大村益次郎像

7日の午後、スターフライヤーに乗って東京から北九州に戻りました。
わたし、このたび10周年を迎えたスターフライヤーを応援しています!
さて、この日の東京は朝から強い雨が降り、桜も散ってしまいました。
ブログ「靖国の桜」に書いたように、前日の6日、靖国神社を参拝しました。
そこで、満開の桜の中に聳え立つ大村益次郎銅像を久々に見上げました。


大村益次郎銅像



大村益次郎は、司馬遼太郎の小説『花神』の主人公であり、同名のNHK大河ドラマで一躍有名になった人物ですが、ドラマでは今年の1月に85歳で逝去された四代目中村梅之助が演じていました。大河ドラマの冒頭では、以下のナレーションが入りました。
「一人の男がいる。歴史が彼を必要としたとき忽然と現れ、その使命が終わると大急ぎで去った。もし、維新というものが正義であるとしたら、彼の役割は津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわることであった。中国では花咲爺のことを花神という。彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼、村田蔵六、後の大村益次郎である」


花神〈上〉 (新潮文庫)  花神 (中) (新潮文庫)  花神 (下巻) (新潮文庫)

大村益次郎銅像靖国神社に建立されたのは、明治26年(1893年)であり、日本初の西洋式銅像でもあります。学研デジタル歴史館には次のような説明が記されています。
大村益次郎は、江戸時代の文政7年(1824)に長州藩の医師の長男として誕生。オランダ医学を学ぶ傍ら西洋兵学を修め、のちに長州藩の兵制の近代化に辣腕を振るいました。西洋式装備の常備軍奇兵隊』の整備・育成を始めとする成果は、幕府軍を撃破した第二次長州征伐における戦いで遺憾なく発揮されます。戊辰戦争渦中の上野戦争では、彰義隊の蜂起を一日で鎮圧するなどの活躍を見せました。兵制化を指導するなど後の日本陸軍創設の中心人物でもありましたが、道半ばの明治2年(1869)に刺客に襲われ、その傷が元で亡くなりました。治療には、上野恩賜公園銅像があるボードワン博士(ボードウィン)も参加しました」


靖国神社に聳える大村益次郎銅像

銅像の説明板



また、銅像建立について次のように説明されています。
「大村は戊辰戦争の戦死者を祀る東京招魂社建設に先立ち、自ら建設候補地であった九段の現地視察を行ったといわれ、その建設に尽力しました。明治15年、大村の慰霊祭の席で靖国神社宮司から銅像建立の案が出され、当時内務卿であった山田顕義らが中心となり銅像建立が本格化したとのことです。銅像の製作は、明治18年に大熊氏廣に依頼され、靖国神社の参道中央に建立。明治26年に除幕式が行われました。大熊氏廣は、依頼を受けた明治18年当時、すでに西洋彫刻家としてその名を知られていましたが、依頼の重要性に鑑みて西洋彫刻を極めるべく海外に留学。その成果をもって日本最初の本格的な西洋式銅像として完成させました。なお、大村益次郎像の顔は上野公園の方を向いており、西郷隆盛像と視線を合わせているともいわれています」


益次郎は何を見ているのか?



どうやら、聳え立つ台座の上に鎮座する大村益次郎像が見据える先には、上野の西郷隆盛像があるという説もあるようです。大村は死に際に「必ずや足利尊氏のごとき人物が九州より反逆の狼煙を上げるだろう」と西郷の挙兵を予言していたそうですが、建立された時期からして「トンデモ都市伝説」と言えるのではないでしょうか。また、一説では皇居を向いているとも言われており、個人的には「そうであってほしい」と考えます。



銅像の製作者は大熊氏広という人物ですが、彼の作品には名作が多く、有栖川宮熾仁親王小松宮彰仁親王八甲田山雪中行軍記念像(後藤伍長)、伊能忠敬福沢諭吉などが有名です。埼玉県鳩ヶ谷市の出身で、明治9年、日本の本格的美術学校である工部美術学校「彫刻科」に入学し、一期生として主席で卒業しています。大村益次郎像制作の依頼を受けた大熊は、三菱財閥2代目である岩崎弥之助の援助を受けヨーロッパに留学し、日本初となる西洋式銅像大村益次郎像」の成功により、銅像製作者の第一人者としての地位を確固たるものとしました。大村は死去した際、贈従三位、大正8年(1919)には追贈で従二位となっています。やはり、靖国神社銅像が建立されただけのことはあります。


大村益次郎銅像の下で



靖国神社といえば、ブログ「靖国神社」ブログ「靖国参拝(2014)」ブログ「靖国参拝(2015)」で紹介したとおり、わたしは毎年のように参拝しています。戦後70年の「終戦の日」当日も参拝を果たすことができました。神社の境内に入ると、わたしは柏手を打って大鳥居をくぐりました。そして、大村益次郎銅像を見上げ、「大村さん、今年も来ましたよ。どーぞー、よろしく!」と銅像に向かってつぶやきました。建立されてから戦災を免れ、平成の御世にあっても「日本」を見守る大村益次郎像の如く、不肖わたくしも「天下布礼」という「礼の国」の実現に向けて志をもって社業に邁進してまいります。


この桜は花神が咲かせたのか?


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年4月8日 佐久間庸和