源義経・武蔵坊弁慶主従と富樫泰家像

わたしは、北陸によく出張します。北陸の玄関口は小松空港です。
その小松空港の入口には、弁慶と富樫の銅像が建立されています。
銅像」と同じポーズをとることで、わたしが両者の「気」を感じました。


小松空港前に「富樫」の銅像を発見!

早速、真似をさせていただく

なんと、弁慶の銅像も発見!

こちらも真似をさせていただく



人気のある歴史上の人物は、なぜか「非業の死」を遂げた人物が多いように思います。本能寺の変で自刃した織田信長しかり、明治維新を目前にしながら暗殺された坂本龍馬しかり。日本人のメンタリティを象徴する言葉に「判官贔屓」がありますが、判官贔屓の語源となる人物は源義経ですが、義経といえば人形浄瑠璃および歌舞伎の演目として知られる『義経千本桜』もありますが、はやり歌舞伎の演目としては歌舞伎十八番の一つ『勧進帳』が有名ですね。この『勧進帳』は能の演目である『安宅』をもとに創作されたものです。


安宅の関」にやってきました

安宅の関」の案内図



『安宅』の舞台である「安宅関跡」はわが社も営業拠点を置く石川県小松市にあります。
ここに「義経・弁慶・富樫の像」が建立されています。
一般社団法人こまつ観光物産ネットワーク公式HPには、この3人の銅像について次のような説明が掲載されています。
「安宅住吉神社の海側に広がる静かな松林の中に、勧進帳の舞台、安宅の関跡の碑がある。兄、頼朝に追われた義経安宅の関を通る際、関守・富樫の厳しい尋問にあい、その危機を乗り切るため弁慶は、偽の巻物を広げて即興で「勧進帳」を読み上げ、さらに嫌疑がかけられると、主君である義経を打ち据える。その姿に感動した富樫が通行を許可した。
これが誰もが知る勧進帳の有名なシーンだ」


義経・弁慶・富樫の銅像が勢揃い!



続いて、一般社団法人こまつ観光物産ネットワーク公式HPにこう書かれています。
「悲運の英雄、源義経が歴史の表舞台に現れるのは、22歳で兄・頼朝と対面してから31歳で奥州平泉において自害するまでのわずか9年間。最後の2年間を過ごした平泉に至るまでの空白の2年間が、日本全国に残る数多くの義経伝説を生み出した。石川県内にも加賀から能登まで、90を越える義経主従の伝説が残されている。その中でも一番有名なのが、ここ安宅の関の物語だ」


三体の銅像を背景に・・・



さらに、一般社団法人こまつ観光物産ネットワーク公式HPにはこう書かれています。
義経が平泉で自害してから200年以上のち、15世紀初期に書かれた『義経(ぎけい)記』の中の各地での出来事を一つにまとめて、15世紀後半に能『安宅』が作られた。そして江戸時代の天宝11年(1840)に、七世市川団十郎によって歌舞伎「勧進帳」が初演されて人気を博し、以来、歌舞伎十八番の一つとして今も受け継がれ、安宅の関の名を全国に広めることになった」


銅像の由来



銅像の由来を説明する財団法人安宅観光協会が平成7年に建立した記念碑もあり、そこには「弁慶・富樫の銅像は歌舞伎で有名な七代目松本幸四郎・二代目市川左団次をモデルとして昭和十四年彫塑家の都賀田勇馬氏により制作されたものである。左端の義経像はその子息都賀田伯馬氏が平成七年十月制作した。ここに親子二代に亘り勧進帳の主役三体の像を完成させたものであります。石碑に刻まれた智・仁・義の文字は永井柳太郎氏の自筆で、智は弁慶の知恵、仁は富樫の情け、勇は義経の勇気であり我国古来の国民性の美しさを端的に表現している言葉である」という説明文が刻まれています。


とりあえず、弁慶になる!



判官贔屓」とは源義経から出た言葉ですが、義経が判官と呼ばれる訳は『日本史「意外な結末」大全』によれば「義経平氏追討に活躍したことを受け、後白河上皇義経検非違使と左衛門尉という官職を授けたことに由来する。この職が判官と呼ばれていたため、義経は九郎判官義経という呼び名がついたのだ」と解説しています。
いずれにしても、義経の生涯は「判官贔屓」よって脚色されていき、まるで「架空物語の主人公」ようになってしまい、史実とは大きく異なる義経像が形成されてしまうのです。


義経と弁慶(共演:西ヒロシ氏)



義経の伝説の中で武蔵坊弁慶がかかわる「五条大橋での出会い」「安宅関」「衣川の戦いでの弁慶立ち往生」などは、死後200年も後に成立した『義経記』を通じて世に広まった物語であるため、おそらくはフィクションである可能性が大です。
もっとも弁慶は実在しなかった訳ではないようです。鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』には弁慶の名前が義経の家臣として「弁慶法師」「武蔵坊弁慶」として2か所の記載があるそうです。ちなみに「富樫」こと富樫左衛門は富樫泰家という実在の人物をモデルとしています。


弁慶と富樫(共演:伊藤ミツル氏)



考えてみれば『古事記』などの神話の記述内容は史実でないにしろ、「史実」のエッセンスを「物語」としてリメイクされている蓋然性が高いことは周知のとおりですから、少なくとも先人たちが「義経と弁慶」の物語に託したメッセージを汲み取ることは意義のあることだと考えます。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月10日 佐久間庸和