日本仏教とグリーフケア

16日の早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭を行いました。
ブログ「ギックリ腰になりました」で紹介したように、ここ数日は寝たきりで動けなかったのですが、神事はなんとしても参加したいと思い、強力なサポーターを腰に巻いて参加しました。
ただし玉串奉奠はとても無理で、代わりに橋本常務にお願いしました。
いつものように、戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。


月次祭のようす

一同礼!



神事の後は、恒例の「平成心学塾」を開催しました。
最初に、 サンレーグループ佐久間進会長が檀上に立ち、訓話をしました。
会長は、WEBシステムに写っている各地の社員に向かって話しかけました。


最初は一同礼!

平成心学塾のようす

訓話を行う佐久間会長



最初に会長は、都知事選、参院選の結果、天皇陛下生前退位、そしてフランスでのテロなど、最近の一連の出来事について言及しました。また最近お世話をしている茶道の話になり、「10回の社員研修よりも1回の茶道です」と、おもてなし文化の重要性を説きました。「茶道をぜひわが社の企業文化にまで高めたい」とも言っていました。それから、「生命にとって、死とは最大の発明である」というスティーヴ・ジョブズの発言を紹介し、自らの死生観を語りました。


人生の師について語る佐久間会長



最後は、佐久間会長が若い頃に影響を受けた「人生の師」たち、新日鉄平井富三郎翁、読売新聞社正力松太郎翁、産経新聞社の前田久吉翁の思い出を述べました。平井翁からは「中小企業の福利厚生の事業化」をアドバイスされ、冠婚葬祭互助会事業を思いついたそうです。ちなみに、「サンレー」という社名は平井翁の命名だとか。これは、わたしも初めて知りました。また、正力翁からは「ギリシャの歴史における発展過程を学びなさい」と言われ、前田翁からは「大きな仕事をやりなさい」と激励されたそうです。こういった数多くの「人生の師」のおかげで、何とか今日まで来ることができたと述懐していました。


わたしが講話を行いました



続いて、社長のわたしが話しました。腰が悪いので登壇するのが大変でした。
最初は、ギックリ腰の話題にはじまって、最近の業界の動きなどに簡単に言及しました。
それから、ブログ「横浜フューネラル対談」で紹介したトークショーの話をしました。
今月6日、パシフィコ横浜で開催された「フューネラルビジネスフェア2016」で、仏教界きっての論客で知られる全日本仏教青年会顧問の村山博雅氏と「葬送儀礼の力を問う〜葬儀の本質とは」をテーマに対談させていただきました。


現在の葬儀について語りました



司会者から「現在の葬儀の簡略化・簡素化について危惧する点についてお話し下さい」との言葉があり、以下のように述べました。
Amazonの僧侶派遣サービスに対して全日本仏教会が抗議をされたようですが、あれはスルーするというか、放置しておけばよろしい。社会に必要なものは残るし、必要でないものは残りません。執拗に互助会批判を繰り返す業界もあるようですが、互助会は社会に必要とされたために現在でも隆盛を誇っています。現代日本の仏教界を見てみると、檀家の暮らしぶりに応じて、高額な「御布施」「戒名料」を提示されるお寺も少なくないようですし、むしろAmazonの僧侶派遣、イオンの寺院紹介の方が明瞭かつ低額で良心的と考えている方もいるのでしょうか。わたしは、このへんは、互助会の出番であり、せっかく会員さんがいらっしゃるのですから、各互助会は普段から会員さんに情報公開し、理想的な葬儀についてのオリエンテーションを行うべきであると思います。


全互協の支援活動について説明しました



それから、司会者から「全互協の支援活動について簡単に触れ、儀式に携わる業界の人間として、人々に向けてどのような使命があるのか?」と問われ、以下のように述べました。
阪神淡路大震災東日本大震災では全互協に対して行政から柩等の物的支援、埋葬サポートの要請が来ました。東日本大震災後にわが社で志願者を募ったところ、70名もの応募が集まりました。このうち、家族の同意も得た14名のメンバーを選出しましたが、全国の冠婚葬祭互助会も同様に率先して支援活動を行わせていただきました。大事な社員を被災地に派遣するのは、経営者として正直言って心配ではありましたが、社員が快く引き受けてくれたことに誇りを感じました。葬儀に従事する社員たちが、わが社の「人間尊重」というミッションをよく理解してくれ、少しでも大震災の犠牲者の人間の尊厳を守ろうと考えてくれたのです。もう会社の社員というよりも、志を同じくする同志であると痛感しました。いま冠婚葬祭互助会は、「死者の尊厳」と「生者のコミュニティづくり」という二つの課題を与えられています。これは、そのまま日本復興にとっての重要なポイントとなります。


日本仏教について語りました



トークショーそのものの時間は短かったですが、対談前の打ち合わせでは、村山老師と1時間にわたってゆっくり対話させていただきました。
わたしは、「無縁社会」や「葬式は、要らない」などの言葉が登場した背景には、日本仏教界の制度疲労にも一因があるように感ずると述べると、老師は同意して下さいました。よく「葬式仏教」とか「先祖供養仏教」とか言われますが、日本の仏教が葬儀と先祖供養によって社会的機能を果たし、また一般庶民の宗教的欲求に応えてきたという歴史的事実を認めないわけにはいきません。



対話の中では東日本大震災の話題も出ました。2011年の夏、東北の被災地は震災の犠牲者の「初盆」を迎えました。この「初盆」は、生き残った被災者の心のケアという側面から見ても非常に重要でした。通夜に始まって、告別式、初七日、四十九日・・・日本仏教における一連の死者儀礼の流れの中で、初盆は一つの大きな節目です。
考えてみると、年忌法要そのものが日本人の死生観に合ったグリーフケア文化となっています。今後も仏式葬儀は時代の影響を受けて変化せざるを得ませんが、原点、すなわち「初期設定」を再確認した上で、時代に合わせた改善、いわば「アップデート」を心掛ける努力が必要ではないでしょうか。初期設定といえば、仏式葬儀は村山老師も属される曹洞宗によって基本的なスタイルが確立され発展してきました。それでは、アップデートとは何か。まさか、アマゾンのお坊さん便ではないとは思いますが・・・。


「1991年」について



わたしは今月20日、上智大学で「葬儀」と「グリーフケア」について連続講義を行います。講義の準備をしているときに気づいたのですが、1991年という年が大きな節目であったと思います。最近、往復書簡を交わした宗教学者島田裕巳氏も1991年が日本人の葬儀を考える上でのエポックメーキングな年であると述べていましたが、わたしもまったく同意見です。まさにその年に島田氏の『戒名』とわたしの『ロマンティック・デス』が刊行されましたし、その他にも「死」と「葬」と「宗教」をめぐって、さまざまな問題が起こりました。


平成心学塾のようす



「死」においては、脳死問題をはじめ、安楽死尊厳死臨死体験と、人の死をめぐる議論がヒートアップしました。91年3月には作家立花隆氏のレポートによってNHKテレビで「臨死体験――人死ぬとき何をみるか」が連続放映され、すさまじい臨死体験ブームが巻き起こりました。また92年1月には、脳死臨調が「脳死は人の死」として臓器移植を認める最終答申を宮沢首相に提出し、さまざまな論議を呼んでいます。



「葬」においては、海や山などへの散灰を社会的に認知させる「自然葬」運動によって、法務省が条件つきで「散灰」を認めました。91年2月に「葬送の自由をすすめる会」が発足しています。また、レーザー光線にスモークマシン、シンセサイザーなどを駆使した「ハイテク葬儀」も登場しました。散灰というローテク葬儀とショーアップされたハイテク葬儀は、まったく正反対のべクトル上にあり、この二つが同時期に話題となったことは非常に興味深いと思いました。


死生観の地殻変動は現在まで至る



「宗教」においては、91年1月にはオウム真理教が「救済元年」を宣言して、暴走をはじめした。2月には創価学会が「学会葬」を開始し、11月には日蓮正宗創価学会およびSGIを波紋しています。そして、12月には幸福の科学が東京ドームにおいて第1回「エル・カンターレ祭」を開催しています。その他、宜保愛子というスーパースターの出現による霊能ブーム、チャネリングやヒーリングなどの精神世界ブームも忘れることはできません。
これらの「死」と「葬」と「宗教」にまつわる話題は連日マスコミでも取り上げられ、いずれも社会的に大きな関心を集めました。それにしても、これだけの現象がわずか1年の間に集中したのです。あらためて、人々の死生観を中心とした価値観が大きな地殻変動を起こしはじめたのだという実感が湧いてきます。


最後は、もちろん一同礼!



上智で連続講義を行った後、わたしは27日にいよいよ島田裕巳氏と対談します。
島田氏は最近も著書『もう親を捨てるしかない』がベストセラーになっていますが、「葬儀」や「家族」の問題などを徹底的に語り合うつもりです。決戦の7月の最中ですが、早く腰を治して、体調万全でわがミッションを果したいと願っています。何ものにもまして大切なのは、使命感ではないでしょうか。今日は、腰の痛みをこらえながら、そんな話をしました。




*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月16日 佐久間庸和