誕生日に『論語』を読む

東京に来ています。15日はアジア冠婚葬祭国際交流研究会、および冠婚葬祭総合研究所の客員研究員会議に参加しました。17日は、冠婚葬祭文化財団の評議員会、全互協の理事会に参加します。16日、「サンデー毎日」2017年5月28日号が発売されました。
表紙は、漫画家の本宮ひろ志さんが描いた諸葛孔明の絵が使われています。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第80回目のタイトルは、「誕生日に『論語』を読む」です。


サンデー毎日」2017年5月28日号



先日、54回目の誕生日を迎えました。例年のように、その日、私は『論語』を通読しました。なぜ、誕生日に『論語』? わたしが40歳を迎えようとしていたときのこと。「自分ではまだ若いと思っていても、はたから見ればもう中年と呼ばれる年代になるのか」と落胆のようなものがありました。それと同時に40歳になるのにまだ何事もなしていないという焦り、さらには、さまざまな迷いも腐るほどあったのです。



「40歳といえば不惑で、もう迷わない年齢のはずなのに・・・・・・」とも思いました。「不惑」という言葉の出典は『論語』です。自分はこんなに悩み、迷っているのに、なぜ孔子は40歳にして「不惑」になるなどと言ったのかという素朴な疑問が湧きあがりました。それなら原典を読んでやろうじゃないか、というわけで、『論語』を読む決意を固めました。


冠婚葬祭を業とする会社の社長になったばかりでもあり、儀式の根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもありました。そして、40歳の誕生日に40回目を読み終える計画で、40日前から1日1回、『論語』を読んだのです。 
高校時代以来、久しぶりに接する『論語』でしたが、一読して目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた多くの問題の答えがすべて書いてあるように思いました。



40回読めば内容は完全に頭に入りますので、以後は誕生日が来るごとに再読します。不思議なことに、以前感銘を受けた箇所はそれほど気にならず、心惹かれるポイントが変わっていることに気づいたりします。そういう自分の心境の変化を観察するのもなかなか面白いもの。こういう形でなら、わが命が果てるまで読み返せます。



わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読むことになります。こうすれば、もう何も怖くないし、惑うこともないと思いました。何のことはありません、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。これからも、死ぬまで誕生日には『論語』を読み続けたいと思います。


サンデー毎日」2017年5月28日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月16日 佐久間庸和