葬祭責任者会議

20日の午後から、 サンレーグループの全国葬祭責任者会議が行われました。
わたしは、16時半から、いつものように60分ほどの社長訓話をしました。
最初に、先日、作家の青木新門氏と富山で初対面した話をしました。


社長訓話前の一同礼!

サンレーグループ国葬祭責任者会議のようす



青木氏は映画「おくりびと」の原案として知られる『納棺夫日記』の著者です。
葬儀について意見交換を重ねた後、青木氏は「葬儀は絶対になくなりませんよ」と述べられ、最後は「『葬式は、要らない』じゃなくて、『葬式は、なくならない』ですよ」とも言われました。わたしにとって、葬儀の意味を改めて学ぶことができた非常に有意義な時間となりました。


青木新門氏について話しました



青木氏は自身のブログ「新門日記」の当日の記事、でわたしについて、「氏は、新時代の葬儀の1つとして、月へ魂を送る『月への送魂計画』を提案する。超日月光を信じる私は違和感を覚えるが、奇抜なアイデアとして面白いと以前から思っていたので、一度お会いしたいと思っていたのであった。氏は、大変な読書家で豊富な知識を持っておられ、共通の知人も多かった。そんな方に会うと、話が弾む。しかし2時間の会食を終えて別れた後、余計なことまで話していたことを後悔しながら帰路の夜道を歩いていた」と書かれていました。



青木氏との会話はすべて楽しく有意義な内容でした。
特に青木氏が「月への送魂」に興味を持っておられたことは意外でした。浄土真宗に代表される伝統的な葬儀しか認めておられないイメージがあったからです。氏が仏教に深い造詣を持ちながら、非常に柔らかい発想をされる方であることがわかり、嬉しくなりました。今度は、ぜひ、九州の夜空に上った満月を見上げながらお話したいです。


島田裕巳との対談について話しました



次に、宗教学者島田裕巳氏と「葬儀」をめぐっての往復書簡を交わしたばかりなので、その話をしました。わたしへの第二信で、島田氏は「社会的に必要のないことは続かないもので、それは自ずと廃れていくことになります。葬儀を含め、しきたりというものは、伝統的なものであると言われることが多いのですが、実際には、かえって新しく生まれてきたものの方が多いのではないでしょうか」と述べられました。しかし、廃れていき、新しいものが生まれてきたのではなく、時代に合わせた「かたち」で変化をしてきていると考えるべきでしょう。


現代にマッチした「葬儀」とは?



わたしは、古くからの「かたち」をそのまま行うことを提唱しているのではありません。わたしたちは、どうすれば現代日本の「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切ではないかと考えています。これまで日本仏教は「葬式仏教」などと揶揄されながらも、日本人の宗教的欲求をしっかりと満たしてきました。でも、「葬式は、要らない」という言葉に象徴されるように、その存在基盤は大きく揺らいでいます。
今こそ、日本仏教は変わる必要があるのではないでしょうか。
わたしは、7月6日(水)にパシフィコ横浜で開催される「フューネラルビジネスフェア2016」で、全日本仏教青年会の元会長で現在は顧問である村山博雅氏と対談します。村山氏は曹洞宗の現役の僧侶ですので、有意義なお話ができることを楽しみにしています。


仏教のアップデートとは?



さて、島田氏がよく著書を出されている幻冬舎新書に『アップデートする仏教』という1冊があります。ともに曹洞宗の僧侶である藤田一照氏と山下良道氏の共著です。この本には、「仏教3.0」という考え方が示されています。「仏教3.0」は制度疲労を迎えた日本仏教を再生させることであり、それがそのまま「アップデート」ということになります。でも、仏教に必要なものは「アップデート」とともに「初期設定」でもあります。



仏教の「初期設定」とは開祖であるブッダの考え方にほかなりません。そのブッダの考え方に最も近い上座仏教(テーラワーダ仏教)、すなわち「仏教2.0」の存在も無視することはできません。ヘーゲル弁証法にならえば、「仏教1.0」としての現存の日本仏教とともに「仏教2.0」の上座部仏教も取り入れれば、正・反・合で「仏教3.0」が誕生するのかもしれません。それが日本人の精神生活のベースとなれば、葬儀やお墓の問題も新たな展開を見せ、無縁社会をも乗り越える道筋が見えてくるような気がします。


「葬儀」のアップデートについて



そして、わたしは「仏教3.0」だけでなく「冠婚葬祭3.0」についても考えるべき時期が来ていると思います。制度疲労を迎えているのは、けっして日本仏教だけではないのです。いま、七五三も成人式も結婚式も、そして葬儀も大きな曲がり角に来ています。現状の冠婚葬祭が日本人のニーズに合っていない部分もあり、またニーズに合わせすぎて初期設定から大きく逸脱し、「縁」や「絆」を強化し、不安定な「こころ」を安定させる儀式としての機能を果たしていない部分もあります。いま、儀式文化の初期設定に戻りつつ、アップデートの実現が求められているのではないでしょうか。そう、「冠婚葬祭3.0」の誕生が待たれているのです。たとえば、わが社が提案する「禮鐘の儀」などもその1つだと思います。
島田氏とは7月27日(水)に対談します。とても楽しみです!


『儀式論』についても話しました



そして、最近脱稿した『儀式論』についても話しました。
日本人の儀式軽視は加速する一方です。「儀式ほど大切なものはない」と確信しているわたしもこの現状を憂うあまりに、「自分の考えがおかしいのか」と悩むこともありました。そして、あえて儀式必要論ではなく、「儀式など本当はなくてもいいのではないか」という懐疑論の視点に立ちながら、儀式について考えていこうと思い至ったのです。


儀式の正体とは?



そのために、儀式に関連した諸学、社会学、宗教学、民俗学文化人類学、心理学などの文献を渉猟して書いたのが『儀式論』です。大上段に「儀式とは何ぞや」と構えるよりも、さまざまな角度から「儀式」という謎の物体に複数の光線を浴びせ、その実体を立体的に浮かび上がらせるように努めました。その光線は12本あって、それぞれ「儀礼」「神話」「祭祀」「呪術」「宗教」「芸術」「芸能」「時間」「空間」「社会」「家族」「人間」という名前がつけられています。



さまざまな角度から儀式について見てきた結果、やはり人類にとって儀式は必要不可欠であると思わざるをえませんでした。わたしたちは、いつから人間になったのか。そして、いつまで人間でいられるのか。その答えは、すべて儀式という営みの中にあります。
そして、儀式の中核をなすのは、古代中国で生まれた「礼」という思想です。
古代の「礼」には次の三つの性格があったとされます。
(1)神霊と交信するツール
(2)人間関係を良好にする潤滑油
(3)自他を変容させる通過儀礼


儀式には普遍性がある!



わたしは『儀式論』を書くにあたり、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行った。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。


人間の本能について



じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。
食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。
この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたことでしょう。


人類には「礼欲」という本能がある!

社長訓話後の一同礼!



わたしは、この人類の本能を「礼欲」と名づけたいと思います。人間には、人とコミュニケーションしたい、豊かな人間関係を持ちたい、助け合いたい、そして儀式を行いたいという「礼欲」があるのです。金も名誉も手に入れたイチローが「最高の仲間」を得て涙したのも、礼欲のなせるわざでしょう。この「礼欲」がある限り、儀式は永遠に不滅です。
結婚式や葬儀をはじめとした人生儀礼を総合的に提供する冠婚葬祭互助会の最大の使命とは何か。それは、日本の儀式文化を継承し、「日本的よりどころ」を守る、すなわち日本人の精神そのものを守ること。さらには日本人を幸福にする儀式を新たに創造することです。
今回の社長訓話は、以上のような内容でした。参加者はみな、こちらが怖くなるぐらい真剣な表情で聴いていました。


懇親会で挨拶する佐久間会長

わたしも挨拶しました



社長訓話後は、サンレー本社から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。冒頭、佐久間進会長が挨拶しました。佐久間会長は、「今年は創立50周年。茶道の精神などにも学びながら、さらなる『おもてなし』を提供しましょう!」と述べました。続くわたしは「先日、青木新門氏にお会いしましたが、葬祭業ほど価値のある仕事はないと再確認しました。地域の皆様から、紫雲閣に進出してほしいというオファーが相次ぐように頑張りましょう!」と述べました。それから、サンレー北陸の東常務の音頭で声高らかに乾杯しました。


懇親会のようす



さて、今回の懇親会にはスペシャル・ゲストとして、中国にある「長沙民政学院」の伊藤茂教授が参加して下さいました。伊藤教授は、東京都監察医務院に10年間勤務され、数多くの検案・行政解剖業務に従事された方で、翌日の責任者会議で講演をしていただきます。
東日本大震災でも活躍された遺体管理の第一人者として有名な方で、わが社の黒木昭一部長、青木博総支配人、市原泰人課長は伊藤教授のHPを愛読しているそうです。
わたしは「プロフェッサー」といった佇まいの伊藤教授とすっかり意気投合させていただきました。遺体管理を通じて「人間尊重」を目指しておられる素晴らしい人間性の持ち主ですが、日本の葬祭業界の内情に詳しいことには驚きました。業界の謎の人物の正体も教えていただきました。これからもぜひ御指導いただきたいです。


祐徳部長による「末広がりの五本締め



懇親会は、無礼講で大いに盛り上がりました。懇親会の最後は、サンレー北九州の祐徳部長がサンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。わが社のオリジナル文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。これをやると、みんなの心が本当にひとつになるような気がします。やはり、カタチにはチカラがあります! 



いま、冠婚葬祭互助会業界は大きな過渡期にあります。しかし、わたしたちは「人間尊重」をミッションとする礼業の会社として、正々堂々と胸を張って葬儀のお世話をさせていただきたいです。そして、互助会の会員さんが幸せになるためのお手伝いができるように、つねにアップデートを心がけ、アップグレードを目指したいと思います。懇親会終了後は、松柏園のラウンジにて二次会が行われ、サンレー沖縄の黒木部長が乾杯の音頭を取りました。



ブログ『稲盛流コンパ』では組織の団結を実現するコンパについて紹介しました。
経営トップも管理職も若手社員もすべて胸襟を開いて飲んで語り合うコンパには、人間関係を良くして、業績を向上させる力があります。まさに、理念とコンパは経営の両輪ですね。
じつは、わが社には50年来のコンパの伝統があります。
そして、今夜のサンレー流コンパも大いに盛り上がりました。
やはり、理念と志をともにする「同志」とのコンパは最高です!
伊藤教授には20日夜の懇親会に参加していただき、大いに意見交換をさせていただきました。伊藤教授が日本の葬祭業界の内情に明るいことには驚きました。
謎の人物の正体なども教えていただき、収穫は大きかったです。


葬祭責任者会議でレクチャーする伊藤教授



また、翌21日の10時から、伊藤教授には紫雲閣グループのメンバーを前にレクチャーをしていただきました。「遺体からの感染症と遺体の管理」をテーマに、とても貴重な内容でした。
伊藤教授、これからも御指導よろしくお願いいたします。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年6月20日 佐久間庸和