不滅の業界

2日は夕方から実家に集まって食事会をしました。わたしの家族だけでなく、弟の家族も加わって、楽しいひとときを過ごしました。父も母も、とても嬉しそうでした。
さて、わたしは2002年の8月より、「一条真也」の筆名で、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会が刊行している「互助会通信」の巻頭コラム「独言」を書いています。「互助会通信」第430号に第87回目の「独言」が掲載されました。「不滅の業界」というタイトルです。


「互助会通信」第430号



「人間は儀式的動物である」という哲学者ウィトゲンシュタインの言葉に導かれ、このたび、『儀式論』(弘文堂)を上梓しました。とにかく、結婚式にしろ、葬儀にしろ、儀式の意味というものが軽くなっていく現代日本において、かなりの悲壮感をもって書きました。
全互協の齋藤会長が経営されるベルコさんをはじめ、多くの互助会各社にご購入いただき、心より感謝申し上げます。



わたしは、人間は神話と儀式を必要としていると考えます。社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。結婚式も葬儀も、人類の普遍的文化だ。多くの人間が経験する結婚という慶事には結婚式、すべての人間に訪れる死亡という弔事には葬儀という儀式で、喜怒哀楽の感情を周囲の人々と分かち合います。



このような習慣は、人種・民族・宗教を超え、太古から現在に至るまで行われてきました。儀式とは人類の行為の中で最古のものである。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。
人類最古の営みといえば、他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとか。しかし現在、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているのです。



最古にして現在進行形ということは、儀式という営みには普遍性があるのではないでしょうか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。さらに、わたしは儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたはず。互助会は不滅です。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年1月3日 佐久間庸和