『葬式に迷う日本人』が発売されました

10月22日、宗教学者島田裕巳氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)が発売されました。「最期の儀式を考えるヒント」というサブタイトルがつけられています。葬儀やお墓について考えている方、冠婚葬祭業界および仏教界の方々は必読です!


葬式に迷う日本人』(三五館)



帯には「要る? 要らない?」「最初で最後の直接対決!」「論争から見えてきた新しい葬儀のカタチとは?」というキャッチコピーが踊っています。
また両者の写真が使われ、島田氏は「不要論者 宗教学者」、わたしは「絶対必要論者 冠婚葬祭業大手社長」というレッテルが貼られています。


本書の帯



帯の裏には「葬式は・・・」の後に「要らない! by 島田裕巳」とあります。
そして、以下のように書かれています。
(1)派手な葬儀&高額な戒名・・・・・・仏式葬儀は見栄と欲望
(2)核家族化のいま、都会でも地方でもニーズは「簡素化」
(3)定言する「0葬」は不安な時代を生き抜くためでもある



一方、「必要! by 一条真也」として、以下のように書かれています。
(1)時代の変化に応じて葬儀もアップデート・・・葬儀の歴史は永遠に続く
(2)葬式仏教の本質は、日本における最大のグリーフケア・システム
(3)葬儀は人類の存在基盤であり、儀式を行なうのは人間の本能


本書の帯の裏



本書の「もくじ」は、以下の構成になっています。
はじめに―――――――――――――――――島田裕巳 
第1部 葬儀とは何か? 往復書簡
第一信「葬式は、要らない」の出発点(島田裕巳) 
第二信 それでも「葬式は必要!」と断言する(一条真也) 
第三信 なぜ、私は0葬にたどり着いたのか?(島田裕巳) 
第四信「葬式批判」を超える新しい葬儀像(一条真也) 
第2部 対論・葬式を問い直す
直葬家族葬が増える背景
葬儀にお金をかけられない人たち
面倒か、迷惑か?
葬式組から冠婚葬祭互助会へ
死を公にしない
セレモニーホールの功罪
葬式仏教が生まれた背景
死と死後の世界観が変わった
葬儀の是非を語る
死生観――死者の魂と遺族の心をどう考えるか
自然葬――「葬送の自由をすすめる会」での経緯
0葬、シンプル葬・・・これからの葬儀像
おわりに―――――――――――――――――一条真也


島田裕巳氏と



ついに島田裕巳氏との共著を上梓する運びとなりました。
ブログ「島田裕巳氏と対談しました」で紹介したように、2016年7月27日、わたしは赤坂見附の定宿からタクシーで対談会場の「六本木ヒルズ」へ向かいましたが、ぎっくり腰のために腰にコルセットを強く巻いて行きました。まるで、往年の東映任侠映画高倉健演じる主人公が殴り込みをする前に腹にサラシを巻くような感じでした。


唯葬論

唯葬論

健さんは、サラシの中にドスを入れて殴り込むわけですが、わたしにとってのドスとは、前年に出版された、『唯葬論』(三五館)かもしれません。しかし、本が厚すぎてコルセットの中に収まりきれませんでした。


死ぬまでにやっておきたい50のこと

死ぬまでにやっておきたい50のこと

六本木ヒルズタワーの階にある「六本木ライブラリー」へ行くと、そこに島田氏が待っておられ、この中にある「ヒルズ・アカデミー」の会議室で対談しました。2016年3月に上梓した『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)の巻末付録「一条真也が死ぬまでにやりたい50のこと」には「島田裕巳さんと『葬儀』について対談する」というものがあったのですが、その願いは早くも実現したことになります。


NHKの討論番組収録後、互いの著書を持って記念撮影



島田氏と意見を交換したのは初めてではありません。
ブログ「NHK収録」に書いたように、2010年5月26日にNHK福岡放送局で収録された「徹底討論 ふるさと再生スタジアム」という番組で共演し、討論したのです。「どうなる?あなたのお葬式・お墓」というテーマで、出演者は島田氏のほかに、ミュージシャンの南こうせつ氏、タレントの橋本志保氏、それにわたしの4人でした。南氏は大分県のお寺の息子さんで、橋本氏はタレントのガダルカナル・タカ夫人です。


葬式は、要らない』VS『葬式は必要!



ベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の著者である島田氏と、そのカウンターブック『葬式は必要!』(双葉新書)の著者である私が直接対決するという内容でしたが、出演者のみなさんが大変よく喋るので、わたしは思うことの半分も言えませんでした。本当はもっと話したかったのが、他人の話をさえぎることは礼に反します。
テレビのために、自分の人生における信条を曲げることはできません。それで、基本的に進行役のアナウンサーからの質問に対してのみ答えたような形になりました。それでも、議論はかなり白熱しました。


「FLASH」2010年8月3日号                 

「週刊 東洋経済」2010年12/25−1/1号



NHKで討論してから、それぞれ「葬式無用論」と「葬式必要論」の代表的論者のような立場で、島田氏と私は多くのメディアに揃って取り上げられました。
どうも世間からは「宿敵」のような関係に思われたようです。その後、島田氏が『0葬』(集英社)を書かれ、その反論として、わたしが『永遠葬』(現代書林)を書いたことによって、「宿敵」のイメージはさらに高まりました。


0葬』VS『永遠葬



そんな2人が共著を出した事実には驚かれる方も多いのではないでしょうか。たしかに「葬儀」に対する考え方は違いますが、いがみ合う必要などまったくありません。意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切です。


島田裕巳氏との対談のようす



最近、原発や安保の問題にしろ、意見の違う者同士が対話しても相手の話を聞かずに一方的に自説を押し付けるだけのケースが目立ちます。ひどい場合は、相手に話をさせないように言論封殺するケースもあります。そんな大人たちの姿を子どもたちが見たら、どう思うでしょうか。間違いなく、彼らの未来に悪影響しか与えないはずです。島田氏とわたしは、お互いに相手の話をきちんと聴き、自分の考えもしっかりと述べ合いました。当事者のわたしが言うのも何が、理想的な議論が実現したのではないかと思います。けっして馴れ合いではなく、ときには火花を散らしながら、ある目的地に向かっていく・・・今後の日本人の葬送儀礼について、じつに意義深い対談となったのではないでしょうか。


島田裕巳との対談のようす



わたしたちを紹介してくれたのは「現代の縁の行者」こと宗教哲学者の鎌田東二氏ですが、両者の対談が無事に終わったことを知った鎌田氏は、わたしとのWEB往復書簡の中で「島田裕己さんとの対談、有意義だったようで、たいへんよかったですね。対極的な異論のある人と心置きなく論議し尽くせるなんて、『自由民主主義』の極意・極地・極道ですよ。すばらしい! お二人に心から敬意を表します」と書いて下さいました。しみじみと嬉しかったです。


島田裕巳氏との対談のようす



島田氏との対談を終えて、わたしは『唯葬論』や近刊の『儀式論』(弘文堂)でも展開した「葬儀は人類の存在基盤である」という自説が間違っていないことを確信しました。儀式を行うことは人間の本能です。ネアンデルタール人の骨からは、埋葬の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。現生人類(ホモ・サピエンス)も同様で、死者を弔うことと相互扶助は人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していていたでしょう。人間には、他人とコミュニケーションし、人間関係を豊かにし、助け合い、さらには死者を弔うという本能があります。だから、葬儀は不滅なのです。


理想的な議論が実現しました



発売に先立って、本書を何人かの方々に献本いたしました。
すると多くの御礼メールやお手紙を頂戴しましたが、次回作『儀式論』(弘文堂)の担当編集者である外山千尋さんからは「とても興味深く、また読みやすい本の作りで、一気に読ませていただきました。一条先生と島田先生が最初は往復書簡で持論を交差させ、互いの間合いを計る前半、そして後半の対談での一騎打ちで高まる緊張感、またその中で共感を示しあう和やかな部分と鋭く斬り込んで互いに火花を散らしつつも一歩も譲らない構えの緊迫感、その場の空気感まで伝わってくるような気がして、たいへんスリリングでした。まさしく『読む格闘技』です」との感想が届きました。いやあ、「読む格闘技」という言葉は嬉しかったですね!


儀式論

儀式論

また、「葬儀ライター」こと奥山晶子さんからは以下の感想が届きました。
「基本的に、両氏とも確固たる主張があり、相手の意見を尊重する姿勢を持っているうえ、主張のおおもとは相通じているので、一貫したテーマを持つ仕上がりになっていると思います。この本を読めば、きっとすべての日本人が正しく葬儀の意味を問い直すことができるでしょう。肝心なのは、見送る側が納得するかどうかで、喪主が考えを尽くし納得のいく見送り方ができれば、それでよいのだと思います。喪主が考えることを放棄したり、面倒になってしまったり、流されてしまったりしたら、あとで大変な不満を抱えることになります」
そして最後に、「この本は、ゆるぎない考えを持つ喪主の味方になれる本です。あらゆる立場の人の味方になれるところが、良いと思いました」という感想をいただきました。奥山さんは、島田氏が会長を務めていた「NPO法人・葬送の自由をすすめる会」の理事で、機関誌「そうそう」の編集長でした。0葬を知り尽くしておられる方の発言だけに重みがあります。



出版界の木下藤吉郎」こと造事務所の堀川尚樹さんからは、以下のメールが届きました。
「一気に読んでしまいました。今年いちばんおもしろい本です。一条先生の主張と島田さんの主張がぶつかるところは、私の知識が浅いためについていけないところもありましたが、最高に白熱していますね。『クローズアップ現代』で取り上げられたりすると、話題になりそうです」
「今年いちばんおもしろい本です」というコメント、メチャクチャ嬉しいですね!
さらに第二信として、堀川さんから「何がおもしろいかといえば、おふたりが葬儀の選択肢を広げたことです。自分が死んだとき、どう葬ってもらうかを考えるのは、老後の楽しみのひとつだと思います。そして、おふたりとも死を前向きにとらえていることがわかりました。あとは、葬儀をめぐる業界の内側の話です。これは、そもそも知らないことが多い、何かあることはわかるが教えてくれる人がいない、葬儀を経験して知ってたとしても言いづらいという3段階くらいの壁があります。それをちょっとオープンにした点は、編集としておもしろいと思いました。まさに、奥が深いテーマですね」というメールが届きました。おお、「自分が死んだとき、どう葬ってもらうかを考えるのは、老後の楽しみのひとつ」というのはいいね!
堀川さんとは、いま、「冠婚葬祭」をテーマにした新書の企画を進めています。



なお、本書のタイトルには「葬式」という言葉が使われています。しかしながら、冠婚葬祭業者であるわたしは、ふだん「お葬式」あるいは「お葬儀」と言っています。「葬式」という語が版元の意向であることを述べておきます。本書を読まれた方々が、それぞれに「葬儀とは何か」「親が亡くなったら、どう送るか」「自分の葬儀や墓はどうするか」などと考えていただければ、こんなに嬉しいことはありません。多くの気づきやヒントを与えて下さった島田裕巳氏、本書の刊行に多大な尽力をいただいた三五館のみなさまに心より感謝いたします。
ぜひ、『葬式に迷う日本人』をご一読下さいますよう、お願いいたします。


葬式に迷う日本人

葬式に迷う日本人



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年10月22日 佐久間庸和