さらば重松場長!

本日の小倉ロータリークラブの例会は、9日の「北九州マラソン2015」の話題で盛り上がりました。小倉クラブから6名のメンバーが出場し、全員が見事に完走されたのです。しかし、とても淋しい出来事もありました。親しくさせていただいていた小倉競馬場の重松場長が2月いっぱいで転勤されることになり、この日の例会で退会の挨拶をされたのです。


退会の挨拶をする重松場長



わたしは、重松場長が小倉ロータリークラブに入会された日のことをよく記憶しています。
それは一昨年の11月8日の例会でした。重松場長の入会挨拶の内容は衝撃的でした。明治大学の柔道部出身で、なんと明大柔道部監督を6年間も務められたというのです。あの小川直也を指導したこともあり、小川選手と一緒にオリンピックにも行かれたとか。重松場長の後任の明大柔道部監督が、吉田秀彦だそうです。重松場長ご自身は柔道七段でしたが、当時52歳の若さでは驚異的な高段位です。柔道を愛してやまないわたしは早速、重松場長と名刺交換をさせていただき、それから親交が始まったのです。



重松場長とは1年半ほどのお付き合いでしたが、じつに多くの思い出があります。
ブログ「親睦活動委員会」に書いたように、一昨年12月4日、入会して日が浅い重松場長とわたしはともに親睦活動委員として、リーガロイヤルホテル小倉の中華料理店「龍凰」で開かれた懇親会に参加しました。そこで、わたしたちは紹興酒の一気飲みをしたのです。



柔道の猛者である重松場長は一気飲みなど屁でもないと思っていましたが、片手を添えてお公家さんのような上品な飲み方だったので驚きました。柔道家というよりも茶人か礼法家のようでした。そのとき、わたしは「まったく、どっちが柔道の猛者だかわかりませんね(笑)」とブログに書きました。すると、その後で重松場長からメールが届き、「私の紹興酒は、なぜか超熱燗であのような(お公家さん?)握り方しか出来なかったんです! 」と書いてありました。そうとはつゆ知らず、大変失礼しました。今となっては、なつかしい思い出です。



また、ブログ「観桜会」に書いたように、昨年4月4日には松柏園ホテルにおいて、わたしの父であるサンレーグループ佐久間進会長と重松場長が初対面しました。佐久間会長は、柔道家である小倉競馬場の重松裕之場長に会いたくて参加を決めたのでした。なんでも、重松場長の叔父さんも高名な柔道家で、同じく柔道をやっていた佐久間会長と親しい関係にあったとか。ようやく重松場長に会えた佐久間会長は、とても嬉しそうにしていました。



そして、ブログ「小倉記念競馬」に書いたように、昨年8月10日には小倉競馬場に夫婦でご招待いただき、「第50回農林水産省賞典 小倉記念競走(G3)」を楽しみました。レセプション・パーティーにも参加させていただき、良い思い出になりました。


重松監督と並ぶ吉田秀彦小川直也の両選手



さらには、ブログ「競馬と柔道」で紹介した昨年10月3日に行われた重松場長の卓話が素晴らしかったです。この卓話で、重松場長はまずは仕事である競馬について説明された後、柔道への熱い想いを語られました。監督時代の明大柔道部の集合写真、平成7年の世界選手権激励会の写真などには、小川直也吉田秀彦が並んで写っています。わたしは現役時代のこの2人の大ファンでした。プロレスや格闘技に活躍の舞台を移した後も応援していました。この2人が総合格闘技のリングで戦ったとき、重松場長はどう思っていたのでしょうか?


ヘーシンクに敗れた神永昭夫の生き様に学ぶ



卓話では、東京オリンピック柔道無差別級決勝での「世紀の名勝負!!」が語られました。
オランダの巨漢アントン・ヘーシンクに挑んだのは、明大出身で富士製鉄(現、新日鉄住金)に勤務していた神永昭夫でした。彼はヘーシンクに敗れてしまいますが、翌日はきちんと会社に出社するなど、その生き様は正々堂々としており、現代に生きるわたしたちにも学ぶところが大であると思いました。わたしは、重松場長の卓話を聴いて、神永昭夫という方に心からの尊敬の念を抱きくとともに、その人生に大いなる興味が湧きました。


このシーンを見て、一条真也が生まれた!



思えば、わたしの「一条真也」というペンネームはTVドラマ「柔道一直線」の主人公「一条直也」に由来しますが、同ドラマの初回の冒頭に流れたのが神永がヘーシンクに袈裟固めで敗れたシーンでした。この場面を観た瞬間、一条真也も誕生したのかもしれません。
この他にも、重松場長との思い出はまだまだたくさんあります。
鍛治町の酒場で柔道談義をさせていただいたことも忘れられません。


みんなで「送別の歌」を合唱しました



今日の例会では、重松場長の挨拶の後で「送別の歌」をみんなで歌いました。
大手企業の支店長さんが多い小倉クラブでは、転勤による退会が多いです。
そのため、このような歌で送り出す伝統があるのでしょう。
「送別の歌」の歌詞は以下の通りです。

ながき年月 睦みたる
友の別れを 惜しむなり
君よ また会うよき日まで
健やかなれや いざさらば



「送別の歌」の最後は、「健やかなれよ、いざ、さらば」というフレーズを繰り返しました。わたしは「仰げば尊し」の最後でも「いざ、さらば」と歌うことを思い出しながら、センチメンタルな気分になりました。このような「送る文化」のあるクラブというのは素晴らしいと思いました。
わたしは、ロータリークラブとは「人間道場」であると思っています。
そして、人間関係の真髄とは別れ際にあるからです。
「一期一会」の心で、御縁を大切にしたいものです。



じつは昨日、重松場長からお電話をいただき、2月いっぱいで小倉を去られることをお聞きしました。わたしは、非常にショックを受けるとともに、小学校の頃に転校して小倉を去る友と別れる淋しさを何度も経験したことを思い出しました。重松場長はJRA東京本部に戻られて、お客様事業部の部長を務められるそうです。東京なら、また会える!
重松場長、短い間でしたが、お世話になりました。どうか、小倉を忘れないで下さいね。
東京に行かれてもお元気で! 今度は、赤坂見附あたりで柔道談義をお願いいたします!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年2月13日 佐久間庸和