「礼」について考える

17日の早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭を行いました。
戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。
祭主である佐久間進会長に続いて、わたしは参列者を代表して玉串奉奠しました。


月次祭のようす

柏手を打つ佐久間会長

わたしも柏手を打ちました



神事の後は、恒例の「平成心学塾」を開催しました。
最初に、 サンレーグループ佐久間進会長が檀上に立ち、訓話をしました。
会長は、WEBシステムに写っている各地の社員に向かって話しかけました。


最初は一同礼!

平成心学塾のようす

訓話を行う佐久間会長



それから、会長はミャンマー出張の内容について話しました。
ミャンマーが大きく変化していたこと。かの地が互助会事業にふさわしいと思ったこと。40年前に沖縄に進出したときを思い出したことなどを述べ、「人生で何度目かの大きな決断をしたいと思っています」と述べました。それから、柳田國男折口信夫らの日本民俗学の目的は「日本人を幸せにすること」であり、互助会のルールである「結」や「講」にその真髄があったことなども熱く語りました。


わたしが講話を行いました



続いて、社長のわたしが壇上に立ちました。今日は、宗像紫雲閣のスタッフのみなさんから誕生日プレゼントに頂いたモスグリーンのネクタイとポケットチーフをつけて講話をしました。
『儀式論』を脱稿したばかりということもあり、冠婚葬祭の根本理念となる「礼」を中心とする内容でした。「礼」は古代中国で生まれた思想ですが、次の3つの性格があったとされます。
(1)神霊と交信するツール
(2)人間関係を良好にする潤滑油
(3)自他を変容させる通過儀礼
最初の神霊と交信するツールとしての礼は、諸星大二郎の名作コミック『孔子暗黒伝』などで描かれているシャーマニズムとしての礼です。「礼」の旧字体が「禮」ですが、甲骨文にも金文にも「禮」という字はない。右側の「豊」だけがあり、「豊」がそのまま「禮」となりました。


「礼」の意味について説明しました



この「豊」という字は、神に捧げるために神饌を台(=豆)の上に置く形をしています。台の上には玉や禾穀などの供物が置かれました。また「豊」に「酉(酒)」をつけると「醴」という酒を表す漢字が生まれました。甲骨文や金文では「豊」は、祭りに用いられる酒である「醴酒(れいしゅ)」という意味にも使われました。この酒は古代インドの神酒ソーマのように、祭祀において高揚感や幻覚作用をもたらす力があったと考えられています。このように、幻覚酒である醴酒や供物を捧げて、神や先祖の霊と交信することが「礼」の原義であったのです。


「礼」とは何か



そして、わたしは「礼」の本質について話しました。
能楽師である安田登氏は著書『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)で、「魔術としての礼」について言及した以下のくだりです。
孔子時代の礼は魔術でした。礼が魔術だということを身近な礼で説明しましょう。たとえば遠くに、あなたのカバンがあって、それを取りたいとします。その近くに知人がいる。彼に向かって丁寧なコトバで『それを取っていただけますか』という。すると彼はカバンをここまで持ってきてくれます。この『丁寧なコトバ』というのが、ひとつの礼です。自分が使ったのは『声を発する』という非常に微小なエネルギーだけです。しかし、友人はカバンを持ち上げ、さらにここまで運ぶという膨大な運動エネルギーを駆使して、カバンという物体をここまで運んでくれます」


魔術としての「礼」について実演しました



続けて、安田氏は「魔術としての礼」について次のように述べています。
「彼我のエネルギーの差を考えてみれば、礼はまさに魔術だといえるでしょう。
額に青筋を立てて、『うーん』と念力を使って物体を動かす練習をするよりは、ずっと簡単に、そしてより確実に物体を移動させることが可能なのです。『何だそんなことか』と思うかもしれませんが、最初にこのことを発見した人は驚いたに違いありません。あなたが飼っている猫が、近所の犬に対してそんなことをやっていたら驚くでしょう。人類だってネアンデルタール人のときには、こんなことはしていなかったに違いない。社会的言語を獲得したホモサピエンスに至ってはじめて獲得した魔術、それが『礼』だったのです」
わたしも、魔術としての「礼」を実演するべく、中野正行取締役に演壇までカバンを運んでいただきました。すると、会場全体から「おおっー!!」という地鳴りのようなどよめきが起こりました。そこにいた一同は「礼」の威力を思い知り、心の底から感嘆したのです。


「礼」の観念は変化していった



もともと宗教用語であったと言ってもよい「礼」の観念が変質し、拡大していくのは、春秋・戦国時代からです。礼の宗教性は希薄となり、もっぱら人間が社会で生きていく上で守るべき規範、つまり社会的な儀礼として、礼は重んじられるようになりました。
孔子の言行録である『論語』にも礼への言及は多いです。このことからも孔子の時代には、礼は儒家を中心によく学ばれていたことがわかります。孔子の門人たちにとって、礼を修得しなければ教養人として自立したことにはならないとされ、冠婚葬祭などのそれぞれの状況における立ち居ふるまいも重要視されるようになったのです。


礼は「儀式」によって実現される!



礼は「儀式」によって実現されます。儀式には国家儀式のような大きなものもありますが、個人においては通過儀礼が重要となります。すなわち、結婚式や葬儀などの冠婚葬祭です。結婚したら、必ず結婚式を挙げなければならないとされました。これは、国家や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」でした。結婚式は何のために行うのかと考えたら、それは簡単に言えば、神や人の前で離婚しないように約束するためです。前式でも教会式でも人前式でも、2人が夫婦として仲良く添い遂げることを誓う「宣誓の言葉」を述べます。


葬儀は「人類の精神的存在基盤」である!



葬儀という儀式も同様です。孔子の最大の後継者である孟子は人の道を歩む上で一番大切なことは親の葬儀をあげることだと述べています。また、史上最高の哲学者とされたドイツのヘーゲルも、孟子同様に「親の埋葬理論」を説いています。もともと、約7万年前にネアンデルタール人が死者に花を手向けた瞬間からサルがヒトになったとも言われるほど、葬儀は「人類の精神的存在基盤」とも呼べるものなのです。


さらなる「天下布礼」を!



儀式は、地域や民族や国家や宗教を超えて、あらゆる人類が、あらゆる時代において行ってきた文化です。しかし、いま、日本では冠婚葬祭を中心に儀式が軽んじられています。そして、日本という国がドロドロに溶けだしている感があります。結婚式ならびに葬儀の形式は、国によって、また民族によって著しい差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国で長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などが反映しているからです。儀式の根底には「民族的よりどころ」があるのです。というような話を、今日はしました。来る創立50周年に向けて、さらなる「天下布礼」を目指します!


最後は、もちろん一同礼!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年5月17日 佐久間庸和