台湾3日目   

今日は、3月3日。日本では「雛祭り」ですね。
わたしは、サンレー創立50周年記念旅行の1班で、台湾に来ています。
最終日となる3日目は、午前8時半にホテルを出発しました。


円山ホテルの前を通りました

横から見た円山ホテル

一糸乱れぬ兵隊の行進



バスは、円山ホテルの前を通って「忠烈祠(ツォンリエツゥー)」を訪れました。ここは、国のために活躍した33万人の英霊が祀られている追悼施設です。
1945年の第二次世界対戦終戦後、植民地時代の日本の神道信仰の痕跡をなくすために名称が「護国神社」から「忠烈祠」に改められました。



忠烈祠で人気なのが「衛兵交代式」です。陸、空、海軍から選抜された兵士たちが大門と大殿を各2人で守護しており、1時間毎に交代しますが、なんでもイケメン兵士が多く人気の観光スポットになっているそうです。現在の忠烈祠は、1969年に故宮の大和殿を模して建設されたものです。わたしは、自然と日本の靖国神社のことを考えました。国のために尊い命を捧げた人々に敬意を示すのは、万国共通ではないでしょうか。


故宮博物院の入口で



故宮博物院は、中華民国において最大の国立博物館で、数多くの古代中国の美術品を所蔵しており、その多くが中国古代皇帝によって蒐集された名品揃いであることで有名です。
第二次世界大戦中、故宮博物院の所属品は、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石の国民政府(後の中華民国政府)は戦火や日本軍から守るべく、重要な所蔵品を南方へ搬出しています。


孫文銅像に学ぶ

象牙球の前で

翡玉白菜の前で

仏像の前で




戦後、所蔵品は南京・北京に戻されたのですが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は故宮博物院から第一級の所蔵品を精選して台湾に運び出されたそうです。
1957年3月には北溝の陳列室で一般公開を始めました。その後、中華民国政府は北溝の地が辺鄙であり、国内外の参観者を集めにくいとして、1965年8月台北の外双渓に台北新館を落成し同年11月12日に一般公開しました。


アツアツの小龍包をいただく



それから、わたしたちは昼食会場へと向かいました。
この日のランチは、台湾名物の飲茶です。特に、アツアツの小龍包が絶品でした。
わがテーブルでは、信じられないような大量のチャーハンを平らげる若手社員や、狼のような目をしてビールを延々と飲み続ける社員もいて、驚きました。2人とも「ストップ!」の声がかかるまで、いくらでもチャーハンを食べ、ビールを飲み続けることができるそうです。まあ、一種の「ビックリ人間」ですね。それにしても、やはり円卓は楽しいですね!


孔子廟にやってきました!

礼を求めて

佐久間会長と

同志のみなさんと




それから、わたしたちは最終訪問地である「孔子廟」を訪れました。
古代中国の思想家であり、儒教創始者である孔子を祀っている霊廟ですが、本国である中国はもとより、韓国、日本、ベトナム、マレーシアの各地にも建立されていますが、台湾にも複数の孔子廟が存在しているようで、今回は台北市内にある孔子廟に参拝しました。



わたしは、これまで日本各地の孔子廟に参拝していますが、この50周年を記念した台湾旅行でも、どうしても訪れたかったのが孔子廟なのです。
建立は1879年、しかし、日本統治時代に病院へと変わり、1907年には取り壊され学校となりました。その後1929年に再建、大成殿が完成しました。翌年以降、門や明倫堂が建てられ、2008年の修復を経て現在の姿となっています。


大成殿の前で



わたしは、人類史上で最も孔子を尊敬しています。
孔子ほど「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」を追求した人はいません。
そんな想いや行動が認められ、2012年には第二回「孔子文化賞」を受賞する栄誉に浴しました。50周年というわが社とっての大きな節目に台北孔子廟に参拝し、孔子が説いた「礼」の精神をしっかりと守っていくことを誓いました。



孔子廟」を後にしたわたしたちは、最後のショッピングを楽しみました。
それから、空港へ向かい、15時50分頃に空港に到着しました。
17時55分発のキャセイパシフィック(CX)510便で帰国の途へ。
福岡空港に到着したのは、ちょうど21時でした。みなさん、お疲れ様でした!
なお、それぞれの訪問先について詳しく知りたい方は、ブログ「忠烈祠」ブログ「故宮博物院」、そして、ブログ「孔子廟」をお読み下さい。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年3月3日 佐久間庸和