隣人を知れば「葬儀」は続く

ブログ「自衛隊ジャーナリスト」で紹介したように、1月25日に東京で毎日新聞社編集局社会部編集委員の瀧野隆浩さんから取材を受けました。瀧野さんが「毎日新聞」朝刊に連載されている「身じまい練習帳」というコラムの取材でしたが、本日の朝刊に掲載されました。


毎日新聞」2017年2月6日朝刊



コラムは、「隣人を知れば『葬儀』は続く」のタイトルで以下のように書かれています。
「『告別式』を初めて実施したのは、ルソーの『社会契約論』を翻訳した明治期の思想家、中江兆民だといわれている。無神論の立場から遺言を書き、お経を上げられることを拒否。東京・青山墓地の式場では、板垣退助らが弔辞を読み上げた。1901年のことである。
 地域で葬列をつくって弔う形から、昭和に入り告別式は一般にも広がった。戦後はだんだん自宅や寺での式は少なくなり葬祭場が主流に。そんな葬儀の歴史を思い返したのは、78年、日本で初めて大型セレモニーホールを北九州・小倉につくった会社の佐久間庸和社長に会ったから。『一条真也』のペンネームで『葬儀の大切さ』を説き続ける論客でもある。
無縁社会』という言葉が大嫌い、葬儀無用論など許されない、という。当然、ベストセラーとなった『葬式は、要らない』を書いた宗教学者島田裕巳さんとは真っ向から対立する。昨秋出た、この2人の本『葬式に迷う日本人』は往復書簡あり、直接対決ありで実におもしろい。どちらに軍配を上げるかは読んだ人しだいだが、<地域や家族の結びつきが弱まり/心ない葬儀が多かった>という現状認識は2人に共通する。
違うのは『では、どうすべきか』の実践があるかどうか。佐久間さんは本社のある福岡県を中心に、隣人が集う『まつり』を実施している。
高齢者宅にチラシを配って無料食事会に呼び、落語やお笑いの会を開く。観月会や中学生の楽器演奏も。年間600回以上やり、延べ8万人が『まつり』に参加する。何もないと引きこもりがちなのが、ご飯を食べて、からからと笑いあう。知らない同士がそこで出会い、次にスーパーで見かければ『お元気?』と声をかける関係になる。『冠婚葬祭は人が集まって、見えない「縁」を可視化する場。地域のつながりが大事なんです』
『ホール見学会』の名目でも開かれるから『商売上手』という冷ややかな声はある。が、気にしない。このまま何もしないと『人類の存在基盤』である葬儀がなくなる。そんな危機感が社長をつき動かす」



このコラムでは、瀧野さんは誤解をされているようで、わが社では「隣人祭り」と「ホール見学会」は分けて開催しています。でも、無縁社会を乗り越える取り組みを紹介して下さることは有難いですね。今度は、ぜひ瀧野さんに北九州に来ていただいて、実際の「隣人祭り」をご見学いただきたいと思います。なお、このコラムはネットでも配信されています。


ネットでも配信されています!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年2月6日 佐久間庸和