本社社員旅行2日目

サンレー本社社員旅行の2日目です。
朝の6時に目を覚まし、宿の露天風呂に入った後、美味しい朝食をいただきました。
若い社員たちも、御飯のおかわりをしてモリモリ食べています。
普段は朝食をきちんと取れなくても、旅館の朝食は食べられるようですね。


今朝のホテル前のようす



8時半にホテルを出発して、バスはひたすら走ります。
千々石で休憩したのですが、ここの景色は坂本龍馬ゆかりだそうです。


龍馬が眺めた景色かも?

龍馬ゆかりの景色を眺めました

橘神社 橘中佐像」のパネルを発見!



すると、「橘神社 橘中佐像」というパネルを発見しました。橘中佐といえば、わたしが子どもの頃、その銅像が自宅にありました。どういう経緯で自宅にあったのかは知りませんが、リアルな銅像で、幼いわたしはぞの前を通るのが怖かったことを記憶しています。その後、父である佐久間会長が銅像橘神社に奉納したようです。


長崎孔子廟にて

長崎孔子廟に翻る「天下布礼」の幟

大成殿の前で

長崎孔子廟の庭園にて



その後、長崎孔子廟を見学しました。
これまでにも各地の孔子廟を見学しましたが、ここが最も立派でした。
72賢人石像もずらりと並んでおり、まことに壮観です。
今回は「天下布礼」の幟を持って訪問し、思い出に残りました。


長崎の坂を上りました

坂の途中に、ラオックスの免税店を発見



そこからバスで長崎の中心部に移動。坂を上って浦上天主堂まで行きましたが、周囲は中国人観光客だらけでした。なんでも大型船が到着したそうです。途中、土産物屋に混じってラオックスの免税店があったので、驚きました。雲仙のホテルは韓国人観光客だらけでしたが、長崎市内は中国人だらけ。長崎に限らず、九州の観光地はアジアの人々によって支えられていることを痛感しました。それにしても、こんなに日本に来たがるなんて、本当に中国や韓国は「反日」なのでしょうか?


浦上天主堂にて

「フランスよりルルドの水届いております。」の看板を発見!

「聖コルベ神父記念館」でルルドの水を求めました



浦上天主堂では、小倉原爆が回避された代わりに長崎原爆で亡くなられた犠牲者を想い、そのご冥福を心より祈りました。
それから、浦上天主堂のすぐ近くにある「オランダ物産館」で中華料理の昼食をいただきました。ものすごい量の食事に圧倒されましたが、最後は企画課の西課長がすべて平らげてくれました。食後は周辺をブラブラしましたが、「フランスよりルルドの水届いております」という看板を発見し、驚きました。行ってみると、「大浦 聖コルベ神父記念館」というところで、そこで本物のルルドの水やマリア像、ロザリオなどを求めました。


軍艦島に向かう船が着く港で

「廃墟美」が漂う軍艦島にて



ここから、いよいよ本日のメインイベントです。
わたしたちは、大波止港より船で長崎軍艦島へ向かいました。長崎県長崎市(旧高島町)にある島で、正式名称は「端島(はしま)」といいます。明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたことで知られます。しかし、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島となっています。


無人島で「天下布礼」の幟を掲げる!

帰りの船から軍艦島が見える

その姿はまさに軍艦そのもの!



到着した途端に、ものすごいインパクトでした。大いなる「廃墟美」です。
ここで、かつては5000人以上の人々が生活していたかと思うと、感慨深いものがあります。
なんでも、戦艦土佐に似ていることから「軍艦島」と呼ばれたそうです。
帰りの船内から見えたその姿は、まさに海に浮かぶ軍艦そのものでした。


“むかえびと”が出迎えてくれました



長崎軍艦島を見学した後は、船で大波止港へ。そこから出島道路を走って、川登SAで休憩しました。さらに基山SAで休憩してから、大里ICで降り、18時半頃に本社に到着しました。
すると、出発のときには“おくりびと”として見送ってくれた紫雲閣のスタッフが今度は“むかえびと”として出迎えてくれました。いやあ、嬉しいですね!
今回の旅行中にも感じたのですが、わが社の社員は礼儀正しいですし、その上、思いやりがあります。社長として、わたしは本当に社員を誇りに思います。本社の社員だけでなく、各事業部、冠婚部門、葬祭部門、介護部門、関連部門のみなさんとももっと顔を合わせて話がしたいです。今回の社員旅行は病人も怪我人も出なくて無事に帰ってくれて良かったです。
ということで、みんな2日間、お疲れ様でした!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年9月12日 佐久間庸和