大重監督の訃報


ブログ「大重潤一郎監督、逝く」に書いたように、ブログ「久高オデッセイ」で紹介した映画の監督である大重潤一郎さんが亡くなられました。大重さんはかねてより沖縄県那覇市の病院で療養中でした。7月18日に容態が急変し、22日に息を引き取られました。
そして、昨日23日の「読売新聞」朝刊に訃報記事が掲載されました。


「読売新聞」2015年7月23日朝刊


記事には「沖縄の自然・文化記録」の見出しで、以下のように書かれています。
大重潤一郎氏 69歳(おおしげ・じゅんいちろう=映画監督、沖縄映像文化研究所理事長)22日肝臓がんで死去。告別式は28日午前11時、沖縄県豊見城市豊崎1の200サンレー 豊崎紫雲閣。喪主は長男、生(せい)氏。鹿児島県出身。岩波映画で演出を学び、自然や伝統文化をテーマとし、2003年にはベルリン国際映画祭に『小川プロ訪問記』が正式招待された。脳出血やがんと闘いながら撮影を続け、沖縄県・久高島の暮らしや祭事を記録した『「久高オデッセイ」第三部風章』が遺作となった」


琉球新報」2015年7月24日朝刊



また、今朝の「琉球新報」にも訃報記事が出ました。記事は「『久高オデッセイ』大重潤一郎さん死去 映画監督、69歳」の見出しで、以下のように書かれています。
「映画『久高オデッセイ』などで知られる映画監督の大重潤一郎(おおしげ・じゅんいちろう)さんが22日午後4時41分、肝臓がんのため那覇市の病院で死去した。69歳。鹿児島県出身。しのぶ会(通夜)は27日午後6時から、お別れ会(告別式)は28日午前11時から正午、ともに豊見城市豊崎1の200のサンレー 豊崎紫雲閣で。喪主は長男生(せい)さん。
大重さんは岩波映画製作所を経て独立。自然と伝統文化をテーマに映画を作った。主な作品は、祭祀イザイホーなど久高島の伝統文化に焦点を当てた長編記録映画『久高オデッセイ』のほか『黒神』『光りの島』『風の島』『縄文』など。2002年に活動拠点を沖縄に移し、NPO法人沖縄映像文化研究所理事長を務めた。ことし6月完成の『久高オデッセイ 第3部―風章―』(沖縄、東京などで順次公開中)が遺作となった。
遺族はしのぶ会、お別れ会に平服での参加を呼び掛けている」
なお、「琉球新報」では、WEBでも大きく報道しています


沖縄タイムス」2015年7月24日朝刊



さらに、今朝の「沖縄タイムス」にも訃報記事が掲載されました。
記事は「久高島を撮影」の見出しで、以下のように書かれています。
大重潤一郎さん(おおしげ・じゅんいちろう=映画監督)22日午後4時41分、肝臓がんのため那覇市内の病院で死去、69歳。鹿児島県出身。自宅は那覇市曙。偲ぶ会(通夜)は27日午後6時から、お別れ会(告別式)は28日午前11時から正午、いずれも豊見城市豊崎1の200のサンレー 豊崎紫雲閣で行う。喪主は長男生(せい)さん。
岩波映画製作所で学び、独立。久高島に半世紀近く通い、2002年移住。04年から17回のがん手術を経ながら『久高オデッセイ第一部結章』『第二部生章』を制作、今年6月に『第三部風章』を完成させたばかりだった」



大重監督のお別れのセレモニーは、サンレー沖縄でお世話をさせていただきます。
台風の影響を考慮して、以下の日程となっています。
偲ぶ会(通夜)    7月27日(月)18時〜
お別れ会(告別式)  7月28日(火)11時〜12時過ぎ
会場はいずれも「豊崎紫雲閣
(住所)沖縄県豊見城市豊崎1−200
(電話)098−850−3004
那覇空港からタクシーで約15分です。
サンレーから当日シャトルバスも出る予定です。


偲ぶ会&お別れ会の会場となる豊崎紫雲閣



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2015年7月24日 佐久間庸和