83回目の天皇誕生日に思う

23日は「天皇誕生日」です。天皇陛下は83歳の誕生日を迎えられました。
九州の地より、心よりお祝いを申し上げます。皇居では一般参賀がありました。
天皇陛下は午前中に3回、宮殿のベランダに立たれました。


天皇陛下は集まった人々の祝意に手を振って応えられ、「来年が明るく、また穏やかな年となることを念じ、皆さんの健康と幸せを祈ります」とお言葉を述べられました。


毎日新聞」12月23日朝刊

毎日新聞」12月23日朝刊



宮内庁によると、午前だけで約3万3000人が皇居を訪れ、平成に入って最多だった2009年の3万560人を上回ったそうです。陛下はお言葉で、22日に新潟県糸魚川市で起きた大規模火災にも触れ「多くの人が寒さの中、避難を余儀なくされており、健康に障りのないことを願っています」と話されました。


今年、天皇陛下に関する大きな出来事がありました。
8月8日午後3時から、陛下は象徴としてのお務めについての「お気持ち」をビデオメッセージで表明されたのです。ビデオメッセージでのお言葉は以下の通りです。
「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。
すでに80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間、私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています」


天皇陛下は最後に「国民の理解を得られることを、切に願っています」と述べられていますが、もはや国民が判断すてレベルを超えています。では、内閣総理大臣はどう判断したのでしょうか。安倍晋三首相は8日午後、天皇陛下が「お気持ち」をビデオメッセージで示されたことを受け、首相官邸でコメントを読み上げました。内容は次の通りです。
天皇陛下よりお言葉がありました。私としては天皇陛下が国民に向けてご発言されたことを重く受け止めております。天皇陛下のご公務のあり方などについては、天皇陛下のご年齢やご公務の負担の現状に鑑みるとき、天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのかしっかり考えていかなければならないと思います」


もし生前退位されたとしたら、天皇陛下はこれからどうされるのでしょうか?
おそらくは、慰霊の旅を続けられるのではないかと推測されます。
これまで、陛下は各地を慰霊のために訪れられました。戦後50年の95年には「慰霊の旅」として、沖縄、長崎、広島、大空襲で多数の犠牲者が出た東京の下町を巡り、平和を祈念されました。戦後60年の05年には多くの民間人が犠牲になったサイパン島、戦後70年の15年はパラオの激戦地ペリリュー島で海外の戦没者を慰霊されました。また、今年1月には国交正常化60周年の公式行事で、太平洋戦争の激戦地だったフィリピンを訪問。日比両国の戦没者を慰霊されています。天皇陛下がご自身の行動で示された平和への願いは、多くの国民の胸に刻み込まれています。


小学校の教科書には天皇の主な仕事として「国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する」「国会を召集する」「衆議院を解散する」「外国の要人と会う」などと書かれていますが、天皇陛下の最も大切な仕事が書かれていません。それは、「国の平和と国民の安寧を願って祈られる」という仕事です。天皇陛下とは、日本で最も日本人の幸福を祈る人なのです。
2011年に東日本大震災が起きたときも、昭和天皇の「終戦詔書」以来となる復興の詔勅としての「平成の玉音放送」を行われました。また、世界史にも他に例がないほどの回数の被災地訪問をなされました。そして、心から被災者の方々を励まされたのです。


儀式論

儀式論

じつは来年、わたしは『天皇儀礼』という本を書きたいと思っていました。
わたしは、天皇陛下こそは世界最高の「儀式人」であり、「大嘗祭」は世界最大の「秘儀」であると考えています。『儀式論』で用いた手法を使って、それらの本質を解き明かしたかったのです。そして、『儀式論』の版元である弘文堂から上梓したいと考えていたのですが、諸般の事情でこのプランは消滅しました。しかし、弘文堂からは『儀式論』を補完する書として『聖典論』『聖地論』『聖人論』から成る「典・地・人」三部作を刊行するという企画が決定いたしました。もちろん、数年にわたる壮大なプロジェクトとなりますが、その中の『聖人論』で「天皇」の本質というものを自分なりに示してみたいと思います。
ブログ「祈る人」にも書きましたが、偉大なブッダ、イエスといった「人類の教師」とされた聖人にはじまって、ガンディー、マザー・テレサダライ・ラマなど、人々の幸福を祈り続けた人はたくさんいます。しかし、日本という国が生まれて以来、ずっと日本人の幸福を祈り続けている「祈る人」の一族があることを、わたしたちは忘れてはなりません。
今上天皇の御健康を心よりお祈りいたします。


聖人は仏陀孔子ソクラテス 
     イエス・キリスト天皇陛下(庸軒)


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年12月23日 佐久間庸和