夏越の神事

今日から7月です。早くも、今年の後半戦に入ったわけです。
今朝、サンレー本社において夏越大祓式の神事が執り行われました。
わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津隆彦神職をお迎えし、これから暑い夏を迎える前に、会社についた厄を払って社員全員の無病息災を祈願しました。


夏越大祓式のようす

わが社は儀式を大切にしています

一同、低頭しました



わが社は「礼の社」を目指していることもあり、会社主催の儀礼や行事を盛んに行っています。もともと、「社」というのは「人が集まるところ」という意味です。神社も、会社も、人が集まる場としての「社」なのですね。今日は、祭主を務める佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠して、社員のみなさんとともに二礼二拍手一礼しました。


佐久間会長が玉串奉奠しました

わたしも玉串奉奠しました



わが社の創立50周年まで、あと140日となりました。
昨日、『創業三〇〇年の長寿企業はなぜ栄え続けるのか』グロービズ経営大学院著、田久保善彦監修(東洋経済新報社)という本を読んだのですが、長寿企業ほど神事などの会社儀礼を大切にしていると述べられていました。なぜか? 同書には以下のように書かれています。
「具体的な活動に目を向けてみましょう。神棚に向かってお祈りをする時は、一般的に、同じ動作を全員で実施することになります。型のように皆で同じ動きをする、規律のあるルーチンワークです。このように、理屈を抜きに皆で一緒にやる行為とは、組織に規範をもたらし、組織の自律につながっていきます。毎日の掃除、ラジオ体操なども、皆でやる規律のあるルーチンワークと言えるでしょう。筆者の一人も、定期的に全社員と一緒に神棚にお参りをしています。先頭に立つ自分のリズムにあわせて、全員が一糸乱れず二礼二拍手一礼をするたびに、リーダーとして身が引き締まるとともに、お天道様に対して恥ずかしくない行動をしようという気持ちになります。皆でお祈りをする時は、その集団のリーダーの動きにあわせ、柏手や礼のタイミングを取ります。このように皆がリーダーの一挙手一投足に注視し、それに合わせるという行為は、リーダーの自覚を促します。また、社員の心理にも影響を及ぼし、リーダーを中心とした一体感を生む土壌にもなります」


神事終了後に挨拶する佐久間会長



神事終了後には佐久間会長が「これで、みなさんは健康に夏を乗り越えられるでしょう」と挨拶しました。わが社では、このような儀式をとても大切にしています。
わたしは『儀式論』(弘文堂)という本を書き上げ、現在は編集作業に入っていますが、いつも「儀式とは何か」について考えています。そして、儀式とは「魂のコントロール術」であり、「人間を幸福にするテクノロジー」であると思っています。


総合朝礼で社長訓示を行いました



夏越の神事を終えた後は、恒例の月初の総合朝礼を行い、社長訓示を行いました。
まず、米大リーグ・マーリンズイチロー外野手が、6月15日(日本時間16日)、サンディエゴで行われたパドレス戦で2安打をマークし、ピート・ローズが持つメジャー記録を日米通算で上回った話をしました。偉業達成後の記者会見で最も胸を打たれたのは、「アメリカに来て16年、これまでチームメイトとの間にしんどいことも多かったけど、今は最高のチームメイトに恵まれて感謝している」という発言でした。「真の贅沢とは人間関係の贅沢である」というのは、フランスの作家サン=テグジュペリの言葉であり、わたしの信条でもあります。イチロー選手は、お金も名声もすべて手に入れてきました。夢もすべて実現してきました。しかし、彼が最も欲しかった宝物とは「最高の仲間」であり、ついにそれを手に入れた感動の表れが会見の涙だったのではないでしょうか。


儀式について話しました



それから、わたしは儀式について話しました。わたしは『儀式論』を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行いました。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。


人間の本能について話しました



じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。


人間には「礼欲」がある!

人はみな人と交わり儀式する礼の本能もつものと知れ



わたしは、この人類の本能を「礼欲」と名づけたいと思います。人間には、人とコミュニケーションしたい、豊かな人間関係を持ちたい、助け合いたい、そして儀式を行いたいという「礼欲」があるのです。金も名誉も手に入れたイチローが「最高の仲間」を得て涙したのも、この礼欲のなせるわざでしょう。この「礼欲」がある限り、儀式は永遠に不滅です。以上のような話を総合朝礼で行い、最後に次の歌を詠みました。


人はみな人と交わり儀式する
        礼の本能もつものと知れ(庸軒)


本来、社長訓示の後は「本日の誕生日祝い」で、秘書室の小林忠典さんにバースデーカードとプレゼントをお渡しするはずでした。しかし、小林さんは今年で定年退職で、現在は有給休暇を取られており不在でした。いつも、7月1日には小林さんの誕生日を祝うという習慣でしたので、わたしは大変寂しく感じました。このように、「いつもこの場にいたあの人がもういない」と認識することは非常に大切なことです。同じ儀式や行事を継続していくことの意味の1つではないかと思います。冠婚葬祭も介護も、そして誕生日祝いも、すべては「天下布礼」の一環です。わたしたちは、これからも「人間尊重」というミッションを追求していきたいと思います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月1日 佐久間庸和