儀式は永遠に不滅である 


サンデー毎日」2016年11月20日号が発売されました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第55回目のタイトルは、「儀式は永遠に不滅である」です。


サンデー毎日」11月20日号



わたしの最新刊『儀式論』(弘文堂)が刊行されました。合計600ページの厚さで函入り、わが代表作となる予感がします。とにかく、結婚式にしろ、葬儀にしろ、儀式の意味というものが軽くなっていく現代日本において、かなりの悲壮感をもって書きました。



わたしは、人間は神話と儀式を必要としていると考えます。
社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。結婚式も葬儀も、人類の普遍的文化です。多くの人間が経験する結婚という慶事には結婚式、すべての人間に訪れる死亡という弔事には葬儀という儀式によって、喜怒哀楽の感情を周囲の人々と分かち合います。



このような習慣は、人種・民族・宗教を超えて、太古から現在に至るまで行われてきたものです。儀式とは人類の行為の中で最古のものなのです。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。



人類最古の営みといえば、他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとか。しかし現在、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているのです。最古にして現在進行形ということは、儀式という営みには普遍性があるのではないでしょうか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。



わたしは、儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。これはネアンデルタール人のみならず、わたしたち現生人類の場合も同じです。



儀式および相互扶助という本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。わたしは、この本能を「礼欲」と名づけたいと思います。「人間は儀式的動物である」という哲学者ウィトゲンシュタインの言葉にも通じる考えです。礼欲がある限り、儀式は不滅です。


サンデー毎日」11月20日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年11月8日 佐久間庸和