「永遠」がキーワード

ブログ「秋季例大祭」で紹介した神事と朝粥会の後は、「佐久間塾」および「平成心学塾」を開催しました。最初に、佐久間進会長による訓話が行われました。


50周年目を迎えた佐久間塾

訓話をする佐久間会長



佐久間会長は、「今日で佐久間塾がちょうど50周年目を迎えます。50年前の8月に、第1回を開催したのです。いま、ミャンマーが熱い注目を浴びており、冠婚葬祭業の視点からも魅力あるマーケットだと言えます。今日は、ミャンマーからの留学生をおよびしていますので、いろいろと話を聴きたいと思います」と述べました。


流暢な日本語で話すニンプィンウーさん



続いて、ミャンマーからの留学生であるニンプィンウーさんの話がありました。
彼女によれば、ミャンマーでは平均24歳から25歳の男女が結婚し、非常に家庭を大切にするそうです。離婚率は10%程度だとか。また、4月〜10月の間は結婚式を挙げられないそうです。葬儀では、日本のように重んじられておらず、墓もつくらないなどと説明してくれました。最後に、上座部テーラワーダ)仏教についてわかりやすく話してくれました。参加者はみんな熱心にメモを取っていました。


平成心学塾のようす



そして平成心学塾へと移り、わたしが登壇して講話しました。
先月はわたしが出張で不在だったため、2カ月ぶりの講話です。
ブログ「天道館の孔子祭」で紹介した講話以来となります。
まずは、ブログ「人類の未来を育む礎に」で紹介した「日本経済新聞」のインタビュー記事について簡単に紹介しました。続いて、ブログ「小倉原爆スクープ!」で紹介した「毎日新聞」のスクープ記事について話しました。あの衝撃的な記事は、もともとブログ「冠婚葬祭の専門家として」で紹介した平成心学塾での話が基になっています。


「死者を想う季節」について話しました

靖国神社参拝を報告しました



つねづね言っているように、8月は「死者を想う季節」です。
ブログ「靖国参拝」ブログ「皇居」に書いたように、15日の「終戦の日」、わたしは靖国神社を参拝し、その後、皇居を訪れました。靖国では、世界中の戦没者を祀るという鎮霊社の存在を知りました。昨年12月に、安倍首相も参拝されています。
さらに、安倍首相には、北九州市門司にある日本唯一のミャンマー式寺院であり、戦没者施設である「世界平和パゴダ」を参拝していただきたいと訴えました。


鎮霊社について語りました



それから、このお盆休みに尊敬する渡部昇一先生と対談させていただいたことを報告しました。ブログ「渡部昇一先生と対談しました」に書いたように、場所は、先生が愛用されている吉祥寺のホテルでした。わたしたちは、以下のテーマについて語り合いました。
●読書が人生を豊かにする
●記憶こそ人生
老いを豊かにするための知的生活
●日本人論 カミ文明圏とは何か
●歴史の見方 歴史の真実



渡部昇一先生と対談したことを報告しました



最初は、わたしにとっての「恩書」である渡部先生の大ベストセラー&ロングセラー『知的生活の方法』の思い出から始まって、ブログ「渡部昇一先生」で紹介した渡部先生の世界一の書斎&書庫のお話、それから「四大聖人」「心学」「カミ文明圏」といった日本人の本質に迫るテーマを語り合い、最後は靖国神社を中心とした「鎮魂」「慰霊」の問題について意見交換をさせていただきました。



対談は5時間にも及びましたが、わたしにとっては夢のような時間でした。
渡部先生は本当に対談の名手というか、慈愛に満ちたお方で、浅学のわたしを相手に優しく問いかけて下さいました。おかげで、最初は憧れの方を前にして緊張していたわたしも次第にリラックスし、自分の考えを述べることができました。



「記憶こそ人生」をテーマした対話では、拙著『思い出ノート』(現代書林)をお見せしながら、人生を記録し、さらにそれを暗記することを提案しました。渡部先生は、非常に興味深そうに聴いて下さいました。最後は、先生が記憶されている軍歌「戦友」をなんと14番まで歌っていただきました。わたしは、直立不動で拝聴しました。


この世での「学び」は、あの世でも続きます!



現在の84歳の渡部先生は、95歳まで生きると言われています。
そして、「死ぬその日まで読書を続けたい」とも言われています。
わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。
あの丹波哲郎さんは80歳を過ぎてからパソコンを学びはじめました。霊界の事情に精通していた丹波さんは、新しい知識は霊界でも使えると知っていたのです。
かのドラッカーは96歳を目前にしてこの世を去るまで、『シェークスピア全集』と『ギリシャ悲劇全集』を何度も読み返していたそうです。


「永遠の知的生活」を説きました



死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのです。
モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラリーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は精神だけの存在になります。そのとき、生前に学んだ知識が生きてくるのです。そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。財産といえば、現金や有価証券や不動産や宝石などが思い浮かびます。でも、破産したとき、差し押さえの係官がやってきて持っていかれてしまうものばかりです。



誰もけっして奪うことができないもの、それは頭の中に蓄えられた知識であり、心の中にある志です。その知識や志のことを「教養」と呼ぶのです。
教養は、差し押さえの係官に持っていかれません。逆に、あの世には持っていけます。
現金も有価証券も不動産も宝石もあの世には持っていけません。それらは、しょせん、この世だけの「仮の富」なのです。教養こそが、この世でもあの世でも価値のある「真の富」なのではないでしょうか。


「教養」こそが「真の富」です!



そのようなお話を渡部先生にさせていただきました。
渡部先生も「霊魂は不滅であり、死後の世界は実在する」「この世の読書体験は、あの世でも活かせる」と明言して下さいました。そして、カトリックの考え方からいくと、天国では生前の最も理想的な容姿と精神でいることができるそうです。わたしなら容姿は25歳ぐらいがいいです。そして、精神はもっと学びを続けて熟成した晩年を望みます。つまり、死ぬまで読書を続けたとすれば、死ぬ直前の精神(頭脳)で霊界に参入できるわけです。
わたしは、渡部先生からこの考え方を聞かされて、「安心立命」を得ることができました。
死ぬまで学び続ける。そして、死後も学びは生きる・・・・・・まさに、「永遠の知的生活」です。対談本のタイトルも『永遠の知的生活』を予定しています。


今後の執筆計画について話しました



「永遠」といえば、わたしはもう1冊「永遠」という言葉の入ったタイトルの本を書く予定です。それは、『永遠葬』という本です。最近、ある週刊誌によって非常に失礼な目に遭いました。その週刊誌ではブログ『0葬』で紹介した本で島田裕巳氏が提案されている「0葬」をよく取りあげています。「0葬」とは葬儀も行わない、火葬場で骨も灰も持ち帰らない、墓も作らないというものです。唯物論の極みといえますが、こんなものが話題を集めつつあるので、非常に憂慮しています。かつて島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』に対抗して、わたしは『葬式は必要!』という反論書を世に問いました。今度も、『0葬』に対する反論の書として『永遠葬』を上梓する次第です。


「0」ではなく「永遠」を訴えました



「0葬」という言葉は、ブログ『永遠の0』で紹介した百田尚樹氏の大ベストセラーを意識していると言えます。相手が「0」ならば、わたしは「永遠」で勝負したい。もともと、「0」とは古代インドで生まれた概念です。古代インドでは「∞」というサンレーマークに通じる概念も生み出しました。この「∞」こそは「無限」であり「永遠」です。もともと、わたしは「0」というのは「無」のことですが、「永遠の0」は「空」を意味すると考えています。


「永遠」について語りました



「永遠葬」という言葉には、「人は永遠に供養される」という意味があります。
日本仏教の特徴の1つに、年忌法要があります。初七日から百ヶ日の忌日法要、一周忌から五十回忌までの年忌法要です。渡部先生は先日、郷里の山形県鶴岡で亡き父上の四十回忌を行われたそうです。五十回忌を終えた場合、それで供養が終わりというわけではありません。故人が死後50年も経過すれば、配偶者や子どもたちも生存している可能性は低いと言えます。そこで、死後50年経過すれば、死者の霊魂は宇宙へ還り、人間に代わって仏様が供養してくれるといいます。つまり、五十回忌を境に、供養する主体が人間から仏に移るわけで、供養そのものは永遠に続きます、まさに、永遠葬です!
ちなみに、「世界最高の宗教学者」と呼ばれたエリアーデは「儀式とは永遠性の獲得である」という言葉を残しています。「0」を超えるキーワードは「永遠」しかありません!


「永遠」がキーワードです!



もともと、1人の人間が死ぬというのは大事(おおごと)です。
生き残った者は、大騒ぎする必要があるのではないでしょうか。
それを葬式をやらずに墓にも入れないという暴挙など絶対に許されません。
そんなことをすれば、日本社会がますます狂っていくことは明らかです。
わたしは大いなる使命感を持って、現在執筆中の『決定版 終活入門』を脱稿したら、すぐさま『永遠葬』の執筆に入ることを塾生のみなさんに宣言しました。
『永遠の知的生活』に『永遠葬』・・・・・・キーワードは「永遠」です!


「永遠」と書かれたホワイトボード



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年8月18日 佐久間庸和