沖縄海洋葬

沖縄の那覇市に来ています。
4月12日、サンレー沖縄主催による「第3回 沖縄海洋散骨」が行われました。
まずは14時から那覇紫雲閣で合同慰霊祭が開催されました。


那覇紫雲閣の前で

慰霊祭会場のようす

祭壇には「祈」の文字が・・・・・・

黙祷しました



合同慰霊祭では「開会の辞」に続いて、DVDによる映像演出の後、黙祷、「禮鐘の儀」、サンレー沖縄の黒木昭一部長による「追悼の言葉」、カップローソクによる献灯があり、慰霊祭は終了しました。終了後、それぞれの遺族ごとに集合写真を撮影しました。


三重城港にて

クルーザーの前で

手を振って船を見送る「おくりびと」たち

わたしも手を振りました

けっこう波は荒かったです

いろいろとスタッフに指示をしました



その後、那覇紫雲閣から三重城港へ移動しました。船は15時30分に出港しました。出港の際は汽笛が鳴らされ、スタッフが整列して見送ってくれました。わたしはデッキに上がって、小さくなっていくスタッフたちに向かって「さよ〜なら〜。でも、また会えるから〜」と何度も叫びました。途中までは波も荒かったですが、みなさんの想いが天に通じたのか、急に天気が好転しました。朝からしとしと降っていた雨も止み、太陽の光が差し込んできました。


2Fの操縦席の前で

風を感じました

また、この海に戻ってきました

散骨場所の位置をGPSで確認、記録します



しばらくして、散骨場に到着しました。いよいよ、海洋葬のスタートです。
そこで、船は左旋回しました。これは、時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶセレモニーです。それから黙祷をし、ここでも禮鐘の儀を3回行いました。
それから、日本酒を海に流すという「献酒の儀」が行われました。
今回は三柱の「代行散骨」を依頼されていましたので、社長であるわたしが献酒の儀を行わせていただきました。そして、いよいよ「散骨の儀」です。ご遺族全員で遺骨が海に流されました。代行散骨の三柱については、謹んで当社の社員が流させていただきました。


禮鐘の儀のようす

「献酒の儀」のようす

散骨のようす

海に花が撒かれました

生花リースを手にしました

故人の御冥福を祈りつつ・・・

生花リースを投げ入れました

心からの祈りを捧げました

海面に漂う生花リース



続いて「献花の儀」です。これも、ご遺族全員で色とりどりの花を海に投げ入れました。
ご遺族が花を投げ入れられた後、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。
カラフルな花びらたちが海に漂う様子は大変美しかったです。


わたしが挨拶をしました

故人の想いに言及しました



それから、わたしが主催者を代表してマイクを握り、以下のように言いました。
「朝からの雨も止み、素晴らしいお天気になって本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを感じました。1つは、故人様はとても幸せな方だなと思いました。海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。愛する家族であるみなさんが海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか」


世界中の海はつながっています!

万感の想いがこみ上げてきました



わたしは、さらに以下のように言いました。
「もう1つは、海は世界中つながっているということです。日本中の海、世界中の海はこの沖縄の海とつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです。海を眺めるたびに供養ができるなんて、本当に素晴らしいことだと思います」


帰りのようす



その後、散骨場を去る際、右旋回で永遠の別れを演出しました。
そして、わたしたちは大きな感動に包まれながら、港に帰り着いたのです。今回も素晴らしいセレモニーでした。サンレー沖縄のスタッフたちも物思いに耽って、感慨深そうにしていました。



海洋葬とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。
「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。



2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ!わたしは、月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです!そもそも、「死」というものの本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。


永遠葬

永遠葬

それにしても、「海に散骨すれば、世界中で供養できる」という考え方は非常に重要ではないでしょうか。わたしは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているわけです。


涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

さらに、「小さな海」という言葉からはアンデルセンの有名な言葉を連想します。
それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の開始宣言ではないかと思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。



それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです!そんなことを海洋葬に立会いながら考えました。「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、葬送という行為もまたファンタジーだと思い至りました。


お客様をお見送りしました

最後は「一同礼」で・・・・・・



船が港に着くと、わたしたちはお客様が全員バスで去られるまで、お見送りをしました。
そして、お客様を乗せたバが完全に見えなくなったとき、一同礼をしました。
これが、わたしたちサンレーの「おみおくりの作法」であります。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年4月12日 佐久間庸和