ブログ「ギックリ腰になりました」にはアクセスが集中し、多くの方々にご心配をおかけました。心あるメールなどを頂いた方には感謝申し上げます。今日はまったく動けず、自宅で安静にしていました。大事な方の葬儀にも経理責任者会議も出れませんでした。わたしが葬儀や責任者会議を欠席するなど初めてです。それぐらい今回は身動きが取れません。それでも、「良い病院がありますよ」とか「ブロック注射を打つといい」などのアドバイスをわざわざくれた方もいました。かたじけなさに涙こぼるる思いであり、「助け合い」は人類の本能だと痛感しました。
ということで、今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「助」です。



リーダーとは基本的に助っ人です。部下を助けるのはもちろん、「強きを挫き、弱きを助ける」という正義の味方でなければなりません。真のリーダーとは、つねに組織内の弱者に目を配り、守り、助ける存在であることが求められます。
上杉鷹山は、米沢藩の改革を行ったとき、まっさきに藩内の身体障害者に対する虐待を禁止しました。病人も助けた。医者の絶対数が足りない時代で、病気になっても医者にかかることができずに命を落とす者が多かったのです。鷹山は藩内各地に官選の医師を置いて、彼らに住宅地を与えるなどして厚遇しました。そのために、多くの病人の命が救われました。



鷹山はまた、「間引き」を禁止して、保育手当を支給しました。江戸時代にあって、堕胎としての間引きは日常化していました。子を産んだばかりの母親がすぐ脇に寝ているというのに、産婆が生まれたばかりの赤ん坊の足を持って逆さにつるし、産湯と称する水を張ったタライにつけて窒息死させるのです。この悲しい間引きが、米沢藩においてもさかんに行われていました。その要因は、つまるところ、子どもを産んでも育てられない生活の貧しさにありました。鷹山は熟慮と協議を重ねた結果、さまざまなやりくりによって6000両の育児資金をつくり出し、子どもを育てられない貧しい者にこれを与えることにしました。そして前後30年にもおよぶ努力の結果、ついに米沢藩における間引きの根絶に成功したのです。



さらには、老人をも助けました。200年以上前の米沢において、働けなくなった老人は、「口減らし」のためにしばしば野山に捨てられました。もちろん、生活苦ゆえです。これを憂えた鷹山は、90歳以上の者には亡くなるまで食べてゆける金銭を与えました。現在でいう「年金」です。そして70歳以上の者に対しては、村で責任をもっていたわり世話することを決めました。鷹山自らも敬老に努め、老人を大切にいたわる孝子を褒賞することを忘れませんでした。こうして、忌まわしい悪習を根絶することに成功したのです。



このように鷹山は、身体障害者、病人、妊婦、赤子、老人といった社会的にもっとも弱い立場の人々を助けに助けたハートフル・リーダーでした。しかし、その福祉のすべてを藩財政で負担することは不可能であり、鷹山は次の3つの「助」を打ち出しました。
1.自助。すなわち、自ら助ける。
2.互助。互いに近隣社会が助け合う。
3.扶助。藩政府が手を差し伸べる。
この三位一体で、米沢藩の福祉政策は奇跡の成功を収めたのである。



真のリーダーには「仁」や「慈悲」や「愛」が求められますが、それらは「思いやり」という一言に集約されるでしょう。そして、その「思いやり」を形に表した「弱きを助ける」ときの具体的な方法論として、自助・互助・扶助の考え方は重みを増します。
さて、東京都知事選に立候補されたみなさん、都民の助っ人になる覚悟がありますか?
なお、「助」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月15日 佐久間庸和