1部では『古事記』の冒頭部分の「天地のはじめ」が表現されます。はるか遠い昔、はてしなく広がる天と地がまだその区別がつかない頃、高天原に成りませる神・天之御主神が、高御産巣日神神産巣日神の姿となって万物を生み出す準備を始めました。天と地はまだはっきりせず、水に浮いた油のように、海に浮かぶクラゲのように漂っていました。天地を動かし、国を固め、万物を生み出し、この世をみえる形に現す働きの神として、男神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と、女神である伊邪那美命イザナミノミコト)が生まれました。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)

舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



イザナギイザナミが出会ったとき、女神が先に「ああ、なんて立派な頼もしい方なんでしょう」と声をかけ、続いて男神が 「ああ、何と美しく愛しい方なのだろう」と声をかけ合いました。子どもは生まれたのですが、「ヒルコ」という蛭のような骨のないグニャグニャの子でした。次も泡のような子でした。両神は、高天原の神々に相談しに行かれました。「女神が先に声をかけたのがいけなかったのだ。もう一度やり直しなさい。」
というアドバイスを受けます。そこで今度は男神から声を掛け合って心が通い合うと、見事に成功して、八つの島が生まれました。これを大八島国(おおやしま)といい、日本のもう一つの名前となりました。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



わたしは、この場面を観て大きな感動をおぼえました。
というのも、「結婚式は結婚よりも先にあった」という大発見をしたのです。
一般に、多くの人は、結婚をするカップルが先にあって、それから結婚式をするのだと思っているのではないでしょうか。でも、そうではないのです。『古事記』では、イザナギイザナミはまず結婚式をしてから夫婦になっています。つまり、結婚よりも結婚式のほうが優先しているのです。他の民族の神話を見ても、そうです。すべて、結婚式があって、その後に最初の夫婦が誕生しているのです。つまり、結婚式の存在が結婚という社会制度を誕生させ、結果として夫婦を生んできたのです。ですから、結婚式をしていないカップルは夫婦にはなれないのです。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれた伊邪那岐命伊邪那美命のめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。この舞台では、多くの神々が「われは○○の神」と言って立ち上がりながら名乗りを挙げますが、まさにこの舞台そのものが1つの儀式となっていました。


「宇宙における情報システム」



わたしは、この舞台上での儀式を見ながら、ブログ「宗遊」で紹介した「宇宙における情報システム」ということを考えていました。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、慣習として継承して人々に伝えることが「教え」です。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが「遊び」なのです。音楽やダンスなどの「遊び」は最も原始的な「もとのもと」の表現であり、人間をハートフルにさせる大きな仕掛けとなります。そして、儀式や演劇も「宇宙における情報システム」では「宗遊」そのものです。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



それにしても、1時間近くも胡坐をかいた後に垂直にスクッと立ち上がる役者さんたちの脚力には感嘆しました。足を負った経験のあるわたしには逆立ちしても真似できません。わたしの後ろの席に座っていた年配のご婦人が「あの姿勢では疲れるでしょうね。ヒザ曲げてるし・・・」と言われていましたが、同感です。固い舞台の上で胡坐をかいていて、よく足が痺れないものです。日頃の鍛錬の賜物でしょうが、やはりプロの役者さんは凄い!

超訳 古事記

超訳 古事記

第2部では、最愛の妻を失ったイザナギが嘆き悲しむ場面から始まります。
ブログ『古事記ワンダーランド』で紹介した鎌田先生の著書でも指摘されているように、『古事記』とは「グリーフケア」の書です。鎌田先生によれば、『古事記』には「女あるいは母の嘆きと哀切」があります。悲嘆する女あるいは母といえば、3人の女神の名前が浮かびます。第1に、イザナミノミコト。第2に、コノハナノサクヤビメ。そして第3に、トヨタマビメ。『古事記』は、物語ることによって、これらの女神たちの痛みと悲しみを癒す「鎮魂譜」や「グリーフケア」となっているというのです。最もグリーフケアの力を発揮するものこそ、歌です。歌は、自分の心を浄化し、鎮めるばかりでなく、相手の心をも揺り動かします。歌によって心が開き、身体も開き、そして「むすび」が訪れます。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



「むすび」という語の初出は日本最古の文献『古事記』においてです。冒頭の天地開闢神話には二柱の「むすび」の神々が登場します。八百万の神々の中でも、まず最初に天之御中主神高御産巣日神神産巣日神の三柱の神が登場しますが、そのうちの二柱が「むすび」の神です。『古事記』は「むすび」の神をきわめて重要視しているのです。
大著『古事記伝』を著わした国学者本居宣長は、「むすび」を「物の成出る」さまを言うと考えていました。「産霊」は「物を生成することの霊異なる神霊」を指します。つまるところ、「産霊」とは自然の生成力をいうのです。


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)



古事記』には、あまりにも有名な「むすび」の場面があります。天の岩屋戸に隠れていた太陽神アマテラスが岩屋戸を開く場面です。アメノウズメのストリップ・ダンスによって、神々の大きな笑いが起こり、洞窟の中に閉じ籠っていたアマテラスは「わたしがいないのに、どうしてみんなはこんなに楽しそうに笑っているのか?」と疑問に思い、ついに岩屋戸を開くのでした。
古事記』は、その神々の「笑い」を「咲ひ」と表記しています。
この点に注目する鎌田氏は、『古事記ワンダーランド』で述べます。
「神々の『笑い』とは、花が咲くような『咲ひ』であったのだ。それこそが〈生命の春=張る=膨る〉をもたらすムスビの力そのものである。この祭りを『むすび』の力の発言・発動と言わずして、何と言おうか」


舞台「古事記」のようす(許可を得て撮影・掲載しています)

大いなる「産霊」の物語でした!



ところで、わが社の社名は「サンレー」といいます。これには、「SUN−RAY(太陽の光)」そして「産霊(むすび)」の意味がともにあります。
最近、わが社は葬儀後の遺族の方々の悲しみを軽くするグリーフケアのサポートに力を注いでいるのですが、『古事記ワンダーランド』を読んで、それが必然であることに気づきました。
なぜなら、グリーフケアとは、闇に光を射すことです。
洞窟に閉じ籠っている人を明るい世界へ戻すことです。
そして、それが「むすび」へとつながるのです。
わたしは、「SUN−RAY(太陽の光)」と「産霊(むすび)」がグリーフケアを介することによって見事につながることに非常に驚くとともに安心しました。ちなみに、わが社の社歌は神道ソングライターでもある鎌田先生に作詞・作曲していただいています。


カーテンコールのようす



舞台「古事記天と地といのちの架け橋」ですが、原作者の鎌田先生は「いのちの賛歌としての『古事記』」という一文を寄せ、「古事記はいのちの賛歌である。それが日本民族叙事詩であることは間違いないが、そこにもっとおおらかな宇宙的ないのちの歌声がある」と書かれています。この「おおらかな宇宙的ないのちの歌声」とは「産霊」のことにほかなりません。
そう、この舞台は、大いなる「産霊」の物語でした!
サンレー創立50周年記念にこれほどふさわしい演劇、いや儀式はありません。ちなみに拙著『儀式論』(弘文堂)では演劇のルーツが古代の儀式であったことを詳しく述べました。


アニシモフ監督、スパシーバ!

サンレー古事記」公演のパンフレットより



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年1月28日 佐久間庸和