稲盛和夫(8)


人間として正しいことを追求する




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、現代日本を代表する経営者である稲盛和夫氏の言葉です。
いまや「平成の経営の神様」とまで称される稲盛氏ですが、京セラを起業された当時は、弱冠27歳でした。当然ながら経営の経験があるわけではなく、営業や経理も分からない状態だったことと推察します。しかし、創業から決裁しなければならない課題が山積していく中、「何を基準に判断すべきか」悩み続け続けた果てに、「人間として何が正しいのか」、つまり、最も基本的な倫理観に基づき、判断していくことにされたそうです。


「成功」と「失敗」の法則

「成功」と「失敗」の法則

稲盛氏は、『「成功」と「失敗」の法則』(致知出版社)において次のように述べています。
「現在の社会は、不正が平然と行われていたり、利己的で勝手な行動をとる人がいたりと、決して理想的なものではないかもしれません。しかし、世の中がどうであろうと、私は『人間として何が正しいか』を自らに問い、誰から見ても正しいことを、つまり、人間として普遍的に正しいことを追究し、理想を追い続けようと決めたのです。
『人間として正しいことを追究する』ということは、どのような状況に置かれようと、公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものを最も大切な価値観として尊重し、それに基づき行動しようというものです」



経営者は往々にして「儲かるかどうか」、「合理性や効率性」を判断基準してしまうことが多く、一生懸命働くというよりは、妥協や根回しなどで、少しでも楽をしようとするが、経営者は常に公明正大で大義名分を持っていなければならないと稲盛氏は力説します。
また経営者に限らず、政治家や官僚など指導的な立場にある者の心得について稲盛氏は「かくあるべし」と提起し、次のように述べます。
「指導的立場にあるリーダーと呼ばれる人々は、自らの言動が『人として恥ずべきところが少しでもないか』と常に厳しく自問していくべきではないでしょうか。政・官・財、あらゆる分野でリーダーと呼ばれる人々を先頭に、私たち一人ひとりが人間として正しいことを追求するようになってはじめて、社会全体のモラルが向上し、健全な社会が築かれていくのだと思います」



ハートフル・ソサエティ』(三五館)でわたしが提示した社会像とは、まさに稲盛氏が理想とされている「健全な社会」にほかなりません。かのプロイセンの鉄血宰相ビスマルクに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な言葉があります。
世間を騒がせた食品偽装問題も「人として恥ずべきところが少しでもないか」という判断基準があれば起こりえない事件です。稲盛氏がご自身の「生き方」「働き方」で証明し続けておられる「歴史」に、今こそ学ぶべきではないでしょうか。


ハートフル・ソサエティ

ハートフル・ソサエティ

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年7月14日 佐久間庸和