礼欲の発見

17日の早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭を行いました。
戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。
祭主である佐久間進会長に続いて、わたしは参列者を代表して玉串奉奠しました。


月次祭のようす

柏手を打つ佐久間会長

わたしも柏手を打ちました

一同礼!



神事の後は、恒例の「平成心学塾」を開催しました。
最初に、 サンレーグループ佐久間進会長が檀上に立ち、訓話をしました。
会長は、WEBシステムに写っている各地の社員に向かって話しかけました。


最初は一同礼!

平成心学塾のようす

訓話を行う佐久間会長

わたしも意見を求められました(右端)



最初に会長は、「わたしはノーネクタイですが、みなさんはネクタイをしていますね。6月からクールビズのはずですが、どうしてでしょうか?」と問いかけ、國行総務部長が「月次祭に参加するため、ネクタイ着用だと思いまして・・・・・・」と答えました。
会長から「社長はどう思うか?」と問いかけられ、わたしは「儀式に参加する場合はネクタイ着用は当然であると思います。内勤の普段の業務はクールビズで、儀式の現場に出るときはネクタイを締めるということで良いのではないですか」と答えました。お役所はクールビスを強く推奨しますが、冠婚葬祭業という儀式産業においてはなかなか難しい問題ですね。


イチローと武蔵について語る佐久間会長



それから、会長はイチロー選手の偉業について触れました。
宮本武蔵の修業論にも言及し、日々の鍛練の重要性を説きました。
そして、「もはやイチローは武蔵を超えていると思う」と述べ、茶道の話題になりました。
佐久間会長は小笠原家茶道古流の全国団体である「未得会」の会長を務めていますが、修行とはつねに「未だに得ず」ものであるとして、「わが社もぜひ、日々の業務と併せて、茶道の心得を学び、真の『おもてなし』をお客様に提供していただきたい」と述べました。


わたしが講話を行いました



続いて、社長のわたしが登壇しました。まずは、会長と同じく、イチロー選手について話しました。現地時間15日(日本時間16日)、彼は、サンディエゴで行われたパドレス戦で2安打をマークし、ピート・ローズが持つメジャー記録の4256安打を日米通算で上回りました。わたしは、偉業達成後の記者会見で彼が語った言葉にとても感銘を受けました。


イチロー選手の言葉を紹介しました



記者会見で、イチロー選手は、「子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成しているという自負がある」と明かしました。小学生の頃、プロ野球選手になる夢を抱き、毎日コツコツ練習を重ねてきましたが、周囲からは「あいつ、プロ野球選手になるのか」と笑われたそうです。それでも愛知・愛工大名電高で甲子園に出場し、1991年にドラフト4位でオリックスから指名を受けると、94年にプロ野球史上初のシーズン200安打以上を達成するなど一気にスターの座に駆け上がりました。



2001年にイチロー選手が大リーグへ移った時は「首位打者になってみたい」と目標を掲げましたが、周りで真に受ける人は誰もおらず、彼は冷笑を受けました。しかし、そこからメジャー1年目で首位打者を獲得。04年には262安打を放ちシーズン最多安打を84年ぶりに更新と、活躍を続けてきたのです。イチロー選手は、大リーグだけで通算4256安打を超える可能性について問われました。すると彼は、「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にあるので。これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろん、あります」と語りました。
それを聞いて、わたしは感動しました。「50歳で現役」という高いハードルにも挑むことを公言しているイチロー選手ですが、もう、その言葉を笑う者はいません。


わたしも笑われ続けてきました



「つねに人から笑われる」ような高い目標を掲げ続け、それを次々に達成していく奇跡の人生。彼の生き様には多くの人が勇気を与えられるでしょう。このわたしだって、「冠婚葬祭屋が本を書いてどうする?」「冠婚葬祭屋が孔子を語ってどうする?」「冠婚葬祭屋にドラッカー理論が実践できるのか?」「大学教授などになれるはずがない」「新聞や週刊誌に連載できるはずがない」などと、これまで散々笑われてきました。宗教学者島田裕巳氏の『葬式は、要らない』や『0葬』に対抗して『葬式は必要!』や『永遠葬』を上梓したときも笑われました。


現在も、その島田氏との対談本の刊行、あるいは、儀式そのものの必要性を理論武装しようと試みる『儀式論』の出版などに対して、「そんなことをしてどうする」と笑う人もいるでしょう。
もちろん、わたしの人生など、偉大なイチローの人生と比べられないことはよくわかっていますが、わたしも彼と同じ「なにくそ!」「今に見ていろ!」の精神で走り続けたいと思います。
北島三郎の「兄弟仁義」という歌の三番に「ひとりぐらいはこういう馬鹿が居なきゃ世間の目はさめぬ♪」という歌詞がありますが、わたしも、そういった心境であります。


わたしは「馬鹿」でありたい!



かつて、極真会館の創設者である大山倍達は「空手バカ一代」と呼ばれました。考えてみれば、武蔵は「剣術バカ一代」ですし、イチローは「野球バカ一代」です。わたしが『儀式論』を書く上で大きな示唆を得たフロイトは「精神分析バカ一代」で、柳田國男は「日本民俗学バカ一代」です。わたしは、「儀式バカ一代」になりたい!
本当は サンレーグループの社員全員がバカになってほしいとも思ったのですが、それだと会社が立ち行かなくなるといけないので(笑)、「やっぱり、バカは社長一人でいいわ」と言うと、みんな笑っていました。わたしは人から笑われるバカになりたい!


「豊かな人間関係」こそ最高の宝物!



そして、イチロー選手の記者会見で最も胸を打たれたのは、「アメリカに来て16年。これまでチームメイトとの間にしんどいことも多かったけど、今は最高のチームメイトに恵まれて感謝している」という発言でした。内野安打を含む単打を連発するイチロー選手の野球スタイルは、「チームに貢献していない」「打率狙いのセコい野球」などと酷評されてきました。おそらくはチーム内にもそんな空気があったのでしょう。
しかし、42歳にしてようやく彼は「最高の仲間」を手に入れたのです。
「真の贅沢とは人間関係の贅沢である」というのは、フランスの作家サン=テグジュペリの言葉であり、わたしの信条でもあります。イチロー選手は、お金も名声もすべて手に入れてきました。夢もすべて実現してきました。しかし、彼が最も欲しかった宝物とは「最高の仲間」であり、ついにそれを手に入れたという感動の表れが会見の涙だったのではないでしょうか。


島田裕巳氏との対談について



それから、いよいよ7月27日に対談が決定した島田裕巳氏の最新刊について触れました。
ブログ『もう親を捨てるしかない』で紹介した本です。介護離職などが社会問題になっている今、ショッキングなタイトルの効果もあって同書はベストセラーになっているようです。
わたしは、同書の帯に書かれてある以下の言葉を読み上げました。
「年々、平均寿命が延び続ける超長寿国・日本。だが認知症、寝たきり老人が膨大に存在する今、親の介護は地獄だ。過去17年間で少なくとも672件の介護殺人事件が起き、もはや珍しくもなくなった。事件の背後には、時間、金、手間だけではない、重くのしかかる精神的負担に苦しみ、疲れ果てた無数の人々が存在する。現代において、そもそも子は、この地獄を受け入れるほどの恩を親から受けたと言えるのか? 家も家族も完全に弱体化・崩壊し、親がなかなか死なない時代の、本音でラクになる生き方『親捨て』とは?」
読み上げると、参加者たちの顔がこわばっていくのがわかりました。



親を捨てることを島田氏は熱心に勧めますが、親は子どもに捨てられるのだとすれば、親の方はどうしたらいいのでしょうか。島田氏は、「それはもう、『とっとと死ぬ』ことである」と断言します。これは、また随分な物言いですね。「とっとこハム太郎」ではないのですから!
島田氏の祖母は、食べないことで覚悟の死を実践し、「とっとと死んだ」そうです。
かつての日本には、自殺とは違った意味で、覚悟の死を実践した高齢者が多かったといいます。しかし、現在の高齢者には認知症の患者も多いので、覚悟の死など望むべくもなく、病院でひたすら延命治療を受けているのが現状です。


現代日本の医療について問題提起する



現在の日本の医療について、著者は以下のように述べています。
「病院は、人を生かすところであって、人を死なせるところではない。病院に勤務している医師は、なんとか病人の病を癒し、生かそうとする。医学の教育のなかでも、まだ人の死なせ方を教えるようにはなっていない。だからこそ、延命治療が施されることになるのだが、それはあくまで治療の一環であって、本来は延命が目的ではない。なんとか病を治そうとして施されるさまざまな措置が、結果的に延命治療と見なされるのだ。しかし、たんにそれだけが、現在において、『とっとと死ぬ』ことを難しくしている要因ではないだろう」
これはデリケートな問題なので、冠婚葬祭業を営んでいるわたしには言いにくい部分があるのですが、現在の日本の延命医療は必ずしも正しいとは思いません。島田氏は、同書で「無駄な延命治療も行わず楽に死ねる」緩和治療を行っているスウェーデンや、尊厳死を認めているオランダなどの国の事例を紹介していますが、日本も大いにそれらの国に学ぶ必要があると思います。本当の意味での「人間尊重」ということを考えないといけません。


本当に、もう親を捨てるしかないのか?



『葬式は、要らない』に続いて大きな物議を醸す本を書いた島田氏ですが、もともと宗教学の研究を進める上で根本的な問題になったのが、通過儀礼、あるいはイニシエーションだそうです。通過儀礼というものには、必ず試練が伴います。そして、最大の試練は親を殺すこと、つまり「父殺し」ということになります。『もう親は捨てるしかない』をその通過儀礼の視点で読むと、また違った一面が見えてくるような気がします。
それにしても、『儀式論』を書き上げて改めて痛感したことは、儀式の本質は通過儀礼であるということです。その意味で、通過儀礼に多大な関心をもつ島田氏と「葬儀」について直接対談するのが楽しみです。その日が来るのが、今から待ち遠しくて仕方がありません。


儀式は人類普遍の営みである!



わたしは『儀式論』を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行った。人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、儀式という営みには普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはず。わたしは、そのように考えました。


人間の本能について考える



じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。
食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見れます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたことでしょう。


ついに「礼欲」を発見しました!



わたしは、この人類の本能を「礼欲」と名づけたいと思います。
人間には、人とコミュニケーションしたい、豊かな人間関係を持ちたい、助け合いたい、そして儀式を行いたいという「礼欲」があるのです。金も名誉も手に入れたイチローが「最高の仲間」を得て涙したのも、礼欲のなせるわざでしょう。「礼欲」は、「人間は社会的動物である」というアリストテレスの言葉、あるいは「人間は儀式的動物である」というウィトゲンシュタインの言葉にも通じます。このように、「儀式バカ」はついに「礼欲」という本能を発見しました。
わたしのドヤ顔を見ながら、参加者たちはみな呆然としたような表情を浮かべながら、最後の「一同礼」を行っていました。おそらく、本能によって・・・・・・(笑)。


最後は本能からの一同礼!



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2016年6月18日 佐久間庸和