映画はタイムマシンだ!

サンデー毎日」2016年12月11日号が発売されました。
今回の表紙も美女の写真であります。いいね!
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第58回目のタイトルは、「映画はタイムマシンだ!」です。


サンデー毎日」12月11日号



12月1日は「映画の日」です。日本における映画の初公開は1896(明治29)年です。11月25日から29日にかけて、神戸の神戸倶楽部で映画が一般公開されました。11月25日を記念日とする意見もありましたが、半端なのでキリのいい12月1日が記念日とされたとか。ちなみに、神戸倶楽部で公開されたのは、スクリーンに映写される今日のタイプではなく、「キネトスコープ」でした。エジソンが発明した1人ずつ覗き込んで見るタイプです。



拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、映画というメディアは、時間は超越するタイムマシンではないでしょうか。映画の原点とされるD・W・グリフィス監督の「イントレランス」(1916年)を日本武道館で鑑賞したとき、徹底的にリアリズムを追求したセットと5000人もの大エキストラによって、あたかもわたしは実際に古代バビロン時代に撮影されたフイルムを見ている錯覚をおぼえました。



そして、わたしはこの錯覚こそが映画の本質ではないかと思ったのです。すぐれた映画において、観客はスクリーンの中の時代や国にワープし、映画のストーリーをシミュレーション体験します。これは過去でも未来でも関係ありません。「イントレランス」以後の作品では、「風と共に去りぬ」(39年)は南北戦争時代のアメリカに、「ベン・ハー」(59年)は古代ローマに、そして「ブレードランナー」(82年)では2019年、「ターミネーター」(84年)では2029年の近未来都市に、わたしたちはタイム・トリップできるのです。



子どもの頃、黒澤明監督の「羅生門」(50年)は平安時代に、溝口健二監督の「雨月物語」(53年)は戦国時代に撮影されたものだと思っていましたし、19世紀初頭のウイーンを描いた「会議は踊る」(31年)など、完全に記録映画だと信じていました。映画という魔術によって、わたしは本物とシミュレーションの区別がつかない映像の迷宮に入っていくのでした。


サンデー毎日」12月11日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年11月29日 佐久間庸和