冠婚・衣裳責任者会議

8月22日、サンレーグループ冠婚・衣裳責任者会議が開催されました。
会場は、松柏園ホテルバンケットザ・ジュエルボックス」でした。
各地から、わが社の誇る“むすびびと”たちが集結しました。


最初はもちろん一同礼で・・・

冠婚・衣裳責任者会議での訓話のようす



わたしは、最初にリオオリンピックの話題に言及した後で、せっかくの五輪に水を差した形になったSMAPの解散報道について話しました。そして、SMAP解散の大きな原因として「結婚」の問題があったと述べました。わたしはSMAP解散の最大の原因は、木村拓哉だけが結婚して家庭を持っていたことだと思います。本来、マネージャーとともにSMAPの5人はジャニーズ事務所からの独立を計画していましたが、翻意した木村が裏切った形になって独立は失敗に終わりました。当初は木村も他の4人と行動をとともにするつもりだったそうですが、「子どもがいるので、将来のことも考えてほしい」という妻の工藤静香の説得にあって断念したというのです。これはサラリーマン社会でもよくある話で、間違った選択ではありません。


SMAPの解散について語りました



問題なのは、家庭を持っていたのがキムタク1人だったことです。
他のメンバーにも結婚の噂はずっとありました。しかし、事務所の意向で結婚することができなかったといいます。今どき、これ以上のパワハラはありません。当然、他のメンバーは妻がいて子どももいるキムタクにジェラシーを抱いていたと思います。解散の決定打になったと言われるキムタクのハワイ家族旅行だって、その根っこには「家庭を持てたキムタク」への嫉妬があったのではないでしょうか。5人のグループのメンバーに対して、こういった差別的というか非人道的な扱いを強いた事務所が一番の戦犯だと思います。


「家族と儀式」について語りました



続いて、次回作である『儀式論』の第13章「家族と儀式」の内容の一部を紹介しました。
わたしは、オリンピックにちなんで、五輪が発祥した古代ギリシャに言及しました。
古代ギリシャ古代ローマの宗教のもっとも大切な部分は祖先崇拝であり、それは「家族宗教」と呼ぶべき存在でした。ならば、それが設定した最初の制度は婚姻であったとされています。若い娘は幼時から父の宗教を信仰し、竈神をまつり、日々に灌祭を行い、祭日には花や葉飾りで竈を飾り、これに保護を願い、その恩恵に感謝しました。



古代ギリシャでは、父祖の竈神は彼女の神であったのです。この娘に対して隣家の若者が結婚を申し込んだとします。娘にとっては、父の家を出て他家に入るという以外に、別の重大な問題がありました。それは父祖の竈を捨て、夫の竈に祈らなければならないことです。彼女は宗教を変更し、他の儀式を実行し、別の祈りを口にしなければならないのです。少女時代の神と別れて、よく知らない神の主催に従うことになります。


古代ギリシャの婚礼について



結婚を司った宗教は、ジュピターやジュノーやその他のオリンポスの神々ではありませんでした。儀式は神殿で行われるのではなく、めいめいの家であげ、これを主宰するのは家の神でした。実際には、オリンポスの神々の宗教が優位を占めるようになった時代には、人々は婚礼の祈りのときにもその神々を祈願せずにはいられませんでした。さらに、婚儀に先立って神殿に赴いて神々に生贄を捧げました。それは婚礼の序式と呼ばれましたが、儀式の主な部分は、つねに竈の前で行われたのです。


古代ギリシャ人の婚礼は三幕から成り立っていた!



ブログ『古代都市』で紹介した本の著者であるクーランジュによれば、古代ギリシャ人の婚礼は三幕から成り立っていたといいます。第一幕は娘の実家の前で、第二幕は両家のあいだの道中で、第三幕は夫の家の竈の前で行われ、それぞれ「婚約の式(エンギユエーシス)」「輿入れの式(ポンペー)」「納めの式(テルス)」、と呼ばれました。
古代ローマの婚礼も古代ギリシャと同じく、三幕に分かれていました。
そして日本人の婚礼も、もともとは三幕から成り立っています。
すなわち、結納式、結婚式という2つのセレモニー、それに結婚披露宴という1つのパーティが合わさったものということです。結婚披露宴とは、言ってみれば両家ゆかりの者たちが同じ竈で料理された食物を囲んで饗宴を催すことです。


日本人の結婚式について



この四半世紀で日本人の結婚式や披露宴は大きく変化しました。
仲人、結納、金屏風といったものが急速に消え、和装を着る花嫁も減っています。
結婚式や披露宴のキーワードも家と家との結びつきよりも、「自由」「個人主義」「合理主義」を強調するものに変わってきました。その結果なのか原因なのかはわからないが、年間30万組以上の夫婦が離婚している。この30年間で日本人の離婚は、じつに2倍以上になりました。しかし、どんなに時代が変わろうとも、わたしは結婚式や披露宴のキーワードは「家族」であると思っています。近代以前の「家」ではなく、あくまでも現代の「家族」です。


「結納」について語りました



とりわけ、最近の風潮でわたしが残念に思っていることは「結納」の衰退です。
「縁を結ぶ」という言葉にあるように、日本人の冠婚葬祭の「かたち」を作ってきた小笠原流礼法は「結び」方というものを重視しました。水引に代表されるように、紐ひとつとってみても結び方には儀礼的な意味が込められているのです。結納とはこの「結び」を永遠に「納める」ことを意味する儀式であり、新郎新婦の魂、そして両家の絆をほどけないものとして結ぶのです。それはいわば「固結び」です。それと対照的に、現代のカジュアルな結婚式は「チョウチョ結び」です。見た目はいいけれども、引っ張ればすぐに解けてしまいます。



結納が減少した理由は「形式張っている」「面倒である」というものが多いです。
しかし、儀式とはもともと形式、すなわち「かたち」なのです。形式張っているから意味がないというのは論理的なようでいてじつはそうではありません。儀式というものに対する理解不足であり、目に見えない意味をないがしろにすることです。そもそも、儀式というのは少しくらい面倒なほうがいいのです。そのほうが、脳に強い情報を与えられるからです。この場合の情報とは、もちろん「わたしたちは結婚する」であり、「少々の問題があったとしても簡単には離婚しない覚悟がある」という自他にたいするメッセージです。


儀式の重要性を訴えました



結婚式にしても葬儀にしても、儀式とはもともと形式的なものです。
そこに実利的な意味が認められないからという理由で否定するのは筋が違います。わたしたちは社会の情報化にともなって、祖霊への感謝や本来のイニシエーションを置き去りにしてきてしまいました。それによって目に見ないもの、心や魂に働きかけるものがどんどん弱体化してしまっています。しかし、「かたち」には「ちから」があります。儀式は心や魂に力を吹き込み、決定的な影響を与えるための人類の知恵です。わたしたちはこのまま、その偉大な知恵を手放してしまうことになるのでしょうか。


礼記』の「昏義篇」について



儀式の持つ力を最も知り尽くしていたのは古代中国の孔子でした。
彼が開いた儒教は壮大な「礼」の思想体系でした。数多い儒教書の中でも、最も儀式の重要性を説いているのがブログ『礼記』で詳しく紹介した「四書五経」の五経の1つです。
礼記』の「昏義篇」には、「結婚の意義」が次のように述べられています。
「昏礼は、二つの姓の友好をむすんで、それで男性側の家は先祖をまつるみたまやの礼を失なわないようにし、後世子々孫々にまでいたる血統を断たぬようにするものである。だから君子は昏礼を重視するのである。こういうわけで昏礼には数々の段階の礼がある。まず納采にはじまり、問名、納吉、納徴、請期とすすんで昏礼が行なわれることになる。これらの礼の行ないかたは、女性側の家の主人は廟に筵と几とを設置し、男性側からの使者を廟門の外で拝して迎え、門を入ると階に至るまで三回えしゃくし、階に至ると弁ることを三回譲ってから堂に弁り、廟で男性側の家からの命をきくのである。かくのごとくするのは、心を敬しく慎んで、昏礼を重々しく厳正にするためなのである」(下見隆雄訳『礼記』)


礼記』の「昏義篇」について



また、同じく「昏義篇」には、以下のように述べられています。
「納采・問名、納吉、納徴、請期というように儀礼が進行して、壻が婦を迎える親迎が行なわれる。婚礼はこのように敬しく慎んで重々しくまちがいなく進められていってそして夫婦が相親しむのである。それは婚礼がすべての礼の根本になる要素を持っているからである。そしてまたこのようにていねいに行なうことによって、男女が互にけじめを守って接するべきものであること、またこれが夫婦の間の義をたてることになることを教えている。そもそも男女の間にけじめがあってこそ夫婦の正しい結びつきは生じるものであり、夫婦の義があってはじめて父子の間にも肉親の愛がめばえるのであり、父子が正しい愛で結ばれていればこそ君臣の関係もこの感情をおし及ぼして正しく成りたつのである。こういうわけで、婚礼こそはすべての礼の本になるものといえるわけである。礼というものは冠礼から始まり、婚礼を本として、喪祭を重んじてその終りを慎むのである。朝聘の礼を尊んで君臣の義を正しく保ち、射郷の礼をほどよく行なうことによって人々の気持をとけあわせなごませるのである。こういうわけで、婚礼こそはすべての礼の最も重要なる根本と云えるわけである。(下見隆雄訳『礼記』)



一般に、儒教では「葬礼」を重視することが知られています。
しかしながら、『礼記』では「葬礼」ではなく「婚礼」が礼の最も重要なる根本であると述べられているのです。これは、わたしが考えるに、優先順位の問題ではないでしょうか。葬儀を行うためには家族の存在が必要です。死者は自分の葬儀を行うことはできませんから、葬儀を挙げてくれる家族をつくるためには子どもを授からなければならず、そのためにはまず結婚しなければならないわけです。「卵が先か鶏が先か」ではありませんが、結婚しなければ祖霊になることさえおぼつかなくなります。礼の精神は天地に基づきますが、具体的な制度としての礼は男女の婚礼から出発するのです。


婚礼はすべての「礼」の本である!



しかし、日本の現状は厳しいと言えるでしょう。2010年の統計によると、50歳で一度も結婚したことのない生涯未婚率が男性20%、女性でも10%となっている。1965年の統計では男性は1.5%、女性は2.5%のみでした。晩婚化、非婚化に加え、雇用環境の悪化により出生率も減少も止まりません。この結果はとうぜん日本人の臨終にも影響を与えます。孤独死直葬、果ては遺骨の引き取り手を必要としない「0葬」まで登場した現代日本では、魂の循環も生まれ変わりも期待できそうにありません。


「礼」の精神について語りました



それで最後にブログ「親子でウエディング体験会」で紹介したイベントを紹介しました。
いま、入籍のみで結婚式を済ませる、いわゆる「ナシ婚派」が入籍者の約半数を占めていると言われています。その3大理由は「経済的事情」「さずかり婚」「セレモニー行為が嫌」だとされます。3位の「セレモニー行為が嫌」については、感謝の「こころ」を「かたち」にして届けるという婚礼本来の意味が伝わっていないからだとされています。


生涯未婚率について



また近年、「生涯未婚率の上昇」や「少子化の進行」は社会問題化しています。
わが社では、子どもたちが普段学校では教わることができない「結婚の意味」について考える機会を設けることにしました。人生における結婚式の重要性はもちろん、自分の気持ちで言葉を伝えることの大切さ、家族や友人など大切な人の存在に、改めて気づくきっかけ作りを支援していきたいです。昔は「いとこのお姉ちゃんの結婚式に参加して、花嫁さんに憧れました」みたいな話が多かったですが、最近ではすっかり少なくなりました。お子さんたちに結婚式を体験してもらう意義は大きいと考えます。


「結婚式」の意味を知ってほしいです!



そこで、わが社では、「婚礼本来の意味」を伝える新プロジェクトを始動させました。
タイトルは「親子でウエディング体験会」です。地元の小学生とその親を対象に、経験豊かなウエディングプランナーを講師として、「結婚式」本来の意味を伝え、また「チャペルウエディング」や「披露宴」などを通じ、結婚式の模擬体験を行っていただく内容となっています。非日常的な「結婚式」だからこそ、今後も実体験を通じて「気づく」機会を提供していきたいと思います。この日の社長訓話では以上のような話をしましたが、みんな、こちらが怖くなるぐらい真剣な表情で聴いてくれていました。


懇親会の冒頭で挨拶する佐久間会長



社長訓話が終わった後は、懇親会が開かれました。
最初に佐久間会長が挨拶し、「わたしは今年から茶道の全国の会長を務めています。おもてなしの真髄という視点からすると、わが社のみなさんはまだまだ『気づき」や『気配り』が足りない。職場のコミュニケーションを活発にすれば業績は上がります」と述べました。


わたしも挨拶しました

橋本常務の音頭でカンパイ!



続いて、わたしも「今日から、NEW松柏園の工事が本格的にスタートしました。わが社の新しい冠婚の風を大いに吹かせてほしい。どうか、みなさんの力を結集して50周年を盛り上げていただきたい」と述べ、続いて「結婚式の仕事ほど、社会にとって大切なものはありません」と述べました。それから、橋本常務の発声で乾杯しました。



それから松柏園の美味しい料理を楽しみながら、各所で会話の花を咲かせました。
最後は、沖縄事業本部の小久保事業部長によって中締めの挨拶がされました。
小久保事業部長は、 サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。
わが社のオリジナル文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。これをやると、みんなの心が本当にひとつになるような気がします。


最後は「末広がりの五本締め」で・・・



いま、冠婚葬祭互助会の冠婚部門は大きな過渡期にあります。
しかし、わたしたちは「人間尊重」をミッションとする礼業の会社として、正々堂々と胸を張って結婚式のお世話をさせていただきたいものです。そして、互助会の会員さんが幸せになるためのお手伝いができるように、つねにアップデートを心がけ、アップグレードを目指したいと思います。懇親会終了後は、松柏園のラウンジにて二次会が行われました。



ブログ『稲盛流コンパ』では、組織の団結を実現するコンパについて紹介しました。
経営トップも管理職も若手社員もすべて胸襟を開いて飲んで語り合うコンパには、人間関係を良くして、業績を向上させる力があります。まさに、理念とコンパは経営の両輪ですね。
じつは、わが社には50年来のコンパの伝統があります。
そして、今夜のサンレー流コンパも大いに盛り上がりました。
やはり、理念と志をともにする「同志」とのコンパは最高です!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年8月22日 佐久間庸和