相互扶助の原点に戻り、新たな成長を

2日の朝、北九州空港からスターフライヤーに乗って東京入りしました。
いくつかの打ち合わせを済ませた後、新橋にある全互協本部へ。「互助会加入者施行支援機構運営委員会」に参加するためですが、17時から19時まで激論を交わしました。全互協では、会報誌である「互助会通信」の429号を渡されました。全互協の初代会長であるサンレーグループ佐久間進会長の「特別寄稿」が掲載されています。


「互助会通信」429号



佐久間会長の「特別寄稿」は、「相互扶助の原点に戻り、新たな成長を」のタイトルで以下のように書かれています。
「私の天職は、この国の冠婚葬祭・儀礼文化を継承すると共に創造しながら次代に引き継ぐことだと考えている。冠婚葬祭互助会というシステムを事業展開していく過程で、私は自社のみではなく業界全体の編成に携わる機会を得た。特に昭和48年の全互協設立時には初代会長を務めさせて頂き、保証会社の保証料率の引き下げや、会長の任期制定などに取り組んだ。
前者は昭和49年当時の通産省天谷審議官の深いご理解を賜り、保証料率を前受金保全額の0.45%から0.1%への引き下げを達成できた。これにより、各互助会が飛躍的に活動の幅を拡げられたのではないかと思う。後者、会長の任期は、私の思惑から2期4年と定めた。思惑とは、1つには、全互協は全互連・日冠連・全冠協の各団体を統合したものだったが、各団体の代表が比較的短い期間で会長に就任することで、各団体間の壁を取り払い、本当の意味での和合を果たそうとしたことによる。
今1つは、当時から互助会業界に存在した、割賦販売法に代わる互助会の単独立法問題に対して各団体で理解を深めてもらう時間を確保するためであった。
互助会の単独立法について、私は割賦販売法からの離脱をはかる単独立法期成同盟とは一線を画し、通産省所管での単独立法(附帯決議)の実現を目指した。そして当初は各団体の長3名が全互協の会長を務めた後、つまり全互協結成12年後から本格的な検討を開始する予定だったが、これを希望しない互助会も多く存在することに配慮して、後に敢えて議論の俎上に載せることはなかった。私が互助会の単独立法を目指したのは、それが会員様の利益、すなわち豊かな生活・幸福感を実感して頂くことにつながると考えたからだが、実現できなかった事は今でも大きな心残りである。
さて、互助会は会員様による相互扶助組織だが、もちろん、会員様同士だけではなく互助会同士もまた、危機に瀕すれば助け合わねばならない。たとえば、わが社は役務保証機構の支援がない時代に、経営危機に陥った約20の互助会を引き受けた。それが原因となってわが社自体も存続が危ぶまれたこともあったが、火中の栗を拾うが如く他互助会を救済したのは、それが私の初代会長としての責任であるという自覚と、相互扶助が中途半端なものであってはならないという使命感があったからである。
今日、冠婚葬祭事業は市場規模1兆8000億円を超え、漁業・林業を超える一大産業まで成長した。たしかに全互協発足当初は足並みが揃わない時期もあったが、しかし、互助会市場の現在は、ひとえに各互助会の努力と、関係各機関からの支援の結果である。今後とも益々努力願いたい。
互助会業界は誕生以来発展し続けてきた。以前、私は『デパートは物を売る。互助会は心を売る。』と表現した。現在もそれは変わらない。互助会は物質的な商品ではなく、儀式という精神的な商品を売っているのである。
互助会が売る商品は、消費者の方の本当の利益にならなければならないし、全互協はその助け合いの輪を支え続ける存在でなければならない。今後も、加盟する互助会同士がなお一層和合、協力して、一般企業にみる利益追及第一の姿勢ではなく、相互扶助を原点とするわが業界の特徴を活かした健全経営をもって成長、発展すること、それが永劫に続くことを切に願う。冠婚葬祭を助ける互助会は、何にも増して世の為人の為に資する仕事だ。その為に、私自身も限られた命ではあるが、たとえこの身尽きるまで使い果たしても、この素晴らしい事業に全力投球していく覚悟だ」



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2016年11月3日 佐久間庸和